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2012年3月19日 (月)

トレド、中世の翻訳センター

去年はシチリア、今年はスペインと、キリスト教とイスラムが混じり合う場所を訪ねたけど、中世の翻訳センターとしてのトレド(及びシチリア)について書かれた本を見つけたので、メモする。以下は、『翻訳史のプロムナード』(辻由美・著、みすず書房、1993)第二章「バグダードからトレドへ」から。

ヨーロッパ人は古代ギリシアの知的遺産を直接うけついだわけではない。中世ヨーロッパに入ってきたギリシア科学・哲学の大部分は、アラビア世界を経由し、アラビア学者たちの研究と注釈が加えられたものだった。 

実際、中世ヨーロッパがギリシア・ヘレニズム科学とほぼ無縁だった時代に、アラビア世界はギリシア科学や哲学の主要な著作のほとんどすべてを自分たちの言葉に翻訳してしまった。こうして、アラビア世界で翻訳されたものは、つぎにヨーロッパ世界の言葉に重訳されることになる。そして、アラビア語からラテン語への翻訳は、ヨーロッパの「文明開化」をうながすのだ。 

イスラム教徒たちの大征服によってつくられた帝国の初期に建てられたウマイヤ朝(661-750)から、翻訳はすでにはじまっていたようだ。真に翻訳の時代をもたらすのは、ウマイヤ朝に反乱をおこしてこれにとってかわったアッバース朝(750-1258)である。イスラム帝国はバグダードを都とするアッバース朝(東カリフ国)と、いまのスペインのコルドバを都とする後ウマイヤ朝(西カリフ国)(756-1031)に分裂した。 

やがてコルドバはバグダードとならぶ世界的な学芸の中心地となる。そして、コルドバに蓄積された文化は、十一世紀のキリスト教徒によるスペインの再征服の後に、主としてトレドを架け橋としてヨーロッパに伝えられるのである。 

十二世紀は文字どおり翻訳の世紀となる。アラビア文化をヨーロッパに導入する架け橋となったのは、スペイン、南イタリア、南フランスであった。シチリアがギリシア・アラビア科学の西洋への伝達にはたした役割はとくに大きかった。シチリアは歴史的事情から、ギリシア・アラビア・ラテンの三つの文化が共存していたからだ。 

だが、アラビア文化伝達の最大の拠点となるのは、スペインのトレドである。1085年、キリスト教徒たちがイスラム教徒たちとの戦いに勝利し、アルフォンソ六世がトレドを奪回したとき、かれらはそこに巨大な文化遺産を発見するのである。トレドの図書館に所蔵されていたアラビアの書物は、当時のヨーロッパ人にとっては目もくらむほどの知識の宝庫であった。再征服から五十年あまりで、トレドは翻訳の一大センターとなる。 

トレドでなされた翻訳は、十二世紀末から設立されるヨーロッパの大学において中心的な位置をしめることになる。ギリシア科学・哲学にはアラビアの学者たちによって解説や注釈が加えられており、ヨーロッパ人はギリシアの文化遺産をアラビア学者の理解にしたがって受けいれたのだ。

・・・キリスト教化したローマ帝国から追い出された古代ギリシャの学問がイスラム世界に入り、それがトレドやシチリアで翻訳・逆輸入されて、ヨーロッパの「文明開化」を促した。この辺の文化史的な経緯は、面白すぎるくらい面白いと感じる。

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