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2011年5月23日 (月)

クジラのことで考える

反捕鯨団体との軋轢と緊張が続く和歌山県の太地町。その様子を記録した昨夜のNHK番組「クジラと生きる」を見た。とにかく反捕鯨団体の狂信的で悪意に満ちた振る舞いは、不快かつ不可解だという印象を受けた。

白人はイルカを食べてもOKで日本人はNGの本当の理由』(吉岡逸夫・著、講談社+α新書)もざっと読んでみた。第四章の大隅清治博士の科学的な意見がためになるし、第五章のデンマーク領フェロー諸島のクジラ漁に関する取材も興味深い。

吉岡氏は、反捕鯨団体の言動に日本人差別の気配を感じている。そして何より、自己主張の文化に対抗するには、こちらも自分の正当性を主張していかなければならないし、それは「太地町」と「尖閣諸島」の問題のこじれ方に共通した原因だ、と考えているようだ。

反捕鯨団体の「頭の良いクジラやイルカを屠殺するな」という主張に対しては、誰でも「じゃあ牛や豚はいいのか」と言いたくなるし、クジラやイルカを特別視する根拠も薄弱である。太地町の人々にとって、自分たちの生業が突如悪であると決めつける形でクローズアップされたのは、実に不本意なことだろう。

とはいえ、正直イルカ漁を文化や伝統という言い方で擁護する気にもなれない。映画「ザ・コーブ」は未見だけど、この映画が話題になったことで初めてイルカ漁のことを知って驚いた。野蛮だと素朴に思った。しかし時間が経ってみると、見せるべきでないものを見世物にしたこの映画のやり方には、嫌な感じもする。

感情的には、自分はイルカは食べないので殺すなよ、って感じ。クジラは食べたことあるから(例によって給食で)、殺すのを認めるしかないけど。しかしイルカとクジラは基本的におんなじ生き物なので、クジラは殺してイルカは殺すな、って思うのも変なんだけど。

だからといって狂信的な反捕鯨団体の主張は受け入れ難いし、漁民への妨害行為も許されるものではない。飛んでくる火の粉は、振り払わなければならない。事態は、もはや太地町が矢面に立つ形で対応する、というか、ひたすら耐える問題ではない、という感じがする。つまり捕鯨国との連携も強化しながら、政府レベルで踏み込んで介入していくべきじゃないかと。

太地町と尖閣諸島、確かに共通している印象はあって、それは自己主張の問題というか、何か右翼っぽくなっちゃうんだけど、国家の意思を明確に示せ、という話なんだろう。もちろん論理的には、国家の意思の行き着くところは戦争をする意思になる、ということはあるから、戦争に負けた日本は戦争する意思を封印して「反戦平和」ムードで長らくやってきたけど、どうもそれを長くやりすぎて、国家の意思のリーズナブルな示し方が上手くできなくなっちゃってるよな・・・とか、クジラのことで、とりとめなく考えました。

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