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2012年3月21日 (水)

フリードリッヒ一世、二世、三世

スペイン旅行でプラド美術館のカール5世肖像画を見て以来、自分的には神聖ローマ~ハプスブルク帝国に関心を向ける気運がまたぞろ盛り上がってきたところで、偶々手に取った本の中に神聖ローマ関連の話があるのを見つけてしまうのは、我ながら可笑しなもんだな。その本は『それでも、日本が一人勝ち!』。日下公人と増田悦佐の共著で、まあ経済ジャンルの本と思っていいんだろうけど、その中で増田氏が、ドイツ人が一生懸命働く理由は、中世の神聖ローマ帝国の体制に由来すると語っているので、何それ、と思いつつメモする。

ドイツの歴史を振り返りますと、英邁なる君主であるフリードリッヒ(一世と二世)が二人いて、陰険で悪巧みに長けているけど愚鈍という、箸にも棒にもかからない君主だったフリードリッヒ(三世)が一人いました。 

フリードリッヒ一世は通称「赤ひげ」と呼ばれていた君主で、赤ひげが考えたことは、ドイツは意図的になるべく小さな領邦国家に分割しておいて、力は汎地中海帝国の樹立に注ぐ。そして、帝国の本拠地であるドイツはあまり統治し過ぎないようにしていました。 

フリードリッヒ二世は近眼の若はげで見栄えもパッとしない。しかし、天が彼に与えた才能は知的能力、とくに語学だったんですね。この君主は十字軍で唯一、アラブのカリフ(最高権威者)と直談判して、平和裡にエルサレムの統治を任されるほどの交渉上手でした。 

彼は、帝国内の領邦国家間が統一しないよう、意図的に分裂させて、絶妙のバランス状態を巧みにつくり、その間、自分はエルサレムの実験都市建設とシシリア中心に汎地中海帝国を築くという祖父フリードリッヒ一世の夢の実現に邁進したわけです。 

フリードリッヒ二世の没後約二百年で神聖ローマ皇帝となったフリードリッヒ三世は、愚鈍なくせに陰険というひどい君主で、金のために結局、臣下たちに領土権だけではなくて外交権も与えてしまいます。 

その結果、ドイツは分裂して宗教改革以降、殺し合いをくり返しました。大航海時代に世界各地に進出するチャンスを逸してしまったわけです。フランスやスペイン、イギリス、オランダのように、植民地を収奪したあがりで食べる、という階級が大きく成長しなかったのです。 

ドイツ人は二人の英邁なるフリードリッヒと一人の愚鈍なるフリードリッヒが領邦国家を放置していたものだから、植民地経営ができず、金利生活者階級が確立できなかった。自分が働かなければ食べていけない、という当たり前の勤労倫理を持っているんです。ヨーロッパの主要国では、ドイツ人にしかこの価値観は植え付けられなかったのです。

・・・少し補足すると、3人のフリードリッヒはいずれも神聖ローマ皇帝ですが、一世と二世はホーエンシュタウフェン家、三世はハプスブルク家です。時代は前二者が12世紀半ば~13世紀半ば、後者が15世紀後半。

しかし、ドイツ人がよく働くのは、神聖ローマ帝国の治世の結果というのも、結構ぶっ飛んだ話だな。中央集権が遅れた国は他にもあるけど、まあいいか。

90年代に証券アナリストの真似事をしていた僕は当時、建設会社の決算説明会で増田さんをお見受けしていた。増田さんも今や思想家だなと感心するばかりです。

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