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2012年2月28日 (火)

皇帝カール5世とモーリッツ候

大した予備知識も無しに美術館に行くと、「この絵はここにあったのか」と驚くことがたまにある。先日のスペイン旅行で訪ねたプラド美術館で出会ったのは、神聖ローマ帝国の皇帝カール5世を描いた大きな絵。皇帝は甲冑姿で槍を持ち黒い馬に跨っている。これ、ここにあったんだ~、しかしおっきいな~。(縦横およそ3×3メートル)

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この皇帝像は、『図説・神聖ローマ帝国』(菊池良生・著、河出書房新社ふくろうの本)の図版で記憶していた。絵のタイトルは「ミュールベルクのカール5世」。ミュールベルクとは、シュマルカルデン戦争(1546~47)で皇帝軍が大勝利を収めた地。この皇帝とシュマルカルデン同盟(プロテスタント諸侯)との戦争では、プロテスタントかつ同盟の指導者にも近い関係にありながら皇帝側に付いたザクセン候モーリッツが大いに働いた。

勝利した皇帝は帝国議会を招集し、ルター派を異端とする取り決めを突き付ける。これに諸侯、諸都市が次々に従う中、プロテスタントの有力都市マクデブルクが断固拒否を表明。ならばと皇帝は、モーリッツに10万の大軍を預けてマクデブルクに差し向けた。ところが、ここでモーリッツは敵方と取引。マクデブルクが偽りの降伏を示した後、モーリッツは皇帝に宣戦布告。叛乱軍に追い詰められた皇帝は、辛うじて落ち延びていった。1552年のことだ。

この反逆劇の話を聞くと、日本人としては、どうしても本能寺の変(1582)が思い出される。しかし、織田信長を抹殺した明智光秀とは違って、モーリッツの目的は、皇帝の強圧的な反プロテスタントの姿勢に対する異議申し立てだった。この後、皇帝の弟フェルディナントが調停に入り、皇帝側とモーリッツの間に和議が成立している。

それでも、信長と光秀みたいな話が中世ドイツにもあったんだと面白く思う。同じ16世紀の出来事、年数にしても30年しか違わないしなあ。

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