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2011年10月 1日 (土)

『原発と権力』など

巨大津波は原発事故を引き起こすと共に、微かに残っていた日本の「一等国」幻想をも完全に押し流してしまった、ように思う。

先月18日に放映されたNHK・ETV特集「原発事故への道程(前編)」。この、戦後日本の原発政策の過程と功罪をまとめた番組を見て、先に購入していた『原発と権力』(山岡淳一郎・著、ちくま新書)を読む気になった。本書にも、1954年に中曽根康弘の主導で計上された原子力予算、1955年の正力松太郎・読売新聞の原子力キャンペーン、1960年代からの米国GE社の「軽水炉」売り込みなど、ETV特集の映像でも紹介されていた事柄が記述されている。

本書はまた、原子力利用と核兵器開発の深いつながりを指摘する。以下にメモ。

原子力は政治の風向き次第で平和利用と呼ばれ、軍事転用と警戒される。発電のための「ウラン濃縮」や「使用済み核燃料の再処理」によるプルトニウム抽出は、核オプションに連なる。だから権力は原子力に長い手を伸ばそうとする。(はじめに) 

60~70年代にかけて原発開発が本格化した背景には、「核武装の潜在力」を高めたいとする政・官のすさまじい執念があった。
隣国の中国は、64年に核実験に成功した。首相就任後、初めて訪米した佐藤栄作は「個人的には中国が核兵器を持つなら日本も持つべきだと思う」と発言した。当時から自民党には核武装論者が少なくなかった。(第三章 資源と核 交錯する外交)

・・・当時の日本が核武装を模索していたことは、ちょうど一年前のNHK番組でも取り上げられていた。明治以来、世界に冠たる地位を占める「一等国」を目標に猪突猛進した日本の大いなる野望は、太平洋戦争の敗北によって潰えたかのように見えたが、むしろ敗戦のトラウマを解消するべく、なお「一等国」を目指したいという意思が、戦後しばらくは日本の指導者の中に蠢いていたようだ。

佐藤はその後、「非核」表明と引き換えのような形で、沖縄・小笠原返還を実現する。しかし核兵器開発は放棄されても、原発の建設は止まらない。田中角栄は「電源三法」を制定(74年6月)、原発建設に対する多大な交付金の支給により、原発を「利権化」する。そして中曽根が首相の座についた時代、少なくとも十基の原発が「発注」され、「歴代首相のなかで、在任中の原発推進度は群を抜く」、と本書は指摘する。その当人は、今は「日本を太陽国家にしたい」と語っているそうな。うへえ。さすがは「風見鶏」って感じ。

核兵器開発力と原子力の保持に示された「一等国」への執着。この「一等国」幻想は、日本の国策の中に密かに命脈を保っていたようだが、それも今回の原発事故で、ほぼ息の根を止められたかと思う。とにかく、この先も原発建設に拘るのは、核兵器開発に拘るのと同じように愚かであると言えるだろう。

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