柄谷行人と「反原発運動」
雑誌「小説トリッパー」春号に掲載された柄谷行人インタビュー記事(「トランスクリティーク」としての反原発)からメモする。
私が長い間デモに行かなかった理由は、それまでの諸党派に対する反発があったからです。中核・革マルは嫌だし、共産党も嫌だし、進歩派市民団体も嫌、そうなると行けるデモがなくなります(笑)。しかし原発事故が起こってから、従来のいきさつ、党派への反発を留保することにしました。どこが主催するデモであっても構わない、と考えるようになった。
自然発生的な運動。私はそれをアソシエーションと呼んだり、評議会(カウンシル)と呼んだりしています。日本でいえば、1960年代末の全共闘もそういうものでしょう。自然発生的にできた運動です。しかし、自然発生的な評議会は一定期間しか続かない。だんだんと人が減って、残った人間は「党派」だけになる。それでも、このような運動体が完全に無くなってしまうことはないのです。いったん無くなったように見えても、また必ず回帰してきます。
ギリシアの直接民主主義。私は、それさえ、すでに以前あったものの回帰であると考えています。「以前」とは、遊動的な狩猟採集民のバンド社会です。ここでは生産物は皆に平等に分配される。が、氏族社会と違って、個々人は自由で、いやになったら出ていけばよい。このような遊動民バンドのあり方は、現世人類以前の原人の段階まで入れると、100万年以上続いた。だから、そのような生き方の痕跡が完全に消滅することはないでしょう。実際、それはたかだか1万年ほど前に始まった新石器革命以後の社会に、何度も回帰してきているのです。私はその例を、ギリシアの直接民主主義だけでなく、各地の普遍宗教の運動にも見出します。
先ほど、私は、諸党派のデモが嫌で、長い間デモに行かなかったといいました。そういう考えは、冷戦構造の下では理由があった。しかし、冷戦構造が消えたあとにも、そのようなスタンスをとりつづけるのはおかしい。だから、私はこれまでのやり方を変えたのです。
2011年に日本で原発事故があったということ、そして、反原発の運動が始まったということは、いずれ日本人を根本的に変えることになるだろう。私はそう考えています。
・・・民主主義国家で国民が投票以外に意思表示する手段としては、デモしかないのは自明だ。デモで世の中を変えられるかどうかは別にして、意思を表明することが大事なのだ・・・とはいいながら、俺もデモやボランティアに行かなきゃな~とか思いつつ、いまだ実行していない。(汗)
で、ちょっと違う話になるけど、生きづらい社会環境の中にある若者に対して最近、中高年識者から「なぜ立ち上がらないのか」という批判というかイチャモンが付けられた時、例の古市憲寿君が「そう言うならまず自分たちが立ち上がってくださいよ」と至極正論を述べたことがあった。そんなことも考えると、御年70歳でアクションを起こしている柄谷先生は立派だ。
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