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2011年10月23日 (日)

変わる歴史、変わる教科書

時々、テレビなどで歴史の知識が昔の教科書で学んだものと違うのを見聞きすると、へぇ~って感じになるわけだが、『こんなに変わった歴史教科書』(山本博文ほか著、新潮文庫)は、中学校社会科歴史分野の「昭和」教科書と「平成」教科書を比較しながら、記述が変化している点を取り上げて解説してくれている。例えばこんな部分。(昭和教科書 → 平成教科書)

大和朝廷 → 大和政権、さらにヤマト政権あるいはヤマト王権
仁徳天皇陵 → 大仙古墳
日本最古の貨幣:和同開珎 → 富本銭
鎌倉幕府成立:1192年 → 1185年が有力
源頼朝像 → 伝源頼朝像
倭寇:日本人 → 日本人以外の人々も多くいた
島原の乱 → 島原・天草一揆
鎖国 → 「鎖国」の記述は消える

これは、もちろん歴史研究の進展や深化が反映されていることがある。特に古代史は、考古学的研究の成果が取り入れられてきた。

それと、現代の専門家を含む我々の歴史に対する観点が変化して、それが研究に反映されてきた、ということもある。例えば島原の乱の名称変更の背景には、以下のような考え方がある。本書からメモ。

「乱」には、「由井正雪の乱」「大塩平八郎の乱」などのように、支配者にとってしかるべき秩序を暴力的に乱したもの、という意味がこめられている。戦後の歴史学は、民衆の闘争の歴史を高く評価するようになり、これまでの支配者側の観点でとらえることは問題があると考えるようになった。

また、「鎖国」についても、江戸時代の日本は長崎、対馬、薩摩などを窓口として中国、朝鮮や東南アジア諸国とのつながりは保っていたと考えられるようになったのだが、その理由についてメモしてみる。

ヨーロッパに対する閉鎖的な側面ではなく、東アジアへの「開けた」側面に注目し評価するようになった、その背景には、研究者に限らず、現代に生きる日本人の一般的な傾向として、欧米から東アジアへと経済的、文化的な関心を移行させてきたことがあげられる。このような変化は、研究者の歴史の見方に反映し、新しい見解が出されるようになる。それが学界の中で支持を得てある程度定着すると、教科書の記述に反映していくのである。

・・・歴史研究の内容と観点の変化に伴い教科書も変わってきたし、ということは今後も変わっていくだろう、ということでもあるので、時々は歴史の勉強をやり直す方がよろしいようです。

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