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2011年6月23日 (木)

杉田玄白と平賀源内

杉田玄白と平賀源内、って親友だったんだなあ。タイプがまるで違う人のように思えるけど、だからこそお互い自分にないものに魅かれたという感じもする。

週刊「新マンガ日本史」の今週号は「平賀源内」、昨日水曜日のNHK歴史番組も平賀源内、今週は「平賀源内ウィーク」ですな。ひと月前には、マンガ日本史と民放番組の組み合わせによる「天草四郎ウィーク」があったっけ。

マンガの中で、源内は玄白に、というか半ば自分自身に向かって語りかける。

「私という人間は、いつも新しい物ばかり追い求めすぎる。蘭学に興味はあるが、玄白みたいに蘭語の本を翻訳してみたいとまでは思わない。これまで手がけた様々な事業も、思いついた時はきっとうまくいくと思うのだが、すぐに飽きて投げ出してしまう。いや、投げ出すというより時間がもったいなくなるんだ。次から次へと新しいことが思い浮かんで、そっちに夢中になってるうちに、昔やってたことなんてどうでもよくなってしまうんだ。だから、何をやっても成功しないんだろうな。きっと本当に才能がある人間というのは、玄白みたいに何かをやり遂げる努力ができる人のことをいうんだろう」

才人のユーウツを感じさせるセリフだ。源内に自分のひらめきを事業化し発展させる執念があればなあ、というか周りにそういう人がいればなあ、と思わせる。玄白はどっちかっていうと、ひとつのことを極めるタイプなんだろう。秀才型の玄白には、天才型の源内はまぶしく見える存在だったと想像する。源内が無念の死を遂げた時、玄白は「非常の人よ、何で非常に死んだのか」と嘆き悲しんだのだった。

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