« 神学者ボンヘッファー | トップページ | マルコ福音書を読んだ »

2011年8月 8日 (月)

キリスト教の愛とは

ホームレス支援活動で知られる奥田知志氏の『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)の中に、キリスト教の愛について説明されている個所があるのでメモ。

「キリスト教は愛の宗教です。イエス・キリストは隣人を愛せよと教えられています。しかもその愛は、アガペーという言葉で、すなわち無償の愛とか自己犠牲の愛と言われるものです。罪のないイエスが私たちのために十字架にかかってくださった。このような無償の愛こそがキリスト教的愛なのです。」

・・・ただし、奥田氏は自身の活動はアガペーの実践では決してない、と仰る。う~ん、でも外から見ると充分そうなんですけど。

奥田氏の尊敬する人物はドイツの神学者ボンヘッファーということだが、この本にもボンヘッファーの著作から同じ文章が2回引用されている。以下にメモ。

「イエスが、すべての人間の罪を御自身に負い給うたゆえに、すべての責任ある行動者は、他の罪を負う者となる。罪の責任から逃れようとする者は、人間存在の究極の現実から離れ、しかしまた同時に、罪なきイエス・キリストが、罪ある人間の罪を負い給うという救いの秘儀を離れ、この出来事の上に示されている神の義認とは全く何の関わりをも持たないことになる。」

・・・つまり、十字架上のイエスが示した、他人の罪を引き受けるということが、人間存在の究極の現実なのである。(らしいです)

ちょっとたじろぎますが、奥田氏は続けてユーモラスに語る。再びメモ。

「所詮、赤の他人じゃないか。あなたに責任はない。あなたと関係ないじゃないか。自業自得。なのに、なんで他人事に関わるんだ。他人のことで苦しむなんて、あんたはアホか。」これらは、クリスチャンにとっては祝福の言葉である。「アホや」と言われたイエスをキリスト(救い主)と告白し、このイエス・キリストに従う者は、当然「お前もアホや」と言われる。そんなふうにあざけられたら、少しうれしい。そう、それでいいのだ。

・・・まあ、「無償の愛」とか言われると「無理」とか思っちゃうんだけど、もう少し軽く考えて「シンパシー」の能力を高める、くらいなら自分にもできるかな。

|

« 神学者ボンヘッファー | トップページ | マルコ福音書を読んだ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/41106458

この記事へのトラックバック一覧です: キリスト教の愛とは:

« 神学者ボンヘッファー | トップページ | マルコ福音書を読んだ »