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2012年4月27日 (金)

「米軍基地」の映画

イタリア映画「誰も知らない基地のこと」は、全世界に広がる米国駐留軍を題材としたドキュメンタリー。2007年イタリアの町ビチェンツァに持ち上がった基地建設計画と反対運動のほか、沖縄、インド洋のディエゴ・ガルシア島の基地問題を取り上げつつ、数多くの有識者や関係者へのインタビューにより構成されている。

現在、世界38の国に700を超える米軍基地が存在する。全世界に展開する米国軍兵士は約140万人。そのうち米国本土、ハワイ、アラスカに合計100万人、残り40万人は外国に駐留。「戦場」であるイラクに15万人、アフガニスタンに7万人の兵士がいるほか、主なところではドイツ5万2000人、日本3万6000人、韓国2万8000人、イタリア1万人の駐留軍が置かれている。

かつて冷戦下において、米軍基地の存在意義は明確だった。しかし冷戦が終結し共産主義という敵が消滅した後も、米軍は独裁者やテロリストなどの新たな敵に備えるという大義名分を掲げて、軍事力の強化と基地の維持を図り、さらに必要とあらば戦争を仕掛けて新たな基地を建設してきた。つまり結論的には、米国の軍産複合体が基地を維持し続けている、とされる・・・出たよ軍産複合体、って感じ。ケネディ暗殺に関与したとも言われているアレだ。

ところで正直言って、沖縄北部、高江のヘリコプター発着所移設問題の存在は、この映画を見て初めて知った。普天間返還アンド辺野古移転だけが問題じゃなかったんだ・・・しかしこういう視点のドキュメンタリーって、何で日本で作られないのかね。

この映画は2010年に製作されているが、仮に2010年に日本で公開されたら、観客を集めるタイミング的には一番良かっただろうな、とは思う。とはいえ2012年の今見ると、別の意味で考えさせられる。なぜなら、基地の維持は否応なく原発の維持とダブって見えるからだ。つまり、国家の意思とは何か、ということ。

基地を受け入れる、原発を稼働し続ける・・・国家の意思決定が、国民の生命や国土を損なう可能性が大きい(その最たるものはもちろん戦争)と思われる時、人々にできることはおそらく、ひたすら抵抗を続けることしかないような気がする。国家の意思に立ち向かう粘り強い抵抗が成果を挙げるためには、その抵抗から連帯の輪が生まれて大きく広がることが必要だろう。それなくしては希望を持つことも難しい。

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2012年4月25日 (水)

哲学を齧りなおす

人間、年を取ると若い頃にやってたことをやり直す、というのは、割とありがちなこと・・・(なのか?)。

自分の場合それに当たるのが、哲学の齧り直し。昨年度は朝日カルチャーセンターで西洋哲学史の講座に参加して、新年度もしつこく同じ朝カルで違う先生の西洋哲学史の話を聞いている。いちおう自分はニーチェで卒論を書いた人間、なんだけど思い出すと、へえそうだったっけ、いうくらい他人事みたいな感じだったりする。何しろ大昔のことだしさ。しかし安易な選択だったな~。できれば「ゲッベルスとナチスの宣伝戦略」(タイトルだけ考えた。笑)が書けると良かったんだけど、やっぱりそれ書くのは無理ですね。

で、若い頃齧った哲学を齧りなおすと、当然のように昔読んだ本や著者のこととか思い出す。渡邊二郎も川原栄峰も最近亡くなったんだな。木田元は健在だ。一昨年の秋、日経新聞の「私の履歴書」に木田先生が登場していて、その辺りから、自分も何となく哲学を齧りなおす気分が醸成されてきた感じ。

哲学思想というと、自分の場合、最初は御多分にもれずというか、実存主義っぽいところから入っていって、1980年代、自分が20歳代の頃は「ポストモダン」どっぷりという巡り合わせだった。上記の方々のようなオーソドックスな哲学者から、雑誌「現代思想」で活躍する「ニューアカ」の人々まで、適当に齧り散らしておりました。

その後、世の中は後にいう「バブル」の時代に突入し、これは経済のことを知らないとお話にならないということで、人文科学方面とはオサラバしてしまいました。世の中はさらにバブル崩壊、冷戦終結、グローバル経済へと激しく変化、すべてが訳わからん状態になっていく中で、とにかく株主資本主義やら市場原理主義やら新自由主義やら、経済方面からのものの考え方をチェックする、最近までそんな感じだったので、まさかここにきて哲学を齧りなおすとは思わなかった。

でも、きっかけとして思い当たることは、実は10年前くらいにあったりする。それはNHK番組で神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を知ったこと。これが結構大きい。フリードリヒの十字軍は外交により、10年間の平和を実現した。イスラムとは戦わないけど、教皇とは争ってばかりいたヘンな皇帝の出身地はシチリア。当時の先進的なイスラムの学問・知識を吸収していた彼の地から、宗教戦争の時代を超越する皇帝が出現した・・・いやもう「こんな人がいたんだ!」という驚きが、歴史を知る醍醐味だな。

で、ここから12世紀ルネサンスとか、イスラムからのアリストテレス哲学の逆輸入とかの、恐ろしく興味深い話(知ってる人には当たり前の話なんだろうけど)にも出会うことになり、そうなると近年の八木先生や山内先生の中世哲学研究も視野に入ったりという具合で、何となく気分は哲学っぽくなってきた、ということはある。

まあ、そんなこんなで哲学を齧りなおしているのですが、改めての印象としては、もはや西洋哲学史も文化史の一つ、西洋美術史とか文学史とか音楽史とかとおんなじようなもんです。土台、ニーチェやウィトゲンシュタインの後で、哲学史は絶対的真理追求の歴史、とか思えないし。で、基本的にはヘーゲルで哲学史は終わりだなと。古代ギリシャと中世キリスト教をベースにした伝統的形而上学はヘーゲルを完成者として終わり、後は例のニーチェ、マルクス、フロイト以降、哲学は人文科学の一つになったという感じです・・・。

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2012年4月20日 (金)

なぜいま「キリスト教」か

昨日19日付日経新聞に講談社の広告が出ていて、『ふしぎなキリスト教』30万部突破!!とある。30万部・・・結構な数字だ。なぜいま、日本人はキリスト教を知りたいと感じるのか?

不特定多数にアンケートをとるわけにもいかないので、自分の理由を述べるしかない。(苦笑)

キリスト教の「解説本」が売れるという背景は、現代日本人が、いまなぜ我々はこのようにあるのか?と自問した時に、その答えを日本的伝統の中に求めるよりは、西洋の歴史、その基礎にあるキリスト教の理解が必要だと、一般人のレベルで意識されるようになったということだろう、たぶん。

なぜそのように意識されるのかと言えば、一番単純に考えて、明治維新から相当な時間が過ぎた、つまり、日本は充分に西欧近代化されたから。何しろ現代日本人は余りに西欧化されているので、もはや日本の伝統にそれほどリアリティを感じていないと思われる。例えば、あらためて「和」のこころを知るというのか、日本的慣習や伝統の意味を、テレビの情報番組等で学び直さないと了解できなかったりするし。もちろん西欧に完全に同化したという話ではないにしても、衣食住の生活習慣が隅々まで西欧化されて、現実に資本主義や主権国家、近代科学をベースとした文明の中に生きる現代日本人が、その文明を生み出したキリスト教(的思考)に関心を向けるのは当然の筋道に思われる。言い換えると、明治以来「和魂洋才」で突っ走り、西洋文明を取り込むことにあくせくしていた日本人がここにきてようやく、洋才の根っこにある「洋魂」がまともに気になってきた、ということなのかなと思う。

明治以来の近代化の歴史を振り返れば、近代と伝統、都市と農村、家制度と個人主義、戦争と革命、西洋と東洋など、様々な価値観の相克が繰り返されてきた。近代化の進む社会の中を生きる人間の苦悩は、いわゆる近代文学の作品表現に結実した。戦争の惨禍を経て戦後の高度成長を達成した日本は、「明治100年」の1960年代終わりには、近代化をひとまず完成した。

その後、70年代の石油ショックと為替の変動相場制移行を経て、80年代の「ポストモダン」と「バブル」の時代には、日本は西欧近代を凌駕したとも言われた。

しかし90年代に突入すると共にバブルは崩壊、冷戦終結と共にグローバリゼーションの嵐が吹き荒れる。しかし「ポストモダン」の後に来たのが「グローバル近代」だったというのは、何だか妙な感じ。

それにしても、今や良くも悪くも充分に近代西欧化した日本人は、日本の伝統も西洋文化の基礎も、どちらも実感に乏しいまま頭で理解しなければならないという、微妙な立ち位置にあるなあという気もする。

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2012年4月17日 (火)

ザヴィエル像の来歴

日本史の教科書でもお馴染み、聖フランシスコ・ザヴィエル像が発見されたのは1920年だそうだ。歴史的には、意外と最近のことなのだな。本日付日経新聞文化面、南蛮美術愛好者の父を持った池長潤・日本カトリック司教協議会会長の文章からメモする。

父、池長孟(1891~1955年)は、希代の南蛮美術コレクターとして名を残している。16世紀後半から17世紀にかけ宣教師らによってもたらされた西洋文化に、日本の文化が触れて生まれた南蛮美術。その魅力にとりつかれた父は相続した資産をつぎ込んで絵画や彫刻、工芸品など4000点を超える作品を収集した。 

現在重要文化財に指定されている「聖フランシスコ・ザヴィエル像」や壮大な絵柄の「泰西王侯騎馬図屏風」「南蛮屏風」を私は書斎で目にした。重要な作品、価値のある作品を系統立てて収集するのが父の方針だったようだ。集められるものは全部集める。散逸してしまったら二度と一緒にはできない。そんなことを話していた。

父が神戸市に収集品を展示する私設美術館(池長美術館)を開いたのは昭和15年。隣地には作品を保管する倉庫、自宅も建てた。倉庫は頑丈な耐火構造にしていた。それが功を奏し、市街地のほとんどが焼失した大空襲でも倉庫は焼けずに残った。父は、美術品の無事を確認すると本当に喜んでいた。 

戦後は財産にかかる税に苦しみ、収集品を散逸させないため昭和26年、美術館と美術品を神戸市に委譲した。現在の市立博物館がこのコレクションを受け継いでいる。 

ザヴィエル像は大阪府茨木市千提寺の東家がキリシタン弾圧の時代から明治以降も「開けずの櫃」に入れて受け継いできた聖画だった。大正期、キリシタンの墓碑が確認されたことがきっかけでこの地が隠れキリシタンの里であることが知られ、様々な遺物が旧家の屋根裏などから見つかった。ザヴィエル像が発見されたのは大正9年(1920年)である。

・・・池長孟氏はザヴィエル像の所有者である東家の元に通いつめ、資金を作るため別荘を売り、ようやく聖画を手に入れた、とのこと。一般人から見れば常軌を逸したような執念を持つ収集家がいたおかげで、今日、我々は特定のジャンルの貴重な文化財を多数見ることができる、というわけだ。

このコレクションを含む展覧会「南蛮美術の光と影」は、昨秋東京でやってたけど、その時はあんまり見たい気持ちが盛り上がらなくてスルーしてしまった。同展は今週末から、コレクションの地元である神戸市立博物館で開催される。主催者に名を連ねている日経新聞の記事で何かちょっと興味が出てきたけど・・・神戸まで行ってみるか?

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2012年4月15日 (日)

橋下徹と日本政治の課題

雑誌「Voice」5月号の特集は「橋下徹」。宮崎哲弥(評論家)、萱野稔人(哲学者)、飯田泰之(経済学者)の鼎談記事からメモする。

宮崎:橋下徹大阪市長は強い意志をもって「改革」に邁進しているようにみえる。まずポピュリズム的政治手法の真偽、是非に触れておきましょう。

萱野:彼の政治手法について考えるには、時代状況を捉える必要があると思います。いまの政治は、かつてのような利益分配機能の上に立てなくなってしまった。政治の課題は、増税や社会保障の削減など「不利益をいかに分配するか」に移ったのです。橋本さんの手法を「ポピュリズム」として批判すべきか否かについては、私は即断を避けたい。というのは、利益配分ができない時代状況で、行財政のスリム化を実現するためには、権力源泉の確立として「ポピュリズム」以外に有効な手法があるかといえば、疑問だからです。

宮崎:過去の轍を踏まないようにするためには、「近年の改革政権とは何だったのか」を再考することだと思う。第一の改革政権は小泉政権でした。二番目が民主党を中心とした政権。これはすべての面で失敗に終わりつつある。もし大阪維新の会が中央で政権を取れば、第三の改革政権になるのでしょうが、これまでの二者とどう違うか。

飯田:「時代」でしょうね。ここまで言わなければ事態が収拾つかないところまで日本社会がきた、ということです。橋下さんや大阪維新の会そのものの新しさより、そのような時代背景が大きい。

宮崎:民主党政権の最大欠陥は経済成長政策を欠いていたという点です。現今の政府の経済閣僚、執行部の幹部にも成長放棄論者が多い。そのくせ予算は膨張させて、あまり意味のないバラマキに濫費するから財政が回らなくなる。この点、橋下さんはまず経済成長と財政適正化を果たそうとしている。その前提として制度改革にみっちり取り組むという姿勢でしょう。

萱野:経済成長については、それはそれでめざすべきだと私も思います。ただ社会システムは、それを前提として組み立てられるべきではありません。典型が年金で、人口拡大、税収拡大の前提で組み立てられているから、ここまでひどく破綻しかけているのです。成長してもしなくても、持続する制度設計にする必要がある。

飯田:システムと経済成長は切り離さなくてはならないというのは賛成です。成長を前提に社会保障を設計すると、成長の成果が社会保障に使われ、社会に再投資されません。成長すればより成長を促進する投資を行なえるようにし、仮に成長できなくても社会を維持できる、といったようにするのが望ましい。

・・・肝心なのは成長前提の社会制度システムを改造すること。成長政策の無いまま、成長前提の社会保障を維持するために、増税しようとする野田政権。最悪だね。

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2012年4月14日 (土)

ニーチェの形而上学批判

ヨーロッパ精神の中核を成す形而上学を丸ごと葬り去る企てに、初めてかつ徹底的に取り組んだのは、いうまでもなくニーチェである。『現代哲学の岐路』(講談社学術文庫、1996)、木田元の話からメモ。

「19世紀後半の文化的状況、つまり文化の創造力がまったく枯渇してしまったかに見えた虚無主義的な雰囲気、ニーチェのいわゆる「心理的状態としてのニヒリズム」ですが、ニーチェには、これが近代ヨーロッパ文化形成の必然的な帰結としか思われなかった。彼の言い方に従えば、これまでヨーロッパ文化形成を導いてきた最高の諸価値、つまり形而上学的諸価値がその効力を失ったためだというんです」

「つまりこれまでは、いっさいの存在者の上に形而上学的な最高価値が厳然と支配していて、それらの存在者にそれなりの価値を与えてきた。しかるに、それら最高価値が効力を失ったために、それによって価値や意味を与えられてきたこの世界が無価値に思え、無意味に思えるようになった、というわけです」

「ニーチェが形而上学的諸価値ということで考えているのは、たとえばプラトンのイデア界とかキリスト教的人格神とか、近代の哲学者が説く理性といったものですね。「形而上学的(メタフィジカル)」というのは、言葉どおりには「超自然的(メタ・フュシス)」ということですから、こういった諸価値は、この現実の自然界を完全に超えたところにあるものとして設定され、自然界の現実の諸事物は、そのイデアの影を宿しているから、あるいは神によって創造されたものだから、あるいは理性によって認識されうるからこそ、価値があり意味があると考えられてきたわけです」

「どうしてそうした形而上学的諸価値が効力を失ったのか。ニーチェに言わせれば、そんなものはもともとなかったからだというんです」

「プラトンが、この自然界を超えたところにイデア界といった超自然的、形而上学的原理を設定し、それを参照にしながらこの自然界の個々の存在者の存在を問題にしはじめた。自然界を超えたところに形而上学的原理を設定し、それとの関係でこの自然界を見ようとする、そうした思考様式をいちおう「形而上学的思考様式」とよんでおくことにしますが、これがその後の西洋哲学の伝統となり、西洋の文化形成の基本的設計図を描くことになる。なるほど形而上学的原理として立てられるものは、そのときどきイデアであったりキリスト教の人格神であったり人間理性であったり絶対精神であったり、呼び名はさまざまに変わるわけですが、そうした思考様式そのものは、一貫してうけつがれるわけです」

「だからニーチェは、プラトン以来の西洋哲学は、ストア的道徳やキリスト教をも含めてすべて「プラトン主義」だといい、そうした思考様式によって規定された文化形成の伝統をニヒリズム、「ヨーロッパのニヒリズム」とよぶわけですね。こうして、ニヒリズムというのが、単なる虚無主義的な雰囲気とか心理的状態とか主義主張をいうのでなく、ヨーロッパの歴史を根本から規定している歴史的運動を指すことになるわけです」

・・・やはり、ニーチェの形而上学批判はストレートに響くしインパクトも強い。その後の形而上学批判、例えばハイデガーやデリダなどはテクニカルというか、まず彼ら特有の用語や考え方の筋道に馴染まないと、どうにも分かりづらいという印象がある。

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2012年4月13日 (金)

ヘーゲル、絶対的理性の完成

近代的理性は、デカルトからカントを経て、ヘーゲルに至ってその頂点に達する。『現代哲学の岐路』(講談社学術文庫、1996)、木田元の話からメモ。

「カントの場合、こういうことだろうと思います。つまり、人間の理性的認識能力と世界の理性的な存在構造との対応関係は、17世紀では神的理性によって媒介されていたわけですから、そこに対応関係があっても、いっこうにおかしくなかったわけです。ところが18世紀になるとそういう神学的な背景をいっさい切りすててしまいます。そうなってくると、この対応関係を保証してくれるものが何もなくなってくる。つまり、世界というものが、人間の理性的な認識能力によって認識されうるような存在構造をもっているという保証もないし、人間の理性的な認識能力がそれをうまく認識できるという保証もない。しかしそうした媒介者なしに、とにかくなんとか、この対応関係をとりつけようとしたのが、カントの『純粋理性批判』の仕事だったと思うんです」

「カントの場合、問題になるのはなんといっても自然界ですよね。ところが、自然界となると、これは人間理性が全面的につくり出すなんてことは考えてもむりな話なんです。そのため、人間理性が有限的なものだと考えられたわけです」

「ところがヘーゲルになるとね、世界というものが、カントのように自然的な世界としてではなしに、ロマン主義を媒介にして、歴史的な世界としてとらえられるようになった。歴史的な世界ということになれば、そこで問題になるのは、社会構造であるとか国家機構であるとか法体系であるとか経済組織であるとか宗教的な儀礼、芸術様式とかいったようなものなんだから、これはね、人間が全部つくったんだと言い出しても通るところがあるわけです」

「しかもね、カントの場合、問題はあくまで認識の場面にかぎられていたわけなんだけれども、ヘーゲルになってくると、そういう歴史的な世界をつくり出してきた人間の活動全部が問題になってくる。ヘーゲルはそれを、アダム・スミスから借りてきた「労働」って概念でとらえるわけです。そしてそういう労働を通じての主観と客観との相互媒介の関係を弁証法と考え、歴史の展開をそういう弁証法的な過程として見るようになってくるわけです」

「ヘーゲルまで来ると、彼も言うように「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」ということで、現実と理性の対応関係が完全に成り立つことになるわけなんです。僕にはヘーゲルのこの命題が、デカルトの理性主義にあったあの循環――理性的認識の明確な対象になりうるものだけが存在者として認められるのであり、したがって存在するかぎりのすべてのものは理性によってくまなく認識されうるという、あの循環――の最終的な表明のような気がしてならないんです」

「少し図式的に言ってみれば、デカルトのところで、人間理性に超越論的主観性となる可能性が与えられた。というのも、ここではまだ人間理性は、神的理性のバック・アップなしには何もできないからです。それがカントのもとで、神的理性の後見なしに認識論的主観性の役割をはたすことになる。が、まだその権能には限界があり、あくまで有限なものでしかない。それがヘーゲルまできてはじめてその有限性を脱し、歴史的世界を創造する絶対的な主観性となったわけです」

・・・ヘーゲルにおいて、理性は世界のすべてを認識できるし、世界のすべては理性の活動すなわち自己展開となる。こうしてギリシャ的ロゴス、キリスト教的神学、近代的理性を内実とする西洋形而上学の伝統は完成を見たのだが、ほぼ同時に形而上学的伝統への批判作業も開始される。ヘーゲル後は、絶対化された理性の相対化を図る、いわゆる現代思想の時代に入っていく。

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2012年4月12日 (木)

近代的理性の神学的背景

近頃、哲学を齧り直しているけど、それはまた、若い頃に読んだ哲学の本を読み直すことにもつながる。昔の本で何となく記憶に残っていた中公新書『理性の運命』、木田元と生松敬三の対談本を、90年代の復刊本(講談社学術文庫版、書名は『現代哲学の岐路』)で再読した。とりあえず理性に係わる話を以下にメモする。

木田:西洋人にとっては、理性というのは、ある絶対的な真理把握の能力を意味しているらしい。しかも、それだけではなく、その理性によって把握される存在の絶対的な秩序をも意味しているらしい。

生松:たとえばロゴス、これはヘレニズム期のストア派の場合だったら宇宙全体を貫通している理法のことなんで、人間のロゴスはこれを分有する、あるいはそれに関与するんだと考えられていたわけです。こうした考え方は中世のスコラ哲学を通じて、基本的には近代にまで流れ込んでいるわけでしょう。

木田:スコラの場合はキリスト教が背景になるわけだけど、大いなる理性としての神が世界を創造したんだから、世界は神の理性を分有している。そして人間の理性も、神が自分の理性に似せて造ったものなので、人間の理性と世界の理性的法則との間にはある対応関係がある、と考えられていた。だからこそ人間の理性によって世界の理性的な存在構造が認識可能なのだし、世界の存在構造というのは、とにかく人間の理性に合ったようにできているんだと、こういう考えが近代初頭の理性主義ないし合理主義の根本前提になっているわけですね。

生松:神の造り給うた自然を支配しているロゴス、これを数学ないし数学的な方法によってとらえることができる。自然のなかの法則性を明らかにすることが、神の栄光を讃えることだ。近代の自然科学が成立してくる背景には、依然として神学的な世界観があって、そういうなかから自然科学も出てきたという色彩は非常に濃厚です。

木田:どうもそういう神学的背景を抜きにしては、近代の理性主義の成立を考えることはできませんね。デカルトの場合には、例の「方法的懐疑」によって、思考しつつある〈われ〉だけを確実に存在するものとみなして、その確実性を根拠に、その〈われ〉が確実に認識できるものだけを真に「存在するもの」として認めようとしたわけです。思考しつつあるその〈われ〉なるものは、理性としての〈われ〉なんです。なぜ、その理性としての〈われ〉が確実に認識しうるものだけが、真に存在するものとみなされうるかといえば、その〈われ〉は神の理性のミニアチュアなのだから、もともと世界の理性的構造を認識する可能性を保証されているからだ、というわけです。人間理性が確実に認識しうるものだけが存在者とみなされうる。したがって、存在するかぎりのすべてのものは、人間理性によってそれこそ合理的に認識されうる。これは完全に循環論法なんですが、この循環の上に17世紀の理性主義は成り立っていたんじゃないか。そして、その循環を支えているのは、神なんですね。

・・・キリスト教という入れ物にギリシャ的ロゴスを満たして、「我思うゆえに我在り」とオマジナイを唱えたら、あら不思議、近代的理性ができちゃった。って感じ。

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2012年4月 8日 (日)

「領邦君主」は「戦国大名」に相当

以下は、昨日4月7日新宿・朝日カルチャーセンターの講義(「専守防衛の超大国」神聖ローマ帝国、皆川卓先生)から、自分的なポイントのメモ。

神聖ローマ帝国(962-1806)は、侵略戦争をしない国だった。帝国の戦争は、他国から攻め込まれた時に対応する防衛戦争にほぼ限られていた。それは帝国が平和を愛する国だからではなく、侵略戦争ができない仕組みの国だったからだ。

帝国は国家というよりも「国家連合」に近かった。帝国内で実質的な統治を行っていたのは各地方の大領主であり、「領邦君主」と呼ばれる彼らの支持なしには、皇帝の地位も保てなかった(選帝候の存在)。領邦君主は、日本の戦国大名によく似ている。日本の戦国時代も各地に群雄が割拠していたが、信長-秀吉-家康が登場して、統一権力による「統一国家」が打ち立てられた。ところが、神聖ローマにはそのような実力で頂点にのし上がる存在は現れなかった。その代わりと言うべきか、神聖ローマには、強大化するオスマン=トルコ帝国という外圧が出現して、帝国の秩序形成を促した。領邦君主の力を結集してまとまるべきだという危機感の高まりを背景に、ハプスブルク家のフリードリヒ3世、マクシミリアン1世は「帝国改革」を実行する。帝国の裁判所、法の執行組織、軍制等が整えられた。この帝国改革が、日本の三英傑登場に匹敵する出来事になる。統一権力ではなく、共通のルール、合意形成による秩序が作り出されたのだ。

皇帝は自分の領地の軍隊を動かして単独で戦争に参加できるが、帝国として戦争を行うためには各領主の合意が必要だった。これがムダな戦争(侵略戦争)は避けることにつながり、神聖ローマは「専守防衛」の国となった。これは帝国が「連合国家」、領邦君主たちの共同体という政治システムであるがゆえの結果だった。

1517年に始まる宗教改革の影響により、帝国内の結束に亀裂が入り、さらに三十年戦争(1618-1648)の結果、皇帝の権威は失墜。皇帝家は文化芸術の重視による権威の演出に取り組み、皇帝の権威を回復させるが、やがて一領邦国家プロイセンが台頭。帝国内の力関係のバランスが崩れていく中、ついにナポレオンが登場して、帝国は「解散」することになる。

・・・神聖ローマ帝国の領邦君主は、日本の戦国大名とほぼ同じ、というのは話が分かりやすくて良いと思いました。

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2012年4月 6日 (金)

20歳若返れたらいいな。(笑)

最近、何となく若返りたくなっている自分がいる。人間、年を取るとファウストの気持ちも分かるというものだ・・・読んでないけど。しかし、キリスト教社会の中で、悪魔に魂を売り渡して若さを得る話を書くとは、ゲーテも結構過激な人だな。

さて、最近本屋の店頭で目に付くのが、50歳でも30代に見えるとか、20歳若返るとか、そんなタイトルの本。著者は医師の南雲吉則氏、今売出し中の先生である。何でも、国際アンチエイジング医学会名誉会長(そんな学会あるんだな)でもあるとか。本のカバーに使われているドクターの顔写真は、書名に偽りのないことを自ら証明するかのように、めっちゃ若々しいルックスで、とても56歳とは思えない。50歳過ぎの自分もとりあえず一冊、『20歳若く見えるために私が実践している100の習慣』(中経出版)を読んじゃいました。

本の内容は7章に分かれていて(スポーツしない、食べない、飲まない、考えない、洗わない、温めない、夜更かししない)、一番項目の多いのが、やはりというか「食べない」の31。続いて「考えない」の16、「スポーツしない」の15となっている。

まあ私は運動神経が鈍くて、もともとスポーツしないので、それはいいんだけど、食生活の「腹6分目」とか「一日一食」とかは・・・結構キビしいかも。でも、確かに現代人は、三食を習慣的に取るというか、空腹感が強くなくても単に気分転換のために食べたりするので、必要以上にカロリーを取っていることは誰でも承知していると思う。

自分も最近、手術入院というやつを経験して、なるほど人間、身体が駄目になったらお終いだなと、しみじみ感じた。なので、若返るとかアンチエイジングとか、そこまで勇ましい?ことは言わないにしても、身体は大事に使わないといかんなあ、親からもらった身体をなるたけ長持ちさせたいものだなあ、という思いが強くなっておりまして、若さを保つことを目指すというよりは身体を大切にした結果、そこそこ若さを保てるならそれで満足、というくらいの感じではあります。

まあアンチエイジングというのも何か少々滑稽というのか、そこはかとなく悲哀も感じられるというのか・・・その滑稽または悲哀は、死ぬべきものが生きるという事態から由来するというか、せっかく生まれたのに結局死んじゃうという運命を認識している生命体のはかない抵抗という感じもあったりして。はあ。

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2012年4月 5日 (木)

篠沢教授の不撓不屈

往年の人気番組「クイズダービー」が今月17日に特別番組として復活する、とのニュースを聞いて思い浮かぶのは、はらたいらは故人だし、竹下景子は老けたし、篠沢秀夫教授は闘病中だし・・・というようなことで、時の流れをあらためて感じるばかり。

篠沢先生の病名はALS。全身の筋肉が動かなくなる難病中の難病。今のところ治療法はない。最近割とメディアに取り上げられる病なので、知ってる人も多いと思う。

篠沢先生は発症以後も3冊の本を出し、先日もブランショのデビュー作である長編小説「謎の男トマ」の翻訳を完成したことが伝えられた。過酷な身体コンディションの中でも、仕事への情熱を失わないことに敬服するほかない。まさに不撓不屈。

先月3月の日経新聞「私の履歴書」でも、樋口武男・大和ハウス工業会長が、ALSのため49歳で亡くなった弟さんのことを書いていた。樋口氏は「本当に残酷な病気だ」と記している。

ALS、この病のことを考えると本当に怖くてたまらない。篠沢先生のように自分のやるべきことがある人は、生き抜く気持ちを持てるかも知れないが、自分だったら、どこかで覚悟を決めるしかないような気がする。(たとえば戦国武将の死に対する気概を見習うことにより)

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2012年4月 4日 (水)

日経にも「ポジ出し」の話題

本日付日経新聞1面コラム「春秋」は、街中に新入社員が行き交う季節に寄せて、若い人の発想や意欲を前向きに生かすのが年長者の役目と述べながら、先日のNHK番組「ニッポンのジレンマ」で使われていた「ポジ出し」なる言葉を引き合いに出している。コラムからメモする。

若手知識人だけを集め日本の課題を論ずるNHKの討論番組で、1人の参加者が「ポジ出し」という造語を口にした。非難やあら探しなどダメ出しが幅を利かせる議論はやめ、皆でポジティブ、つまり前向きな改善策に知恵を絞り、行動する方が大事との発想だ。反抗に意味を求めた昔の若者とは違う世代が育つ。

・・・「ポジ出し」を語ろうと提案した評論家の荻上チキは、番組の最後にも「ポジ出しという言葉をみんなが超使ってくれて嬉しい」、てなことを言ってた。その言葉の影響は日経新聞にも及んだ、ことになる。

でも正直、宇野常寛呼ぶところの「チキりん」または「チキどん」は、あの参加メンバーの中では一番小賢しい感じで好きになれないタイプだな。(苦笑)

さて、ツイッターを見たら、次回5月の「ジレンマ」には東浩紀が参加するらしい。おお、出るか御大、みたいな感じ。

NHKのヒット商品に育ちつつある印象の「ニッポンのジレンマ」。あとは古市憲寿君が出れば面白いかと。NHKはしっかり、月曜深夜のニュース番組にも彼を起用してるし、出てもおかしくないよな。

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2012年4月 2日 (月)

「江戸時代」は日本社会の基礎

先日のNHK・Eテレ「ニッポンのジレンマ」に出演した與那覇潤・愛知県立大学准教授。著書である『中国化する日本』について語ったインタビュー記事(「週刊東洋経済」2月18日号掲載)からメモする。

(著書では)今日のグローバル社会の原型が宋朝の中国大陸で生まれて以降、それに時折引き付けられつつも、最後は反発してきた日本という国の成り立ちを描いた。 

中国史の泰斗・内藤湖南は、現代に至る中国社会の原型は宋代にできたとする。具体的には、貴族政治を撤廃して皇帝独裁政治を始めた。そして、政治の秩序を皇帝一極集中にしたのとは対照的に、経済や社会は徹底的に自由化した。 

(江戸時代に完成した日本型社会は)農村をベースとする地域共同体の結束が強く、身分に基づく就業規制で市場競争から守られる。何らかの集団に属し、強い束縛を受ける代わり、食べていくことは保証されるというシステムだ。 

中世初期が「中国化」の第一のピーク。中国銭を輸入して市場を活性化し、封建領主の既得権を切り崩して自身への権力集中を目指した、平清盛・後醍醐天皇・足利義満などが代表的な「中国化」勢力。 

16世紀末の中国に新大陸の銀が流入し、日本への銭輸出が激減すると、日本人は中国銭経済から切り離された。この時期に成立したのが徳川幕府で、新田開発で稲作を全国に普及させ、「家職さえ守れば最低限食べられる」身分制社会を作った。これが現在の日本社会のベースだ。 

「中国化」の2度目のピークが、実は明治維新。西洋化という色眼鏡を外して、維持不可能になった幕藩体制を中央集権に再編する「中国化」と見るほうが、たとえば天皇の皇帝化にしてもすっきりわかる。そして第三のピークが冷戦後、まさに私たちが直面するグローバル化だ。

・・・「グローバル化」とは「中国化」であるとは、何だか与太話のように聞こえるので、むしろ肝心なのは、日本社会の基礎は「江戸時代」にあるということだろう。それこそ内藤湖南は、日本の歴史は応仁の乱以前と以後に分かれると喝破した。僕はフツーに信長・秀吉・家康が好きだけど、日本社会はいまだに、江戸時代の基礎を築いた三英傑の影響下にあると言ってもいい。やっぱり信長・秀吉・家康は偉大だあああ!

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2012年4月 1日 (日)

「ニッポンのジレンマ」第2回

昨夜のNHK「ニッポンのジレンマ」、第2回は與那覇先生に尽きる。という感じだった。

今回のテーマは「決められないニッポン 民主主義の限界?」。討論するのは70年以降生まれの論客10人。まず各人の紹介&意見を述べる最初の一巡で、與那覇先生は「日本の民主主義の限界は、拒否権を持っている人が多すぎること」だと、いきなり明快すぎるほど明快に指摘しつつ、「日本の国会議員は〈百姓一揆〉の〈子孫〉」と歴史学者らしい例えを繰り出す。そして「国会議員の役割は、政府がまずいことをしようとしたらストップをかけること」であり、「決めさせないこと、間違った決定を下させないことに関しては、日本の民主主義は強い能力を発揮してきた」と説明。

議論の中盤には、日本の民主主義は「ダメ出しは盛り上がる。威張ってる奴の首を取る。それが日本の社会変革の場面で必ず起きるパターン。60年安保闘争も総理大臣を首にするまでは盛り上がった」という分析を披露。日本の地方自治についても、「空洞化している。オール与党体制で政党政治が機能しない、一回当選すれば知事は長期に亘り務めるなど、最も意味のない民主主義をやってきた」と一刀両断。

議論の殆ど最終場面でも、「日本人には民主主義は向いていない」と言い放ち、最初から最後まで、要所要所で鋭い存在感を発揮していた。(日本人は共感の幅を広げることが極めて不得手、というのが民主主義に向いていない理由)

テーマからすると哲学系の論者二人が議論をリードしてもおかしくないが、概ねオーソドックスな意見だったので、與那覇先生の鋭さの前には霞みがちだった。

議論の中で出てきたテーマでは、中間集団の解体がポイントかと個人的には思う。論者の言葉を使えば、今後は中間集団を再強化するよりは、中間集団なしでやっていく社会を目指す方向なんだろう。ネットワークによる「ウィークタイ」の形成とか、「見えない結社」の組織化とか。

「ノマド」って言葉も出てきたけど、これは自分の世代だと、懐かしの80年代ポストモダン、ドゥルーズかって感じ。今頃なぜとか思っちゃうが、まあいいか。

オーディエンスの「きもの」君のコメントが数回取り上げられていたけど、彼って討論に先立って放映された「ゼミ編」に出てた人だよな。

自分なりに思うことは、議論の中に「専門家に対する不信感」という言葉もあったけど、個人的にはそんな感じはなくて、この番組もそうだし、世の中にはいろんな人のいろんな意見が溢れているのに、どうして世の中は良くならないのか、不思議だったりする。専門家の意見を集約して活用すればいいんじゃないの?・・・と素朴に思うのだけど、でもそうなっていない。

今もめてる消費増税も、社会保障と税の一体改革の一環であるとしても、社会保障制度改革に向けた専門家の様々な提言が取り入れられている気配は無いまま、政府は増税に突っ走る。不可解。

日本もイタリアのように、いっぺん政治家抜きで専門家主体の内閣を期間限定で作ってみたらどうですかね。

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