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2012年3月18日 (日)

吉本隆明、死去

思想家・吉本隆明が16日に死去。昨日17日付日経新聞文化面に掲載された橋爪大三郎・東京工業大学教授の追悼文(思考の自立貫いた生涯)からメモする。

政治に抗して文学の自立独立を守ろう。そして文学の営みを、科学の精神で根拠づけよう。これが吉本氏の仕事の、原点である。
戦後日本は、軍国主義の圧迫が除かれ、自由と民主主義の光にあふれているはずだった。が、強い磁場が支配していた。マルクス主義・日本共産党の権威。大学の虚像。さまざまなグループの党派的な利害確執。それらすべてに縛られず、個としての思考の自立をまっとうする。誰にも真似のできない孤高の戦いが、若い世代の人びとをひきつけた。
 

権力をなにより憎んだ吉本氏は、「前衛(知識人)が大衆を指導する」というマルクス主義の原則を裏返した。「大衆の原像」がそれである。 

(あるイベントで)私は、「権力は必ずしも悪いものとは限らないと思うのですが」と発言した。吉本氏はちょっと嫌な顔をされ、「あなたの考えは間違ってる」とたしなめられた。 

吉本隆明氏の思想家・文学者としての評価は、これからだ。願うのは、氏の仕事をリアルタイムで知らない若い世代の人びとが、その業績を読み継いでくれることである。

・・・追悼文冒頭の橋爪先生の簡潔なまとめは図らずも、吉本隆明の存在感は、ある時代の文脈に密接に絡んでいたことを示している。だから、その時代を離れて存在感を保ち続けることができるかというと疑わしいわけで、これからも吉本隆明が読まれて欲しいという橋爪先生の「願い」が叶えられる可能性は、低いだろうな。

しかし、徒に年を食ってしまった自分には、まあ、吉本隆明に限らず、結局は言論も流行ものだなという、いささか薄ら寒い思いもある。それはまた、世の中はどんどこ変わっていってしまったな、という感慨でもあるんだけど・・・。

個人的な思い出としては、その昔、高田馬場に「寺小屋」教室という「私塾」があって、その場で吉本氏から「心的現象論」に関連する話を聞いたことがある。1980年代前半のことだ。

思えば、80年代で吉本氏の仕事は概ね終わっていたような気がする。『マス・イメージ論』、埴谷雄高との「論争」、反「反核運動」等々は評価の分かれた著作や言動だった。あるいはいわゆる「ロス疑惑」を巡る鮎川信夫との「訣別」・・・4年前の三浦和義再逮捕(そして自殺という、恐ろしく後味の悪い結末)の際、自分は吉本―鮎川の対談を読み返したりした。

吉本隆明が偉大な業績を残したという感じは特にない。吉本ファンは、「思考の自立」という一種のロマンティシズムに魅かれる、のかも知れないが、自分はこれからも吉本隆明をまともに読むことはないだろう。でも、特に吉本氏に限らないけど、戦争を経験した人の話は聞いておきたい、という感じはあるので、そういう意味では参照するべき点もあると思う。

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