「絆」の年の終わりに
「今年の漢字」に「絆」が選ばれたことが示すように、2011年は「絆」の年だった。らしい。
らしい、と言うのは、震災や原発事故という危機の中で、実際に多くの人がお互いの絆の大切さを改めて確かめ合ったのか、あるいは困難を受け止め乗り切ろうとする社会的な意思が「絆」という言葉を多く流通させることになったのか、自分のような「絆」を持たない人間には判然としなかったからである。
確かに絆は大事だ。そりゃそうだ。しかし、もともと絆というものはそう簡単に作れるものではない。絆を作るのが下手くそな僕はそう思う。だから「絆」という言葉が大っぴらに流通する状況には、どことなく居心地の悪さを感じてしまう。
まあそんな年も終わりだ。思い出すと、去年の年末は、誰かと何かを共有することが人生の意味だ、みたいなことをブログに書いていた。なぜか今年の年末も同じようなことを考えている。それは、自分の居場所を作ることが人生の意味だ、ということだ。そしてやっぱり自分はそのことに失敗しているな、と思う。居場所というのはもちろん比喩的な言い方で、自分一人がいる物理的な場所ではなくて、自分が誰かと共鳴できる、そういう場所を意味している。なので、内容的には去年の年末に書いたことと、そんなに違わないとも言える。しかしいつものことだが、人生の意味はこれだ、と思っても、じゃあ具体的にどう実現すれば良いのか、それが分からない、というのが我ながら困ったもんだという感じなのである。
で、絆。おそらく絆とは、深い共鳴から生まれる人のつながりだろう。やっぱり僕には、そう簡単に作れるものとは思えない。
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