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2011年4月22日 (金)

西生浦倭城

僕が倭城というものの存在を知ったのはごく最近。3年前、「歴史読本」(2008年5月号)に関連記事とカラー写真で紹介されているのを見て、「おお韓国にも石垣があるのか、これはいつか見に行かなきゃ」と思ったのが最初。

急いで説明すると、倭城というのは豊臣秀吉が起こした朝鮮戦争の時に、朝鮮半島南部の沿岸約30ヵ所に日本軍が築いた城ですね。もちろん朝鮮側からの呼び名です。

しかし韓国である。行くのはいいが言葉が分からない。倭城巡りツアー(福岡の旅行社の企画)も見つけたけど、何しろ内容がそんなに一般的じゃないから、しょっちゅうやってるわけでもない。ならば、まず見るべき城を一つ選ぶならどれか。「歴史読本」のお薦めは、加藤清正の築いた西生浦倭城(ソセンポウェソン)。訪問者のブログも参考にさせてもらい、とにかく西生浦倭城を見る、その一点に絞って韓国行きを春先に決意しました。

そしてついに4月17日の日曜日、西生浦倭城に辿り着くことができた。行き方はまた別に書くとして、とりあえずお城そのものについて報告。まずは夢にまで見た(大げさです)長大な登り石垣。周辺には畑や住宅がある。この石垣の向こう側に案内所と城に上る道がある。山頂に見えるピンク色は、本丸跡に植えられている桜。

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頂上まで上るのに、そんなに時間はかからない。10分くらい上ると大手口の門に着く。

P1040476_4

そこからさらに10分くらい上れば本丸。石垣は天守台。桜は大部分散っていましたが、石垣を目当てに来た自分には、程よい彩りでありました。

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いかにも日本の城だな、という虎口もある。本丸と、その奥に位置する馬出し曲輪をつなげる喰い違い虎口。

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今月出たばかりの「週刊・絵で知る日本史」24巻(名護屋城図屏風・朝鮮軍陣図屏風)にも、倭城について書かれているので、以下に一部をメモします。

倭城の立地・構成上の最大の特徴は、海岸や河に隣接する見晴らしのよい山上に母城を築き、麓に居住機能のある子城を造って港も取りこみ、それらを長大な石垣や土塁による外郭線で囲む構造にある。

城は高い石垣上に築かれ、城兵は周囲を俯瞰して上から鉄砲で狙えるが、攻城兵は河や海側からは近づけず、鉄砲や矢も届きにくい。また、朝鮮の城は単郭(曲輪がひとつ)が多いが、倭城は複数の曲輪があり、外郭のなかにさらに幾重もの防御ラインが石垣・土塁・堀などによって設けられ、外郭が破られた場合も防御性が高かった。

倭城でとりわけ敵方に強い印象を与えたのが石垣であった。朝鮮の石垣は垂直に近い角度で積み上げるため、倭城のゆるやかに反った石垣は異様に映ったようである。高く反りかえった石垣は、よじ登る兵を俯瞰しやすく、石垣上にある櫓の狭間から、見えない兵が銃弾を浴びせかける攻撃は、明・朝鮮軍を大いに悩ませた。

・・・しかしまあ秀吉と清正が、おいらを韓国まで引き込んだようなものだな。太閤様と、せいしょこさんの偉大な力を感じるよ。

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