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2011年11月27日 (日)

『「世界史の構造」を読む』を読む

昨年(2010)、『世界史の構造』を出した柄谷行人。自分はというと、その昔ポストモダンが流行った頃、著作そのものではなくて対談やインタビューに目を通して、柄谷行人を何となく分かったような気分になっていた覚えがある。そんな柄谷行人の読み方(?)をしていた自分にとって、対談や討議が7本収められた『「世界史の構造」を読む』は良い本です。(苦笑)

以下にとりあえず自分にとっての最小限の要点を記します。

まず『世界史の構造』のモチーフとはどのようなものか。

それは社会構成体の歴史を、マルクス的「生産様式」ではなく、「交換様式」という経済的下部構造から捉えなおそうとする試みである。マルクス主義は、国家や民族や宗教などを、経済的下部構造に規定される観念的上部構造と見なした。とすれば、資本主義的な生産様式(階級関係)がなくなれば、国家は消滅するはずだが、たとえばソ連の国家権力や官僚機構が強大化したように、現実にはそうはならなかった。この経験と反省から、マルクス主義者は、上部構造の「相対的自立性」を重視するようになり、最後にはポストモダン思想が「経済的下部構造」を捨ててしまった。こういう状況に対して、柄谷先生は交換様式という視点を導入して、下部構造からの歴史認識を立て直そうとしている。

そして資本主義の現状について。

今は「資本の専制」が実現している。あらゆる領域で商品経済化が進められている。しかしそれは資本主義の強さの現われではない。むしろ資本主義が限界に追い詰められている現われであり、危機の最中にあるということだ。その端緒は1970年代初めに「一般的利潤率の低下」が起きたことだ。これを受けて、1980年代から「資本の輸出」による資本主義の危機克服の運動、いわゆる新自由主義が始まったが、それはむしろ新しい帝国主義と呼ぶべきものだ、と柄谷先生は言う。

こうして我々は新しい帝国主義の中にいる。だとしたら、将来の世界戦争を防ぐためにも、国家を揚棄して永遠平和を実現する「世界同時革命」が求められるのだが、それは日本が憲法第九条を実行することで先鞭を付けることができる・・・らしい。この世界同時革命の可能性は語られれば語られる程、その不可能性が示されるような気がしないでもない。(苦笑)

まあ、それはそれとして、ほかにも「恐慌とは、信用という観念性によって担保される資本主義の危機」とか、「普遍宗教は、自らが否定した国家に取り込まれることで世界宗教に転化した」とか興味深い指摘もあるし、とにかく資本主義社会の歴史と現実に対する新たな認識の枠組みと将来のビジョンを提示するという壮大な試みは、根底から物事を考えるということの具体的な姿と成果を我々に示しているように思われる。

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2011年11月25日 (金)

映画「アンダー・コントロール」

ドイツ映画「アンダー・コントロール」は、「原発関連」ドキュメンタリー。この春、核廃棄物処理施設の映画「100,000年後の安全」を見た私としては、こちらも見ておきますか、という感じで行くことにした。

映画は、ドイツにおける原子力発電所を巡る様々な現実の断面を紹介していくのだが、何しろ地味な作業や説明を淡々と映し出していく場面が多いので、見ているこちら側に強い感情が喚起されることも殆どないまま、静かに時間が過ぎていくのだった。(要するにちょっと眠くなりました、ってことです)

ひとつハッとした映像は、遊園地になった原発施設。完成したものの、使われることなく終わった巨大な冷却塔の中に立つ、空に向かって伸びる高い鉄塔。傘の骨のようなスタイルでブランコをぶら下げて回転する。最初に見た時、合成?と思ったくらい、ちょっとシュールな印象があった。

原発の是非、といった価値判断を示す映画ではないのだが、相当な手間ひまをかけて「支配下」に置かなければならない核技術というものに対して、ネガティブな感覚が生まれるのは抑えられないな、というのが正直なところ。

同じ原発関連とはいえ、焦点は異なる「100,000年後の安全」と比較してみると、「100,000年後~」が一種哲学的なメランコリーを漂わせるのに対し、「アンダー・コントロール」は概ね散文的な映像に終始しているので、映画としては「100,000年後~」の方が印象的だったな。

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2011年11月22日 (火)

日米の課題、政府債務削減

本日付日経新聞、米独立系格付け会社イーガン・ジョーンズのショーン・イーガン社長のインタビュー記事からメモ。

(今年の夏、大手格付け会社に先行して米国債を格下げした)
「債務上限問題を巡る議論の中で、社会保障費の削減に議会が踏み込めないことが見えてきたからだ。ベビーブーマー世代が退職期に差し掛かる米国は大きな曲がり角。退職者比率の上昇は連邦財政には二重の打撃だ。年金の支払いと医療コストが重くのしかかる」

(米国経済の構造問題について)
「他の先進国と同様、高齢化で成長力は落ちていく。技術革新が起きて生産性が向上しない限り、低成長は長期化する。欧州と同様、米国の信用度も危険度を増すことになるだろう。連邦債務の対国内総生産(GDP)比率は第二次大戦直後以来の高水準。社会保障費の膨張をいかに抑えられるかにかかっている」

(政府債務の格付けで重視するのは)
「債務の対GDP比率だ。GDPの伸びが高ければ問題は小さい。次に経済成長へ向けて適切な政策運営をしているか。それに教育や政府部門の効率性。ここ数年、アジア新興国とギリシャなど欧州の重債務国との差がついたのはこの点だ」

(日本への見方)
「債務の対GDP比率が高い。さらなる高齢化に財政がどう対処するか次第だ。日本は戦後素晴らしい発展を遂げ、それを民主政治で実現した。日本への厳しい見方がまん延しているが、政治の対応力に期待はある」

・・・高齢化による社会保障費増大が政府債務を膨張させるのは、先進国共通の現実。問題を緩和する一つの策は経済成長だが、それは先進国にはかなりの難題。とはいえ、アメリカは移民国家という成り立ちから、人口増加が見込まれるのは利点。移民は、高齢化抑制と経済成長を共に実現させる、有効な政策には違いない。財政再建を課題とする日本が、移民政策を選ぶかどうかは、また別問題だけど。

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2011年11月21日 (月)

東浩紀の「新しい言論空間」

雑誌「思想地図β」の編集長として、東浩紀は新しい言論空間の提示を目指している。今週の「週刊東洋経済」(11/26号)掲載のインタビュー記事から発言をメモする。

教養書や人文書が売れないのは、内容が時代に合わせてアップデートされていなかったり、高齢者に合わせすぎているからだ。どの雑誌を見ても書いている人は同じで、しかもその人たちがどんどん年を取っていっている。日本全体を考察するような、若手の論客がいない。 

政治というと、(「朝まで生テレビ」では)与野党の政治家が政局の与太話をやっている。政局なんて、未来にはほとんど関係ない。
それは論壇もそうで、保守系雑誌は天皇継承問題や対中関係ばかりで、左翼系の雑誌は格差や雇用問題の記事が並んでいる。それぞれの陣営で伝統芸能のようなことを続けている。こうした様子を見ると、日本の出版言論はいつの間にか現実へのキャッチアップをやめてしまったな、という感じがする。

たとえば、原発を進めるか、脱原発にするのかは、最終的には効率性の問題ではなく、どういう国を作りたいのかという価値の問題になる。それはTPP(環太平洋経済連携協定)でも同じことのはず。つまり、経済論理へのプラスアルファが価値判断の部分で、そこをめぐる会話が公共的な会話であり、政治をめぐる会話だ。 

価値判断には賭けみたいなところがある。リスクが高すぎるから賭けに乗るのをやめるのか、劣勢から挽回するためにリスクを承知で乗ってみるかというのは、最終的には個人なり国家なりの意思による。 

経済論理、経済論壇ではないオルタナティブが、今こそ求められている。

・・・もはや言論界には「与太話」と「伝統芸能」しか残っていない。その通り!
経済論理だけでは意思決定できない、大きな価値判断が必要だ。その通り!
日本という国がこれからどうあるべきかを大きな枠組みで論じたい、と言う東浩紀。その意気込みや良し!

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2011年11月20日 (日)

イタリアの明と暗

今、イタリアと言えば国債利回り急上昇とか財政再建とか、そんな話になるのかも知れないけど、それとは別の話。

少し前のこと、テレビのバラエティ番組でイタリアは「ナンパ大国」、みたいな感じで紹介されていたのを見たのだが、確かにイタリア人の男どもは、女をナンパするのは当たり前と思ってるみたいだ。もちろん、イタリア男にも内気な人はいて、番組ではイタリアの「ナンパ塾」を取材して、外見からしていかにも女性と話すのは苦手そうな男性が、ナンパ塾の講師の指導を受けながら、街なかの広場でナンパを実践する様子を映していた。まあ、イタリア人は男女共にナンパする・される前提の日常生活を送っているみたいで、何か楽しそうな感じがする。今度生まれる時はイタリア人が良いな、とか思っちゃうのだった。

しかし、だ。何事も光があれば影もある。一見、明るく楽しそうなイタリア社会にも暗部はある。マフィアを始めとする犯罪組織の存在だ。現在、東京・渋谷で公開中の映画「ゴモラ」は、ナポリを拠点とする犯罪組織「カモッラ」の活動を、ドキュメンタリータッチで描いている。カモッラは麻薬売買他の非合法活動に加えて、衣料製造や産廃処理などの合法事業にも進出。普通の人々の生活に入り込んで暗躍している。

たとえ犯罪に手を染めない人でも、組織に少しでも関わりを持ったら最後、味方でいるか敵に回るかで運命が決まると言ってもいい。裏切り者や邪魔者は、大概いきなり出し抜けに問答無用で銃弾を撃ち込まれる。敵と見なせば相手が女子供でも容赦はしない。殺人場面が多いわけではないのだが、古典的なギャング映画に漂う美学もへったくれもない、殺伐とした印象の残る作品。

しかしドキュメンタリータッチで上映時間2時間超の映画は疲れる。まあ楽しくなる話ではないこともあるが、恐らく手持ちカメラで登場人物の動きを追うように映し出していく手法のせいもある。まあ、こっちが若くないのもあるかな。

先日も日経新聞、イタリアの「南北格差」の記事をメモしたけれど、そういう背景からなのだろう、映画の中に「北部で一人を救い、南部で一家族を殺す」というようなセリフが出てくる。正直、細かいことは分からないにしても、「南北問題」の深刻さを垣間見るような感じ。誰かの生活は誰かの犠牲に上に成り立ち、そして犠牲になる側に悪のはびこる余地が大きいのだと考えると、やりきれない気持ちになる。

で、今度生まれる時は、イタリア北部人がいいな。(そういう結論かよ)

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2011年11月19日 (土)

天皇はつらいよ

本日付日経新聞、天皇陛下の入院関連の記事からメモ。

(天皇陛下の)負担軽減はここ数年いわれてきたが、今回の入院であらためて浮き彫りになったのは、天皇という「制度」が構造的に抱える問題だ。 

憲法と皇室典範には、天皇が高齢になった場合の規定がいっさいない。法で定められた国事行為は、天皇が70、80代になっても50代の壮年時と同じである。毎年11月23日に行われる新嘗祭(にいなめさい)で、天皇は厳しく冷え込む夜と翌日未明に各2時間も正座を続ける。こうなると一種の苦行だ。陛下は来月で78歳になられる。今年の拝礼は中止となったが、宮中祭祀も高齢の天皇が行うことを想定しているとは思えない。 

天皇の高齢問題はどの時代でも起きうる。ある程度の年齢に達した天皇は、国事行為だけに専念するなどの「疑似定年制」を検討できないだろうか。

・・・3年近く前、やはり日経新聞は「天皇に定年制はない」と書いていて、自分もメモした。今回の感想も変わらない。寿命が延びた今、天皇の「生涯現役」は理不尽である。天皇の基本的人権(?)をないがしろにするな。天皇にも引退する自由を認めよ。一世一元制も廃止せよ。という感じです。

(追記)秋篠宮は11月22日の記者会見で、天皇の公務について「定年制」の必要性に言及したとのこと。いいぞアキシノミヤ、見直したよ。

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2011年11月18日 (金)

「破滅博士」、世界経済を語る

本日付日経新聞掲載、ニューヨーク大学のルービニ教授のインタビュー記事からメモする。教授は2008年の金融危機を予測、「破滅博士」とも呼ばれる人物。

世界の主要国はすべて問題を先送りしている。リスクは至る所にあり、数カ月後か1~2年後か、いずれ世界経済は壁に衝突する可能性がある。 

欧州は日々事態が悪化している。財政緊縮と構造改革は景気の一段の悪化とデフレを招く。ユーロ中核国は景気刺激策に動かねばならない。しかし、ドイツが金融緩和に反対で、ユーロ安にも後ろ向き。
ギリシャのユーロ離脱は時間の問題だろう。もしユーロが無秩序に崩壊へ向かえば、08年のリーマン破綻より大きな衝撃となる。
 

米国には手品のような政策はもうない。財政支出の膨張は許されない。米連邦準備理事会(FRB)は一段の量的緩和に動くだろうが、銀行の超過準備が増えるだけで貸し出しに向かわない。ドル安政策も世界の国が通貨安を望めば、結局はゼロサムゲームだ。 

日本は首相が毎年のように変わり、長期停滞を脱する構造改革に踏みきれていない。日銀が緩和を続け国債は大半を国内で消化できてはいるが、永遠には持続できない。 

中国経済は13年以降にハードランディングするシナリオだ。国内総生産(GDP)の5割を投資でけん引する経済モデルは持たない。不動産バブルの崩壊や過剰設備で不良債権問題が噴き出す。

私は社会主義者ではないが、資本主義は自己破壊的だとしたカール・マルクスの指摘は正しかった。

・・・破滅博士の語る世界経済、お先真っ暗?

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2011年11月17日 (木)

イタリアの「南北問題」

昨日11月16日付日経新聞国際面記事(イタリア、南北問題根深く)からメモ。

モンティ新首相率いるイタリア新政権の行方に、国内の「南北問題」が影を落としている。自動車など主力産業が集積する北部では「南部を支える」構図への不満が根強い。北部を地盤とする「北部同盟」は野党になることを選択した。 

北部同盟は北部の地域政党で、1991年に誕生した。地方分権を主張し、北部がイタリアから分離して一国家となる「独立宣言」を出したこともある。現在は上院(定数315)で26、下院(同630)で59の議席を持つ。 

支持者らは北部の資金を税金として吸い上げ、公共事業などで南部に配るローマの中央政府を「大泥棒」と呼んではばからない。 

イタリアの一人当たりの国内総生産(GDP、2011年見通し)を100とすると、北部(北西部と北東部の平均)は約119、ローマなどのある中部は112、南部は68。最低はナポリ市がある中南部のカンパーニャ州(64)で、北西部のバレダオスタ州(133)の半分以下だ。 

南部は農水産業以外にめぼしい産業がない。09年の就業率(労働人口の中で実際に働いている人の割合)で見ると、北部は約51%、南部は37%。南部は雇用機会に乏しく、働きたくても働けないのが実態だ。南部の一部では依然としてマフィアが勢力を維持し、これが企業の進出を阻む。 

10年のイタリアの州ごとの輸出額では、北部が全体の約72%を占め、南部は12%。北部が南部を支えているのは揺るぎない事実だ。 

南北格差はイタリアが統一国家として誕生した1861年以来の問題だが、改善は進まない。

・・・歴史的に見れば、イタリア半島の北部と南部は長い間別の国々だったから、仮に北部が独立して南北に分かれても、元に戻るだけという感じかも知れない。とすれば現実の経済格差に歴史的背景も加わって、イタリアの南北問題は今後もくすぶり続けるように思う。

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2011年11月16日 (水)

増税か、福祉水準低下か

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(ギリシャにならないために)からメモ。

(日本の)政府債務残高はGDP比で200%を超え、主要国中最悪である。財政健全化に向けた政治のリーダーシップも弱い。にもかかわらず、長期金利は安定し、財政危機は顕在化していない。これは国内に政府債務残高を上回る個人金融資産の蓄積があるからである。

しかし今や政府はこれを急速に食いつぶしつつある。貯蓄投資バランスでみても、日本の経常収支はいずれ赤字化し、財政赤字を国内資金で賄えなくなる。日本がギリシャ化するまでに残された時間はどんどん短くなっている。

この状況に歯止めをかけるためには、歳出改革の断行、成長力強化による自然増収の確保、歳入改革(増税)の3つの取り組みが不可欠である。どれが欠けても財政健全化のシナリオは描けない。

デフレから脱却できぬまま空洞化が進めば、ますます日本の成長力は低下し税収は増えない。規制改革や環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の推進など、成長戦略の実効を上げるための政策を断行しなければならない。

成長戦略と同時並行で進めるべきは、歳出改革、とりわけ社会保障関連支出への切り込みである。この点、政府の社会保障と税の一体改革案では不十分である。年金制度の持続性の確保と、医療・介護のさらなる効率化に取り組むべきである。

問うべきは、増税か否かではなく、増税か社会保障水準の切り下げか、という選択肢である。

・・・成長戦略そして歳出と歳入の改革、やるべきことは決まっている。しかし規制緩和も含めてこれら制度改革を進める際に、「総論賛成、各論反対」となるのはいつものこと。結局何も決まらないまま、日本はずるずると「沈没」していく気配。政官の動きの鈍さに対して、「社会保障と税の一体改革の徹底!」を掲げるデモが起きても良い位だけどな。

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2011年11月 9日 (水)

「90年代」の「亡霊」

オリンパスの損失隠しで、新聞には「財テク失敗」「バブル崩壊」「飛ばし」などの言葉が並び(財テクは殆ど死語だな)、いわば「90年代」の「亡霊」がさまよい出たような感じ。日経新聞11/8付電子版記事(財テク企業オリンパスの罪と罰)からメモする。

1980年代後半のバブル期は、余裕資金を証券市場で運用し、ひと稼ぎをする財務部門が企業内部でも脚光を浴びていた。余裕資金と言っても今日のように有効な設備投資先が見当たらないから、企業内部に滞留してしまった資金ではない。旺盛な設備投資意欲に応えるために株式や新株予約権付社債(転換社債=CB)を発行し、市場から調達した資金のうち、直ちに設備投資に回さない部分を、財務部門が有効活用していたのだ。 

これを「財テク」と呼んでいて、その受け皿となったのが特定金銭信託(特金)や指定金外信託(ファントラ=ファンドトラストの略)だった。いずれも、企業が以前から保有していた株式と同一銘柄の株式を売買しても簿価を通算しなくていいという利点があったため、便利に活用されていた。しかも、投資顧問会社などのプロの運用担当者に運用を委ねるのではなく、証券会社の法人担当部員に運用を任せるのが一般的だった。 

株式バブルが崩壊する前までは、目標利回りをクリアすることも多かった。ところが、90年から始まったバブル崩壊とともに、困った証券会社は顧客の重要度に応じて(1)可能な手段で損失を補てんする(2)決算で損失が表面化しないように「付け替え」や「先送り」のお手伝いをする(3)顧客に損失を押しつける――などの対応をとった。

・・・で、顧客に損失を押し付けることができなくて潰れちゃったのが山一証券。自分で抱え込んだ損失を「飛ばし」ても隠しきれなくなり、1997年に破綻に追い込まれた。

オリンパスは本業が確りしてるから潰れるとまでは思わないが、上場廃止は免れないだろう。

欧米経済の「日本化」、すなわち欧米先進国がバブル崩壊後90年代以降の日本と同じ経済低迷の道を辿ることが懸念されている中、その日本では90年代の亡霊が出てきたと考えるのは、やや自虐趣味に聞こえるかも知れない。しかし、日本の「90年代」は完全に過去になっている、と断言することも難しくなった印象がある。

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2011年11月 5日 (土)

若者は立ち上がるべきなのか?

ウォール街「格差是正」デモをきっかけに、世界のあちこちで若年世代が社会の不公平を訴える中、日本における同様のデモは低調だった模様。「反原発」デモはそこそこ盛り上がっていたように思うんだけど、なぜ?・・・10月26日付日経新聞電子版記事(日本の若者はなぜ立ち上がらないのか)を読んだけど、学者やエコノミスト、コンサルタントの分析も、いまいち分かるような分からんような。

と思っていたら、その若者世代である研究者からの「反論」(BLOGOS、10月28日付インタビュー記事)がネットで目に付いた。語るのは古市憲寿氏、何と26歳。若いな~。でも読んでみると、さすがに「当事者」だけあって、日経記事の中高年識者の分析よりも、そこはかとなく今の若者のリアルが伝わってくるように感じた。

古市君は言うのだ、みんな「若者語り」が大好きですよね、と。そして巷間様々に語られる「若者論」がピンとこなかったこともあり、近著『絶望の国の幸福な若者たち』の中で、なぜネガティブな若者論が繰り返されてしまうのか、分析したとのこと。でも、間違った若者像を是正したいとは思うけど、「こうしよう」という提言をする気はないそうだ。とりあえず「社会を変える」ということについて、彼の考えをメモする。

そもそも学生運動が凄く美化されているように思います。実際、学生運動って何かを変えたんですか?今の若い人たちの方が勝手に好きなことをやりながら社会起業、ボランティアサークル、学生団体、ベンチャーのような形で、自分たちの関われる範囲で社会を変えようとしている。その方が学生運動なんかよりよっぽど真面目に、社会と関わろうとしている証拠なんじゃないでしょうか。 

「社会を変える」という言葉に、世の中の何もかもがガラッと変えるというイメージを持つべきではないと思います。身近な自分のまわりのコミュニティの人間関係を良くするとか、そういう小さいことの積み重ねのほうがよっぽど大事なんじゃないですか。逆にそこからしか社会は変えられないと思います。 

「社会を変えること」を目的ではなくて、結果と考えて、気楽に生きていけばいいんじゃないかなあと思います。

・・・50歳過ぎの自分が、20代の若者の味方をするわけでもないが、ごくまっとうな話だと感じる。結局、社会を変えるには、地道な活動を続けるしかないんだろうな。

正直、自分も、「なぜ若者は立ち上がらないのか」なんて言うより、「中高年が立ち上がるべきだろう」とか思う・・・(すいません、思うだけで立ち上がっていません)。

20代の発言者というと、自分の世代では80年代の浅田彰のイメージが鮮烈なわけだが、古市君がそうなるかどうかは別として、今の世の中にも、そういう人が出てきてほしいと思っている。

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2011年11月 3日 (木)

「ウルトラマン・アート!」in水戸

今日は「ウルトラマン・アート!」展(茨城県近代美術館、本日より来年1月15日まで)を見に出かけた。・・・何も初日から行かなくても、と思うんだけどさ。(苦笑)

この展覧会のことは一年前、青森県立美術館に行った時にポスターを見て知った。その時は最初の会場である旭川でやってたのだが、さすがに北海道は遠いし寒いし、ってことで見送り。その後、岩手、鹿児島、福井と巡回、一年かけて茨城県水戸市までやって来たので、出かけた次第。自分がこの類の展覧会を見るのは、ウルトラマン伝説展(2006)、怪獣と美術(2007)、去年の青森県立美術館に次いで4度目。なので、成田亨のデザイン画や高山良策の造形など、何度か見たものもあるが、今回は海洋堂を始めとするフィギュアの展示が割と多かったのが特徴。

Photo

最初に写真撮影OKの展示室があって、ウルトラマン、ウルトラセブン、バルタン星人、メトロン星人(写真)、マグラ、ビラ星人、ビートル機、ウルトラホークが展示されていた。

ソフトビニール人形や雑誌類など、当時の関連グッズが並べられていたコーナーで、自分も子供の頃持ってたウルトラ怪獣カード(少し大きめのもの)を見つけた。成田亨のイラストが使われた「作品」ともいえるカード。ずっと持ってりゃ良かったな~。

去年、金城哲夫を取り上げたNHK番組を見た時と同じ感想をまた記すけど、天才たちが寄ってたかって作り上げたウルトラマン、ウルトラセブンを見て、僕たちは育ったわけで、ニッポンの子供で良かったなあと。

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2011年11月 2日 (水)

相場に常勝はありえない

泥沼化する欧州危機が招いた相場の波乱の中で、大物運用者たちも次々と苦杯をなめている――本日付日経新聞記事(カリスマたちの誤算)からメモ。

米連邦破産法11条の適用を申請したMFグローバルは、欧州危機で米金融機関が破綻した初の事例となる。イタリア、スペインなどを中心に自己資本の約5倍もの欧州短期債を保有。損失拡大懸念で顧客の解約が殺到し、経営が行き詰まった。 

破綻したMFグローバルを率いるジョン・コーザイン氏(64)は、かつて米ゴールドマン・サックスの債券トレーダーとしてウォール街に名をとどろかせた人物だ。ゴールドマン引退後は民主党の上院議員として鳴らしたが、華麗なキャリアは欧州国債の急落で暗転した。 

リーマン・ショックを逆手に大もうけしたジョン・ポールソン氏(55)、米債券王の異名を持つビル・グロス氏(67)も欧州危機で運用に失敗した。 

ヘッジファンド界の大物、ポールソン氏の誤算は米景気の悪化だ。景気回復を見込んで米金融株に投資したが、欧州危機で当てがはずれ、一部ファンドは半値に沈んだ。 

市場心理のアヤに屈したのが運用大手ピムコの投資責任者グロス氏。財政悪化で米国は最上級格付けを失い、米国債が売られると今春に予測。米国債を大量売却した。格下げの読みは8月にピタリと的中した。しかし皮肉にも、おびえた世界のマネーはいつでも換金できる米国債に流れ込み、価格は急騰した。 

カリスマたちの誤算は危機の深さを物語る。

・・・日本でも6年前、相場上昇の逆に賭けていた隅田浩氏のファンドが運用停止に追い込まれたのは、業界とその周辺ではまだ記憶に新しい事と思う。相場は恐い。どんな運用巧者でも常に勝つということはありえない、と改めて痛感する。

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2011年11月 1日 (火)

政官は覚悟も能力も不足

今週の「週刊東洋経済」(11/5号)掲載の、異色の元官僚二人、佐藤優と古賀茂明の対談記事(国家中枢へ告ぐ!)からメモ。

佐藤:古賀さんの著書のポイントは、「民主党政権が官僚を使いこなせていないという批判は、官僚の言い訳にすぎない」という点です。現下の政官関係が混乱している原因は、民主党政権の能力が低いというよりも、官僚が政治サイドからのオーダーをこなすことができていないことにあるのが真実だ。古賀さんは霞が関においてタブーである、官僚の能力問題に踏み込んでしまった。
古賀:本の中で「官僚は優秀であるというのは迷信である」と書きました。官僚は試験でいい成績をとったという意味では優秀です。しかし、さまざまな新しい課題が日本に突き付けられている中、官僚は従来とは違った政策を出さなければいけない。そうした政策イノベーションの能力があるかといえば、まったくの能力不足。霞が関の政策のパフォーマンスを測れば、成果なんて全然出ていないですよ。

佐藤:民主党の政治家は、自民党と比べて、いろんな点で乾いている。人情話が通じないという面もあるけれど、理詰めで行くとよくわかる人たちが多いのも事実だ。民主党政権の潜在力を過少評価してはいけない。
古賀:民主党議員は、与党になっても官僚と戦う意識が強すぎる。民主党は与党で、行政府の上に立つのだから、官僚は敵という意識では使いこなせない。
佐藤:民主党は、自民党政権時代に与党と官僚が緊張関係にあったことを理解していない。政治家と官僚は緊張感を持ちながら、日本国民と日本国家のために命懸けで働くという覚悟がなくてはいけない。
古賀:実際には、その覚悟が政治家、官僚ともに欠けている。

・・・政治家や官僚などエリートがいなければ世の中は回っていかないので、エリートの振る舞いをどうこう言う気にもならないけれど、この頃は要するにエリートを含めて日本人全体の質が低下してるってことじゃないだろか。

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