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2011年10月31日 (月)

株価の示す社会の「下流化」

消費関連企業の株価を見る限り、誰かが言ってた社会の「下流化」はどうやら現実のものになりつつあるらしい。本日付けの日経新聞電子版記事(株価が示す「中流意識層」の大没落)からメモする。なお、文中の高級品企業10社はHOYA、オリエンタルランド、TOTO、オンワード、セコム、ヤマハ、高島屋、三越伊勢丹、資生堂、帝国ホテル。生活防衛企業10社はABCマート、しまむら、ヤマダ電機、ファーストリテイリング、スカイマーク、ニトリ、王将フード、ゼンショー、良品計画、サイゼリヤ。

株価を見ても、中堅層のちょっとしたぜいたくに応えるような商品やサービスを提供している高級品企業は低迷が続く。百貨店やホテル、高級ブランド商品のメーカーなど10社を抽出し、合計時価総額の推移をみると、米国の住宅バブルが崩壊する前の06年1月には6兆9300億円のピークを記録したが、直近では2兆7800億円と59.9%も減少した。リーマン・ショック後の落ち込みからの回復も鈍い。

米市場ではティファニー、コーチ、ササビーズ、ロイヤル・カリビアン・クルーズなどの株価が大きく上昇し、高級品消費の健在ぶりを示している。しかし、日本では低所得層が目の敵にするような超富裕層が少ないこともあり、高級品企業といっても基本は中堅層相手。その層の家計が余裕を失い、今後もさらに負担増を余儀なくされそうなことが、株式市場での警戒感につながっているように見える。

生活防衛企業10社の時価総額はじわじわと高級品企業10社の時価総額と差を縮めている。10年前には前者が後者の30%前後だったが、直近では60%弱にまで高まった。業績をみても高級品10社の売り上げは頭打ちなのに対し、生活防衛10社は伸びている。利益面では10年3月期には生活防衛10社の合計経常利益が高級品10社の合計経常利益を初めて上回り、12年3月期にはさらにその差を広げる可能性がある。もともとの低所得層に加えて家計の余裕を失った中堅層が参入し、生活防衛企業はこれからますます栄えるのかもしれない。

・・・かつて、もう30年も前のこと、この国では「一億総中流化」が語られたりもしたのだが、それも結局は一時の幻だったとしか言いようがない。

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2011年10月26日 (水)

値段が付く事が市場では肝心

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(長期投資家と証券市場)からメモ。

証券市場における合理的な株価形成を考えれば、株式の売り買いを繰り返してくれる多数の投資家が必要である。多数が売買に参加することによって、多数の人々の判断を総合してよりよい価格形成ができるようになる。そのようにして取引される株式の量が大きければ大きいほど、市場はうまく機能する。

株を買った後は長期にわたって持ち続けてほしいと思うのは、経営者としては自然な感情である。だから、企業経営者は、短期で取引を繰り返す投資家よりは、長期にわたって持ち続けてくれる株主の要望にこたえようとする。日本はこの傾向がより強い。

企業にとっての望ましい投資家と、市場にとっての望ましい投資家とは違うというのが、証券市場に内在する根本的な問題である。市場関係者と企業経営者が想定する投資家が異なる結果、市場関係者が決める規制やルールが企業経営者にはゆがんで見えてしまう。

この場合、どちらが正しいとは一概に言えない。両者が納得できるルールを設定するのは難しい。不可能だと言ってもよいかもしれない。

・・・ということで、コラム氏は一例として国際会計基準(IFRS)を挙げている。つまり、投資家が投資対象である企業を比較評価するための世界共通基準がIFRSであり、企業経営者にとっては余り意味のない会計基準である、という話。

IFRSはともかく、コラムの初めにある合理的な価格形成、要するに値段が付くってことが大事、それは証券会社に勤めるワタシも強く思う。長期投資家や企業経営者が眉をひそめるかも知れない人たちである投機家や短期投資家、彼らが毎日でも売買してくれるおかげで株価が付く、それが何より大事。当たり前のことかも知れないけど、何事もそこから始まるわけで。(時に合理的というより心理的な価格形成もあるけどね)

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2011年10月24日 (月)

イスラムの知が生んだ西欧近代

今週の「週刊東洋経済」(10/29号)の書評欄に、『イスラームから見た「世界史」』(タミム・アンサーリー著、紀伊国屋書店)という本が取り上げられている(評者は山内昌之・東京大学大学院教授)ので、メモする。

11世紀から12世紀に活躍した「世界史に残る知の巨人」ガザーリーの業績を立体的に描く筆致は、読者を一気にイスラーム文化史に引き込むだろう。ガザーリーの『哲学者の意図』は、ヨーロッパに伝わって西欧人にほぼ最初のアリストテレスとの出会いを可能にさせた。ガザーリーのあまりにすばらしい哲学解釈に、著者がアリストテレスその人だという誤解さえ与えたほどだ。

数学や自然科学の結論が神の啓示と矛盾する場合にはどうなるのか。ガザーリーは結論のほうが間違っていると断定した。しかし著者も言うように、科学は啓示と同じ結論に達した場合にのみ正しいのなら、科学の必要性はどこにあるのか。実際に、イブン・ルシュド(アヴェロエス)は反駁を加えたが、論争に勝利を収めたのはガザーリーだった。これ以来、ギリシア思想に基づくイスラーム哲学は衰退し、ムスリムは自然科学に対する関心を失った。

著者は明言していないが、イスラームに学びながら、それにかわって自然科学を発達させたのはヨーロッパなのだ。この差こそ近代化の成功をめぐる明暗につながる。

・・・古代ギリシャの哲学と自然科学が、時を隔ててイスラム経由で中世西欧に伝えられた後、西欧においては哲学と科学は大いに発展したのに対して、イスラムでは衰退または停滞した。歴史におけるこの逆説というか、同じ一神教の宗教地域における社会の発展の不可思議なねじれがなぜ起こったのか。それには近代化というか、世俗化という観点から見ないと分からないかな、と何となく思う。

この本を翻訳した小沢千重子さんは、『中世の覚醒――アリストテレス再発見から知の革命へ』という本(これも紀伊国屋書店)も訳している。やっぱりね、翻訳者って有り難い存在だと、つくづく感じるよ。

それにしても、あらためて古代ギリシャの学問って凄かったんだなあと思う。イスラム世界にもキリスト教世界にも多大な影響を及ぼしたわけだから。でも今のギリシャはヨーロッパのお荷物、世界経済混乱の元凶扱い。トホホな感じ。

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2011年10月23日 (日)

変わる歴史、変わる教科書

時々、テレビなどで歴史の知識が昔の教科書で学んだものと違うのを見聞きすると、へぇ~って感じになるわけだが、『こんなに変わった歴史教科書』(山本博文ほか著、新潮文庫)は、中学校社会科歴史分野の「昭和」教科書と「平成」教科書を比較しながら、記述が変化している点を取り上げて解説してくれている。例えばこんな部分。(昭和教科書 → 平成教科書)

大和朝廷 → 大和政権、さらにヤマト政権あるいはヤマト王権
仁徳天皇陵 → 大仙古墳
日本最古の貨幣:和同開珎 → 富本銭
鎌倉幕府成立:1192年 → 1185年が有力
源頼朝像 → 伝源頼朝像
倭寇:日本人 → 日本人以外の人々も多くいた
島原の乱 → 島原・天草一揆
鎖国 → 「鎖国」の記述は消える

これは、もちろん歴史研究の進展や深化が反映されていることがある。特に古代史は、考古学的研究の成果が取り入れられてきた。

それと、現代の専門家を含む我々の歴史に対する観点が変化して、それが研究に反映されてきた、ということもある。例えば島原の乱の名称変更の背景には、以下のような考え方がある。本書からメモ。

「乱」には、「由井正雪の乱」「大塩平八郎の乱」などのように、支配者にとってしかるべき秩序を暴力的に乱したもの、という意味がこめられている。戦後の歴史学は、民衆の闘争の歴史を高く評価するようになり、これまでの支配者側の観点でとらえることは問題があると考えるようになった。

また、「鎖国」についても、江戸時代の日本は長崎、対馬、薩摩などを窓口として中国、朝鮮や東南アジア諸国とのつながりは保っていたと考えられるようになったのだが、その理由について以下にメモしてみる。

ヨーロッパに対する閉鎖的な側面ではなく、東アジアへの「開けた」側面に注目し評価するようになった、その背景には、研究者に限らず、現代に生きる日本人の一般的な傾向として、欧米から東アジアへと経済的、文化的な関心を移行させてきたことがあげられる。このような変化は、研究者の歴史の見方に反映し、新しい見解が出されるようになる。それが学界の中で支持を得てある程度定着すると、教科書の記述に反映していくのである。

・・・歴史研究の内容と観点の変化に伴い教科書も変わってきたし、ということは今後も変わっていくだろう、ということでもあるので、時々は歴史の勉強をやり直す方がよろしいようです。

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2011年10月22日 (土)

「1930年代」的状況の中で

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(資本主義の歴史的転換期)からメモする。

金融危機に端を発した経済危機は政治危機に発展しつつあり、資本主義の全般的危機ともいえる様相を帯び始めた。

バブル崩壊後の経済がたどるプロセスはほぼ一様だ。金融機関同士や、金融機関と企業・家計などの間の債務不履行の恐れが危険水準に近づくと、政府が金融・財政政策を駆使して民間の債務を肩代わりする。しかし、政府の政策対応にはおのずと限界があり、国民に負担を転嫁してバブルの後始末が終わる。

バブルで利益を得たのは富裕層や支配層で、後始末で負担を強いられるのは一般国民や貧困層という不公正が、大衆の怒りを買う。中産階級が没落し、貧富の格差が拡大したところにツケを回されれば、社会は分裂して秩序が乱れ、富裕・支配層も安寧を脅かされる。ひと時代前ならば、階級対立が激化して、革命や内戦に発展してもおかしくない危うさだ。

状況は1930年代に似てきたが、戦争や福祉国家が解決策だった歴史の単純な繰り返しはないだろう。先進国の経済水準は当時と比べものにならないほど高く、豊かさの中の貧困と格差の問題だ。問われているのは、強者の論理で国民経済の危機を招いた政治と経済のイデオロギーである。

・・・コラム執筆者の「混沌」は、編集委員末村篤氏のペンネームと推測されるが、いつものことながら時代状況を明快に整理するその批評眼に、私は学ぶところが多いっす。

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2011年10月20日 (木)

景気の「谷」は09年3月

内閣府は19日、2008年2月を景気の「山」、09年3月を「谷」と判定。直近の景気後退の期間は1年1ヵ月、1977年の後退期(9ヵ月)以来の短さだった。本日付日経新聞には、過去の景気回復期のランキングが掲載されているので、拡大期 / 期間 / 平均実質成長率の順でメモする。

①2002年2月~08年2月 / 6年1ヵ月 / 0.50%(戦後最長景気)
②1965年11月~70年7月 / 4年9ヵ月 / 2.80%(いざなぎ景気)
③1986年12月~91年2月 / 4年3ヵ月 / 1.40%(バブル景気)
④1993年11月~97年5月 / 3年7ヵ月 / 0.50%(バブル崩壊後の回復)
⑤1958年7月~61年12月 / 3年6ヵ月 / 2.70%(岩戸景気)

また、日経の伝えるところでは、景気動向指数を新基準で算出すると、景気の現状は3年前のリーマン・ショック直前の水準はもちろん、東日本大震災前の水準にも戻っていないとのこと。景気が2年半も前に底打ちして、回復局面が続いているといっても、これじゃあ実感は無いのも仕方がない。

株価が未だに、リーマン・ショック発生時の1万2000円が遠く感じられる水準にあるのも歯がゆい限りだが、それも景気動向に裏付けられているとしたら、相場についても今しばらくは停滞感の強い動きに付き合わなきゃならんのかなあと、いささか諦め気分である。

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2011年10月18日 (火)

だから中国は嫌われる

アフリカで反中国感情が高まっているそうな。本日付日経新聞国際面の記事「アフリカ、中国へ反感拡大」からメモする。

アフリカ中南部の国々で、天然資源の確保へ経済進出を強める中国への反感が急速に強まってきた。中国の企業や労働者を優遇する「ひも付き」の投資が多く、現地の雇用や貧困問題の改善につながらないためだ。

銅とコバルトを豊富に埋蔵するザンビアには、すでに中国企業約300社が進出。2010年の中国からの投資は10億ドル(約770億円)で、国内総生産(GDP)の6%に相当する。

9月20日のザンビア大統領選で勝利したサタ氏は、選挙戦で中国からの投資を徹底して批判。当選直後に中国大使を呼び、中国企業が絡む事業の全ての既存契約を再点検すると告げた。

中国の原油輸入の16%を占めるアフリカ最大の調達先のアンゴラは来年、総選挙を予定する。在職32年のドスサントス大統領は中国企業を積極的に誘致・優遇してきたが、これを批判するデモが頻発するようになった。

反発が広がる最大の原因は、投資先の国の経済底上げにつながらない中国の進出モデルがある。
中国はアフリカへの政府開発援助(ODA)でも、自国の製品やサービスを使う事実上のひも付きとする例が多い。中国側も、多くの企業が労働者を大量に派遣していることや、現地での雇用に消極的なことを認める。
「現地に富を落とさない」(日系商社幹部)手法に不満が噴き出す。

・・・中国の軍事行動は周辺国との間で摩擦を生み出し、アフリカでの企業活動にも現地からの反発が強まる――今の中国の政治的経済的振る舞いは、関係国に警戒感を抱かせるものでしかないような気がする。

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2011年10月16日 (日)

フェデリーコ2世評伝、邦訳!

本屋で初めて見た時、「ぎゃああああ~」と(心の中で)叫んだ、その本の名は『皇帝フリードリヒ二世』(カントーロヴィチ・著、小林公・訳、中央公論新社)。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(イタリア名フェデリーコ2世)の評伝が翻訳中と仄聞はしていたが、出るのはまだ先だろうと高を括っていたので、本屋にあるのを発見した時は本当に驚いた。何しろ大著、本文二段組み700ページ余り、お値段も税込7980円と超重量級翻訳本の登場だ。

個人的には今年2月にフェデリーコゆかりのシチリア島に行ってきたので、今年出してくれて本当に有り難う、みたいな感じです。

しかし原書が出たのは1927年と相当古い。今頃邦訳が出るのは、翻訳大国ニッポンらしくないね。まあ何にせよ買ってしまったので、とりあえず「訳者解説・あとがき」から、刊行当時の時代背景についてメモしてみる。

第一次世界大戦敗北によるドイツ帝国の消滅、屈辱と感じられたヴェルサイユ条約、輝きを欠いたヴァイマル共和国。当時多くのドイツ人は母国を栄光に満ちた偉大な国家へと蘇らせてくれる指導者を待ち望み、指導者の範例を、現在の惨めさとは対照的な輝かしい過去の中に求め、見出そうとしていた。このような人々の憧憬の知的・芸術的表現において重要な役割を演じたのが、ハイデルベルクの詩人シュテファン・ゲオルゲの周りに集まったエリートたちのサークルである。

詩人はシュタウフェン家のフリードリヒを東洋と西洋、ギリシアとローマの文化を統合した世界支配者として賛美していた。フリードリヒ二世を礼賛するゲオルゲ・クライスに属する人々の中には、ゲオルゲの提案によって1922年以来フリードリヒの伝記を執筆していたカントーロヴィチも含まれていた。

1927年に完成したフリードリヒ二世伝で描かれているのは、ゲオルゲのサークルにおいて憧憬された超人的指導者の化身であった。このような文学的パトスに満たされた伝記は、まさに皇帝不在の時代において、偉大なドイツ支配者像への想いが喚起されることを目的として書かれている。

・・・思い出したのは、1927年はハイデガーの『存在と時間』も刊行された年であること。つまり、『皇帝フリードリヒ二世』と『存在と時間』は共に、第一次世界大戦敗戦国ドイツの戦後の混沌の中から生み出された書物であり、同時代の雰囲気を共有しているんだろうな、ってこと。だからと言って、何を実感できるっていうもんでもないけど、ルネッサンスよりも前の13世紀に生きた、「世界の驚異」とか「アンチキリスト」とも呼ばれた皇帝って、既成の価値観を踏み越えるというのか、何となく実存、何となく超人、っぽい雰囲気だよな、とは思う。

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2011年10月11日 (火)

日本はロシアと組むべし

「中央公論」11月号、前原誠司と石破茂の対談からメモ。

石破:北朝鮮は生き残りのためなら何でもする国だと思ったほうがいい。北朝鮮に暴発されたらたまらないという中国の懸念を、いかにして取り除くかを考えなければならない。その際、日米韓の連携だけではだめであって、もうひとつロシアという国をかませていくことでこの問題は前進する。
前原さんは外相時代に対ロ外交の主軸として、シベリア鉄道の近代化や省エネなどの分野での協力に力を入れていた。この方向性は時宜を得たもので、間違っていない。北朝鮮問題を解決する観点から言っても、発展するべきなのです。・・・・・・と、そう見ていました。読みすぎですか?

前原:いえいえ。まさにその通りです。
いわゆる対ソ強硬論者は、「領土問題が前進しなければソ連には支援も協力もするな」という主張だった。物資が乏しく経済的にも困窮していて、日本の支援を必要としていた時代ならそれでもよかった。ところが日本が「失われた20年」を無駄に過ごしている間、ロシアはBRICSの一角を占めるようになった。今や経済的な勢いはロシアにある。中国やインドが台頭してくる中で、戦略的な観点に立ち、日ロは早急に協力分野を模索すべきだし、協力関係を構築できる可能性も充分にある。
日本は、ロシアに食い逃げされないようにブレーキとアクセルを踏みながらですが、日ロ関係を進展させるべきです。

・・・同じ「中央公論」連載記事(新・帝国主義の時代)の中で、佐藤優は、ロシア側が前原氏をゲームのできる相手と認めていることを紹介し、それは前原氏の外交の発想が、力の均衡を前提としているからだと指摘。前原氏は、今後の日露関係にとってキーパーソンになる、と述べている。

前原元外相の、安全保障も含めた外交戦略がいつか前面に出る機会が訪れて、これまでとは違う日本の外交が展開されることを期待したい。

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2011年10月10日 (月)

関ヶ原を歩く(久しぶり)

今日はJR東海さわやかウォーキングに参加するため、関ヶ原に遠征。今回のタイトルは、さわやかウォーキング開催第一号 20年前のコースを振り返る「関ヶ原古戦場めぐり」、ということで、とにかく祝20周年、今や定番コースの関ヶ原を久しぶりに歩いた。

関ヶ原駅を出発して、主なポイントは福島正則陣跡、大谷吉継の墓、宇喜多秀家陣跡、小西行長陣跡、島津義弘陣跡、石田三成が陣を構えた笹尾山、丸山のろし場、徳川家康の最終陣跡、そして東首塚・井伊直政陣跡と巡って関ヶ原駅に帰る。西軍諸将の主要な陣地は網羅されているコース。

で、笹尾山では「関ヶ原東西武将隊」なる人々のパフォーマンスが披露されていた。といっても、とりあえず最初にダンス・パフォーマンスした後は、ずっとトークして30分の出演を終わってたけど。しかし歴史上は最後は歩行困難、目も見えなくなった大谷吉継が、華麗な動きで舞い踊っていましたね・・・。(^^;

Photo
出演の最後にポーズを決める関ヶ原東西武将隊。左から島左近、大谷吉継、石田三成、徳川家康、本多忠勝、井伊直政の面々。しかし家康君は、もう少しそれらしくならんかねえ・・・。今週末15、16日は関ヶ原合戦祭り、さらに29日は名古屋で、当地の先輩格とも言える「名古屋おもてなし武将隊」とのコラボが予定されているそうです。

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2011年10月 8日 (土)

ウォール街の中心で不満を叫ぶ

本日付日経新聞社説(金融街デモを「反市場」に広げないために)からメモ。

「ウォール街を占拠せよ」を合言葉にニューヨークで始まった抗議デモが、米国の他の都市や欧州などにも広がっている。20代が中心の参加者の怒りの背景にあるのは、先進国に共通する若年層の失業問題だ。

リーマン・ショックの震源になった金融機関は政府の救済策で生き残り、高額の収入を得る経営幹部も多い。一方で、財政状態は悪化し、景気の回復は鈍く、職に就けない若者が目立つ。「なぜ、われわれは救済されないのか」。不公平感から、批判の矛先が金融街に向かった。

成長、緊縮財政、格差の拡大――多くの国が共通の問題に直面している。そして現状への不満は、短絡的に「反市場主義」や「反グローバル化」につながりやすい面がある。

若者失業率の上昇や高止まりと同時に、中間層の貧困化も米欧で目立ち始めている。新興国での中間層の拡大とは対照的な現象だ。安定した民主主義の担い手である中間層が薄くなることは、政治の揺れにもつながる。

問題は、社会の安定をどう再構築するかだ。財政の制約は増しているし、貧困層の救済や福祉の拡充などの対処療法だけでは本質的な解決にならない。若年層の技能や活力を高め、生産的な活動に参加できるようにする仕組みが必要である。

日本を含む先進国は、より高度な知識や技能を伴う雇用を増やし、より高い付加価値を生み出す国内経済を築く努力を強めるべきだ。生産性を高める雇用制度や教育の改革も必要だ。

・・・いかにも日経新聞らしい御意見。グローバル市場経済は所与の現実であると。結論部分もいつもの話。日経を習慣的に読む証券会社社員としては、特に異論はないけれど、日本の改革の実行力には懐疑的なので、ちょっとユーウツを感じる。

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2011年10月 5日 (水)

関ヶ原の華は大谷と福島

今夜のNHK「歴史秘話ヒストリア」は、関ヶ原の戦いにおける3人の武将の決断と運命を取り上げていた。大谷吉継、福島正則、吉川広家である。

個人的には関ヶ原といえば、大谷吉継と福島正則が一番のポイント。もう30年も前、TBS正月ドラマ「関ヶ原」で、大谷を高橋幸治、福島を丹波哲郎が素晴らしく印象的に演じているのを見て以来、その思いはずーっと変わらない。ついでにいうと、このドラマでは石田三成が加藤剛、徳川家康は森繁久弥という配役だけど、あんまりピンとこない。この両者の組み合わせとしては、NHK大河ドラマ「葵徳川三代」の津川雅彦・家康、江守徹・三成の方が良いぞ。

ということで、吉川広家はいらないんだけど、大谷と福島ということで少し期待して番組を見たら、大谷は豊臣への恩義を忘れず、福島は出世目指して徳川に付いた、みたいな作りだったから、う~ん・・・。自分はどうしても、吉継は三成との友情第一で西軍、正則は三成憎しの思いで東軍、という両者の三成絡みの心情と行動、その対照的な在り方に、歴史の中の人間ドラマを見る思いなので、ちょっとズレてる感じがした。それから、あれっと思ったのは、茶席での吉継の失態をフォローしたのは豊臣秀吉という話になっていたこと。これはもっぱら三成と吉継の話だと聞いていたのにな。どっちがホントなんや。

いらない吉川さんだけど、なぜか「空弁当」の話が無かったな。出陣しない言い訳が、いま弁当食べてます、ってやつ。ドラマでは、なべおさみがやってた記憶がある。何のドラマか改めて確認したら、これも「葵」だった。結構笑える雰囲気出してたと思う。

番組の最後にも語られていたけど、日本人は敗者である西軍に思い入れする傾向があるようだ。まあ分からないでもないけど、しかし当時既に、次の天下人は家康というのが現実的な流れだったわけだから、はっきり言って西軍はアホだと思う。しかし、そんなワタシも大谷吉継は別。やっぱり男の行動として、心打たれるものがある。関ヶ原の墓にも、米原の首塚にも行ったことあるし。思い返すと、福島正則ゆかりの広島城小布施も行ったんだよな。結構俺って熱心だなあと思ったりする。

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2011年10月 1日 (土)

『原発と権力』など

巨大津波は原発事故を引き起こすと共に、微かに残っていた日本の「一等国」幻想をも完全に押し流してしまった、ように思う。

先月18日に放映されたNHK・ETV特集「原発事故への道程(前編)」。この、戦後日本の原発政策の過程と功罪をまとめた番組を見て、先に購入していた『原発と権力』(山岡淳一郎・著、ちくま新書)を読む気になった。本書にも、1954年に中曽根康弘の主導で計上された原子力予算、1955年の正力松太郎・読売新聞の原子力キャンペーン、1960年代からの米国GE社の「軽水炉」売り込みなど、ETV特集の映像でも紹介されていた事柄が記述されている。

本書はまた、原子力利用と核兵器開発の深いつながりを指摘する。以下にメモ。

原子力は政治の風向き次第で平和利用と呼ばれ、軍事転用と警戒される。発電のための「ウラン濃縮」や「使用済み核燃料の再処理」によるプルトニウム抽出は、核オプションに連なる。だから権力は原子力に長い手を伸ばそうとする。(はじめに)

60~70年代にかけて原発開発が本格化した背景には、「核武装の潜在力」を高めたいとする政・官のすさまじい執念があった。
隣国の中国は、64年に核実験に成功した。首相就任後、初めて訪米した佐藤栄作は「個人的には中国が核兵器を持つなら日本も持つべきだと思う」と発言した。当時から自民党には核武装論者が少なくなかった。(第三章 資源と核 交錯する外交)

・・・当時の日本が核武装を模索していたことは、ちょうど一年前のNHK番組でも取り上げられていた。明治以来、世界に冠たる地位を占める「一等国」を目標に猪突猛進した日本の大いなる野望は、太平洋戦争の敗北によって潰えたかのように見えたが、むしろ敗戦のトラウマを解消するべく、なお「一等国」を目指したいという意思が、戦後しばらくは日本の指導者の中に蠢いていたようだ。

佐藤はその後、「非核」表明と引き換えのような形で、沖縄・小笠原返還を実現する。しかし核兵器開発は放棄されても、原発の建設は止まらない。田中角栄は「電源三法」を制定(74年6月)、原発建設に対する多大な交付金の支給により、原発を「利権化」する。そして中曽根が首相の座についた時代、少なくとも十基の原発が「発注」され、「歴代首相のなかで、在任中の原発推進度は群を抜く」、と本書は指摘する。その当人は、今は「日本を太陽国家にしたい」と語っているそうな。うへえ。さすがは「風見鶏」って感じ。

核兵器開発力と原子力の保持に示された「一等国」への執着。この「一等国」幻想は、日本の国策の中に密かに命脈を保っていたようだが、それも今回の原発事故で、ほぼ息の根を止められたかと思う。とにかく、この先も原発建設に拘るのは、核兵器開発に拘るのと同じように愚かであると言えるだろう。

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