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2011年1月23日 (日)

『小栗上野介』(平凡社新書)

歴史とは勝者の歴史だ。周知のことである。しかし仮に勝者が正しいとしても、いつも敗者がアホバカマヌケだったとは限らない。多くの場合、能力の優劣にはそれ程差はなく、いわゆる時代の流れ、勢いに乗った側が勝者と成りおおせた。源平合戦、南北朝、関ヶ原、そして明治維新でも。倒幕側の薩長には先見の明があり英傑が数多く現れたのに対し、幕府側の意識は遅れていて人材にも乏しかった、という印象があるかも知れない。しかし実際には倒幕佐幕を問わず、世界に目を向けようとしていた有能な人はいて、勢いのある倒幕側にいた人が多く目立っただけだろう。

近年、幕府側の有能な人材として名前の挙げられることの多い、小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)。江戸幕府の高官として、幕末の近代化政策を提言し推進したこの人物について、『小栗上野介』(村上泰賢・著、平凡社新書)は、その生涯と業績の概要を教えてくれる。

この本の内容の半分近くは、小栗も参加した幕府の遣米使節についての記述が占めている。使節は1860年1月に出発して9月に帰国。小栗は、初めて世界一周を果たした日本人の一人となった。訪問先の米国ではあちこちの都市で大歓迎を受けたという。何だか天正の少年遣欧使節に似ている。出発直後に最高権力者(幕末は井伊直弼、天正は織田信長)が暗殺されて、帰国してみたら世情は大きく変わっていたというのもおんなじだ。まあ似てるなと思っただけで、だからどうだこうだというのもないんだけど。

帰国後の小栗は、その経験と能力を買われて外国奉行、勘定奉行、陸軍奉行、軍艦奉行などを歴任する。実務能力に長けた人物であったことは間違いない。小栗の業績の第一として挙げられるのが横須賀造船所の建設。他にフランス語学校の設立、日本初の株式会社の提案、あるいは米国側との銀の交換レートの共同検証など。しかし大政奉還と共に失脚し、上州に隠遁した小栗は、それから間もなく、官軍に捕らわれ、ただ殺すことが目的であるかのように処刑されてしまう。享年42歳。日本の近代化の種を多く撒いたと思われる有能な人物の最期は無残なものだった。こういう類の事例の少なくないのが、明治維新という時代の嫌なところだ。

小栗は、「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない」と語って、横須賀造船所の建設に取り組んだという。自分の立場がどうなろうとも、国の将来のためにやるべきことはやるという気概。これはもちろん、今の政治家にも求められているものだ。

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