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2011年7月31日 (日)

中世哲学がキテる。ような。

最近、哲学を齧り直しているところだが、何となく焦点が中世哲学になってきた。

最初はとりあえず、西欧形而上学、ニーチェいうところのキリスト教とプラトニズムのないまぜになったニヒリズムの運動、その内実を少し見ておきますか、という気分で、4月から朝日カルチャーセンターで西洋哲学史の講義を受けながら、哲学史やキリスト教など関連本をチェックしていくうちに、どうも今は中世哲学がそこはかとなく盛り上がっているような気配を感じた。

確かに、中世哲学というか神学は、もろ「キリスト教+プラトニズム」のイメージだし、新しい研究が出てきているなら、哲学の齧り直しのメインとしては、ちょっと歯応えありそうな感じ。

ということで、まずはドゥンス・スコトゥスの研究者、八木雄二先生の『中世哲学への招待』(平凡社新書、版元品切れ)、『「ただ一人」生きる思想』(ちくま新書、版元品切れ)をネットで取り寄せて読み、さらに大著『天使はなぜ堕落するのか』(春秋社、2009)も遮二無二読了。中世哲学を学ぶことは、ヨーロッパ精神の根底を知ることだと、つくづく感じさせられた。

で、中世哲学、それはキリスト教とアリストテレスの合体なんですね。だから、大枠としては「キリスト教+プラトニズム」かも知んないけど、ビミョーに違うかな。ただし、これは12世紀ルネサンスの話でもあるけど、この時代イスラム経由で逆輸入されたアリストテレス哲学は、新プラトン主義的な解釈が施されていたらしい。まあとにかく、アリストテレス死後1500年を経過したヨーロッパで、その哲学は信仰の理論化に援用され、当時作られ始めた大学でも多くの若者が学んだ。その影響力の大きさから、アリストテレスは中世の哲学者ともいえるとか。

明日も、中世哲学の講義(これも朝日カルチャーセンター)を聴きに行く予定。講師は、先頃、これもドゥンス・スコトゥスの研究書『存在の一義性を求めて』(岩波書店)を出したばかりの山内志朗先生。現代思想方面も絡めた話が聞ける模様。

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