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2011年1月31日 (月)

中国マネー、日本株を買う

ソニーやキヤノン、武田など日本の大企業90社の大株主に名を連ねる「OD05」という謎の投資家がいる。その正体はどうも中国マネーらしい・・・今週の日経ヴェリタス(1/30号)からメモ。

「OD05」が大株主として初めて登場したのは2008年3月末。投資先はソニーと大阪ガスの2社で、金額も457億円にすぎなかった。
リーマン・ショックを経た09年3月末では三菱重工など12銘柄、1192億円に増え、10年3月では37銘柄、6641億円に。10年9月末までの半年で90銘柄、1兆6151億円に加速した。特徴的なのは、ひとたび買った銘柄は手放さず、一貫して買い増していることだ。今年3月末には保有額が2兆円を突破する可能性も高い。

その正体を突き止める糸口は、正式名称「SSBT OD05 Omnibus China Treaty」に出てくるChina(中国)の文字と、所在地がシドニーという情報だ。
あるカストディアンのシドニー拠点を使っている中国系投資家の存在が判明。株主調査会社への取材も合わせて、OD05はかなりの確度で中国の政府系ファンド(SWF)であるということが分かってきた。具体的には「中国投資(CIC)などの運用資金が入っているのではないか」という。

東京市場の時価総額は約320兆円なので、中国マネーが日本企業のオーナーとして1%のシェアを持つ日も遠くなさそうだ。

・・・中国投資(CIC)は資産規模3000億ドルという世界有数の政府系ファンド、とのこと。そのCICの国際顧問を務めるのが西室泰三・東芝相談役。インタビュー記事の中で西室氏は、CICについて「実際に日本株投資をしていると思いますよ」と語る。「CICはカナダやオーストラリアで資源・環境関連の大型投資に積極的ですが」、「バランスの取れた資産構成にするためには、日本株も視野に入れざるを得」ないということで、「身構える必要は全くない」とも指摘する。

いずれにせよ、世界第2位の経済大国となった中国は、資金運用者としても急速に存在感を高めていくということだな、当然ながら。

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2011年1月30日 (日)

大河ドラマで「馬揃え」再現

本日放送の大河ドラマ「江」第4回は、戦国時代の軍事パレードである「馬揃え」のシーンを見せてくれた。マンガでは「へうげもの」が描いているけど、映像で「馬揃え」の再現を過去に見た覚えは無いので、もちろんTVドラマだから規模的には限界があるにしても、NHK、なかなか意欲的だなという感じがした。まあ、お話の筋については最近の大河ドラマの傾向、要するに戦国ホームドラマ的な展開ではありますが。

「馬揃え」というと、自分が思い出すのは、若桑みどりの大著『クアトロ・ラガッツィ』の記述。同書によれば、この一大イベントによって、信長は自らが日本の国王だと示したのである。同書第三章「信長と世界帝国」からメモ。

フロイスはその『日本史』でくわしくその盛況を書いている。
「信長はその栄光を示すために、きわめて気品のある有名なある行事を開催した。装飾された競技場には飾り具をつけた馬にまたがり、できるかぎり華美ないでたちの700人の武将と、諸国から見物に来た20万人に近い群集が集まった。見物人のなかには、高貴な男女や僧侶たちとともに内裏(天皇)も姿を見せていた。信長は、巡察師、司祭、修道士を招き、よく見物できる高台に設備した桟敷をわざわざ提供した。司祭らはかねてこの目的のために、金
の装飾をした濃紅色のビロードの椅子を信長に贈呈していた。信長はこの椅子をことのほか喜び、自分の入場に勢威と華麗さとを加えるために、それを4人の男に肩の高さに持ち上げさせてみずからの前を歩かせた。そして信長は行事の最中、彼の身分を誇り、その偉大さを誇示するために、一度馬から降りて椅子に座ってみせ、ほかの人間とは異なった人間であることを示した」

このときの信長のいでたちはたいへん変わっていて、『信長記』巻十四には、信長は眉を描き、「金紗」という唐・天竺では天子や帝王の用いるという唐織物を身に着け、「後ろに花を挿した帽子」をかぶり、紅梅に白の模様の豪華な小袖をまとっていた。その華やかないでたちは、神のようだったという。

こういう記述に照らしてみても、今回の大河ドラマの「馬揃え」、信長周りは椅子や衣装など結構頑張って作っていたと思う。信長の後ろには、黒人の家来(ヤスケ)も控えていたようだったし。(ヤスケがいると、個人的にはポイント高いぞ)

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2011年1月29日 (土)

基礎研究を支援するのだ

科学を役に立つ、立たないで「仕分け」するのは愚かな行い。ノーベル賞科学者の益川敏英先生と、iPS細胞を発明した山中伸弥先生の対談本、『「大発見」の思考法』(文春新書)からメモ。

山中:事業仕分けによって、科学予算はますます圧迫されています。たしかに最初からピントの外れている研究にお金を出すのは全くのムダです。しかし、科学研究の場合、どこから科学の芽が出てくるかわからないし、偶然にすごく貴重な芽が出てくることもある。これは私自身の実感からなのです。
1999年から4年間、私は奈良先端科学技術大学院大学で、誰にも注目されずに「細胞の初期化」の研究を細々としていました。もちろん研究費はほとんど出ていませんでした。
その状況が大きく変わったのは2003年のことです。科学技術振興機構のプロジェクトに応募して、必死のプレゼンをした結果、年間5000万円の研究費が5年間支給されることになったのです。このときの審査で、海のものとも山のものともしれない私の研究を評価して頂いたことに、心から感謝しています。

益川:事業仕分けの時に、「この研究は具体的に何の役に立ちますか?」という質問がよく出てきました。
色々な補助金や政府からの予算をいただく時にも、「この研究は具体的に何の役に立ちますか?」という言い方がよくされるのですが、科学の世界では、学問の必然性に従った地道な研究を続けて、はじめて何かを発見することが多い。目先の利益ばかり追求して「早く成果を出せ」というようなことばかり言っては、きちんとした研究にならないのです。「日本人よ、やっぱり一番を目指せ」と僕は言いたいですね。

・・・アメリカの研究環境と日本のそれとは相当の落差があるらしく、山中先生はアメリカ留学から帰国後、奈良に職を得るまでの時期に、「うつ」状態にまでなったと告白。すぐに成果が見込めないからといって、闇雲に基礎研究の予算を削るのも、将来的に日本の科学を貧しくする恐れがある。細かい「仕分け」のためには、山中先生の研究に可能性を認めた審査官のような、「目利き」を増やす必要もあるとは思われるが、とりあえず自分の納める税金はすべて基礎研究分野にと、使い道を指定したい気分。

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2011年1月28日 (金)

時に人の言葉は「啓示」である

読売新聞が運営している「大手小町」というサイト内の掲示板「発言小町」において、「全く知らない人の一言に助けられたこと、ありませんか?」という問いかけが多くの共感を集めた。その問いかけに対する反響の書き込みを本にまとめたのが、『他人の何気ない一言に助けられました。』(中央公論新社)。

たまたま自分もこのサイトを見たことがあった。読んでるうちに目頭が刺激されてパソコン画面がじわ~っと霞んでしまった話がある。(勤務時間中)

自分の息子に障害があることが判り、悲観していっそ死のうかとまで思い詰めていた時、通りすがりのビジネスマンが息子を見て「おっ、可愛いな!」と言ってくれた。私の息子は可愛いんだ、じゃあもう少し生きていてもいいかと思えた、というお母さんの話。本書の中にも収められている。

この本のページを開けば、ああ、こんなことが世の中にはあるんだなと思える、そんな小さなドラマの数々が現われる。ただ、本書の各エピソードは、元になった投稿のディテールを多少刈り込んで、すっきりあっさり読めるように編集されている印象。どっちかといえば、サイト内の書き込みの方が、よりストレートに心に迫ってくる感じがする。

苦境、逆境の中にある人が、他人から投げかけられたポジティブな言葉に助けられるというのはよく分かる。心が追い詰められている時、それはまさしく救いになる。その瞬間、他人の一言が、いわば自分を超えた別の世界から与えられた「啓示」になるのだ。大げさに聞こえるかも知れないけど、でもそうなんだよ。

と言いつつ、正直自分はそういう経験がない。あっても忘れちゃったんだろうか。(苦笑)

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2011年1月25日 (火)

クイーン後期を聴き直す

先日、銀座山野楽器のCDフロアで、なかなかカッコ良いロックの曲を耳にして、しかしボーカルやらギターやら何か聞き覚えがあるなあと思っていたら、それがクイーンであることに気が付いて、ちょっと意外な感じがした。実は自分的には、クイーンは初期が好き、というのは斬新なハードロックという感じだったからで、その後次第にポップになっていくと共に、まともに聞かなくなったという経緯があるんだけど、でもその場で聞いた曲は明らかに80年代以降の曲だったのに、音が良いこともあったせいか、へえ、クイーンも結構ロックしているではないか、と思ったわけです。

そこでCDの棚を眺めていくと、クイーン「グレイテスト・ヒッツVOL.2」のリマスター盤が新たに発売されたばかりであることが分かった。今年はクイーン結成40周年、フレディ・マーキュリー死去20周年、だそうです。で、結局購入。

なるほどあらためて聴いてみると、クイーンは80年代後半にはポップソングのステージから抜け出して、洗練されたハードロックという境地に進んでいたのだなと今頃思い至りました。ライナーノートにも、「前期と後期のサウンドがひとつの大きなサークルとして完結」とか「前期の作品に通じるナンバーばかりが集められている」と解説されていて、非常に納得。ベスト盤だからどの曲も良いけど、自分の好みは、コーラスで盛り上げるハードな「アイウォントイットオール」、ヘヴィで荘厳な「イニュエンドゥ」・・・そして「ザショーマストゴーオン」。どうしても、結果的にフレディの絶唱という感じで聴いてしまうので、悲壮というか凄絶というか鬼気迫るというか、そんな形容をしたくなるのであった。

ロックは他のジャンルを何でも取り込める融通無碍な音楽なので、グレートなロックバンドは、バンドそのものが一つの音楽ジャンルになると言っても良い感じ。ということで、クイーンもまた、クイーンというジャンルだったな、と。

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2011年1月24日 (月)

「シチリア」の映画

シチリアに行く前の予習?のつもりで、映画「シチリア!シチリア!」を先日見に行った。原題は「バーリア」。シチリアの州都パレルモ、その東にあるバゲリーアという町の方言名だそうだ。時代は戦中戦後、そのバーリアを舞台に、主人公の少年時代から初老の頃まで、家族の物語が叙事詩的に描かれている。しかしファシズム、コミュニズムそしてマフィアと、イタリアの戦後史が背景にあるせいか、イタリア人以外には感情移入がしにくいと思われる話の展開で、上映時間2時間半は少々しんどい感じもありました。

監督はシチリア出身のジュゼッペ・トルナトーレ。といえば有名なのは「ニュー・シネマ・パラダイス」。これもシチリアを舞台にした作品。実はこの正月休み、暇つぶしに「ニュー・シネマ・パラダイス」をDVDで観た。劇場公開版よりも50分も長いディレクターズ・カット、完全版というやつだ。泣ける「感動名作」という触れ込みではあったが、正直ただのメロドラマだった。もっと若い時に観たら、また違ったのかも知れないが。アマゾンのレビューを見ると、完全版よりも劇場版の方が好きだという人が多いけど、まあ~どっちにしてもそれ程の名作という感じはしなかったな。

どうも自分は、シチリアあるいはシチリア人を描いた映画といえば、「ゴッドファーザー」(PARTⅡ)ってことになっちゃうな。ま~基本的にはマフィアだから、これでシチリアのイメージを持たれたらシチリアの人は迷惑だろうけど。

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2011年1月23日 (日)

『小栗上野介』(平凡社新書)

歴史とは勝者の歴史だ。周知のことである。しかし仮に勝者が正しいとしても、いつも敗者がアホバカマヌケだったとは限らない。多くの場合、能力の優劣にはそれ程差はなく、いわゆる時代の流れ、勢いに乗った側が勝者と成りおおせた。源平合戦、南北朝、関ヶ原、そして明治維新でも。倒幕側の薩長には先見の明があり英傑が数多く現れたのに対し、幕府側の意識は遅れていて人材にも乏しかった、という印象があるかも知れない。しかし実際には倒幕佐幕を問わず、世界に目を向けようとしていた有能な人はいて、勢いのある倒幕側にいた人が多く目立っただけだろう。

近年、幕府側の有能な人材として名前の挙げられることの多い、小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)。江戸幕府の高官として、幕末の近代化政策を提言し推進したこの人物について、『小栗上野介』(村上泰賢・著、平凡社新書)は、その生涯と業績の概要を教えてくれる。

この本の内容の半分近くは、小栗も参加した幕府の遣米使節についての記述が占めている。使節は1860年1月に出発して9月に帰国。小栗は、初めて世界一周を果たした日本人の一人となった。訪問先の米国ではあちこちの都市で大歓迎を受けたという。何だか天正の少年遣欧使節に似ている。出発直後に最高権力者(幕末は井伊直弼、天正は織田信長)が暗殺されて、帰国してみたら世情は大きく変わっていたというのもおんなじだ。まあ似てるなと思っただけで、だからどうだこうだというのもないんだけど。

帰国後の小栗は、その経験と能力を買われて外国奉行、勘定奉行、陸軍奉行、軍艦奉行などを歴任する。実務能力に長けた人物であったことは間違いない。小栗の業績の第一として挙げられるのが横須賀造船所の建設。他にフランス語学校の設立、日本初の株式会社の提案、あるいは米国側との銀の交換レートの共同検証など。しかし大政奉還と共に失脚し、上州に隠遁した小栗は、それから間もなく、官軍に捕らわれ、ただ殺すことが目的であるかのように処刑されてしまう。享年42歳。日本の近代化の種を多く撒いたと思われる有能な人物の最期は無残なものだった。こういう類の事例の少なくないのが、明治維新という時代の嫌なところだ。

小栗は、「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない」と語って、横須賀造船所の建設に取り組んだという。自分の立場がどうなろうとも、国の将来のためにやるべきことはやるという気概。これはもちろん、今の政治家にも求められているものだ。

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2011年1月21日 (金)

近藤誠、「週刊文春」で再反論

近藤誠「抗がん剤は効かない」(文藝春秋1月号)に対する専門家の反論が「週刊文春」に掲載(1/20号)された、そのすぐ次の今週号(1/27号)で、近藤先生が再反論を展開。先の「反論記事」に挙げられた10の論点のうち、誤りとされた6つの項目について反駁している。

とはいえ、それらの論点はどっちかっていえばテクニカルな話であるゆえ、素人的にはスルーさせていただいて、最後に近藤先生が読者に勧めているのは、当然ながら文藝春秋1月号論文、同2月号対談、そして「反論記事」を読み比べることだ。近藤先生は、「反論記事」の本文中にも、「私の指摘・主張を認められている点が多々あります」と述べている(おそらく、このブログで1月18日にメモした「延命効果」の部分はその一つだろう)。その他、自分の指摘・主張に対して、一切無視を決め込んでいる論点も含めれば、「反論記事」との合意点は少なくない、という自負を示している。

それから、直接がんには関係ないけれど、記事の中で近藤先生が自身の「文章作法」について述べている部分をメモする。

私が一般向けに執筆する際重視するのは、正確さと分かりやすさの二点です。しかし、両者はしばしば衝突します。一般読者は専門用語に馴染みが薄いので、形式的正確さを追究すると、各専門用語のところで思考が途切れがちになる。そこで、実質的正確さを失わない程度で、専門用語を言い換えたり抽象化したりする作業が必要となるわけで、それこそが腕の見せ所だと思っています。

・・・お医者さんに限らず、専門家の方々には上記の点、よろしくお願いしますだ。しかし、今週は文藝春秋2月号、日刊ゲンダイ、週刊文春と、近藤先生の「追っかけ」になってしまったわい。(苦笑)

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2011年1月20日 (木)

伴侶の死・上野正彦氏の場合

たまたま読んだ「週刊現代」(1/29号)の記事(「余命3ヵ月」そう宣告されてからの物語)の中で、元監察医の上野正彦氏(82歳)が妻の死について語っていた。

上野氏の奥さんは、2006年3月に胃がんの末期と診断を受けて「余命半年」と告げられた。奥さんはただちに入院。上野氏は病院に寝泊りして、執筆や講演活動を行った。奥さんは杉並区議を16年務めて、入院の前年に引退していた。「結婚して40年以上。お互いに忙しくて、一緒にゆっくり過ごした時間は初めてでした」。入院してから1ヵ月が経ったあるとき、奥さんから「なるべくそばにいて」と言われた。「あの頃、妻は死を悟ったのでしょう」。上野氏はその後の仕事をキャンセルして、できるかぎり一緒にいるようにした。奥さんは告知を受けてから1ヵ月余りで亡くなった。享年71歳。「妻が告知を受けてからの40日間が、最も濃密な夫婦の時間でした」。そして上野氏は、「第三者の死」と「身内の死」は違うと初めて気がついた。

「監察医である私は『死はナッシング。死んだら体と精神は滅びる』と思っていました。でも、妻の死は違いました。死んだ後も、妻は私の中にいる。死は『ナッシング』ではなかったのです。今は、あの世とやらで再会できることを楽しみにしています」。

・・・伴侶の死。それは、「死体の巨匠」の考え方も変える程の出来事なのだ。

伴侶に限らず、自分と深い絆で結ばれた人が全くの無になるなどと、いったい誰が思えるだろう。何の信心も持ち合わせていない自分も、母がこの世を去った時は、せめて魂だけは何処かにあってくれと願わずにはいられなかった。

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2011年1月19日 (水)

伴侶の死・寺澤芳男氏の場合

野村證券出身、国際的ビジネスマンから転じて、日本新党から参議院議員という経歴・・・寺澤芳男氏の名前を聞いて「ああ、あの人」と思い出せる人は、今では40代半ば以上になるのかな。たまたま読んだ「週刊文春」(1/20号)で寺澤氏の近況が記事になっていたのだが、何というのか驚きであった。

寺澤氏は79歳、現在はオーストラリアのパース市在住。記事の中で、2年前に亡くした奥さんのことを語っているのだが、その奥さんが何と27歳年下、親子ほども年が違うのだ。しかも再婚、というかその人と結婚するために、6年に及ぶ係争を経て妻子と別れたというのである。しかもしかも、その結婚生活は奥さんのがん死(享年51歳)により、2年間で終止符が打たれたという。何かもう信じられないような展開。人生の晩年に幸福の絶頂と不幸のどん底を、間を置かずに味わったということか・・・何か気が狂いそうな話。

最初の出会いは12年前。奥さんは経済から教育、文化と幅広い分野の知識を持っている人だった。彼女と3、4時間も話をした寺澤氏は、「ぼくが女性とこんなに話し込んだのは人生で初めてで、この時、すでに伴侶として、意識していました」という。

そんでもって妻子と別れちゃうというのは、凄い情熱というかエネルギーというほかない。悲劇的な結末が待っていたのはともかく、いくつになっても恋は可能だという大いなる実例として受け止めたいものです。

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2011年1月18日 (火)

雑感・抗がん剤の是非

近藤誠論文「抗がん剤は効かない」に対する専門家の批判が、週刊文春(1/20号)に掲載されている。反論記事では、10項目の論点を取り上げて、6つは誤りだという。ただ、専門家が近藤説を「暴論」とする論拠の多くは、テクニカルな印象で素人的には判断が難しい。そこで、抗がん剤の延命効果について述べている部分からメモしてみる。

近藤氏の論文は、抗がん剤に「延命させる力はない」と断言していますが、これは間違いにしても、延命効果が短いという指摘ならば、場合によっては当たっています。統計的に見ると、抗がん剤の延命効果は、ものによっては数ヵ月です。これを長いと見るか、短いと見るかは人それぞれでしょう。その程度の延命のために副作用で苦しい思いをするならば、治療をしないという選択をする患者さんがいても不思議はありません。

たしかに、抗がん剤が効くどころか、そのおかげで命を縮めてしまったとしか思えない患者さんがいるのもまた事実です。抗がん剤を投与する医師は、専門知識を備えたプロでなければならず、また医師も患者も「薬が合わないようなら、いつでも抗がん剤治療剤をやめる」選択をする勇気を持っていなければならないのですが、その考え方はまだ十分に広まっていません。ただし、これは抗がん剤自体の問題ではなく、日本のがん医療体制の問題です。

・・・この辺は、反論記事としてはビミョーな感じ。もう一つ、素人的に気になる経済的観点、要するにがん治療費は高額であることについて、週刊現代(1/29号)記事からメモ。

理想の薬とされる分子標的薬だが、「費用」の問題がある。旧来型の抗がん剤の数倍、十数倍という具合に、値段がべらぼうに高いのだ。1ヵ月に20万~30万円くらいかかるのは当たり前。問題は、その高額に見合うだけの効果があるかという点だ。薬剤費が月に60万円かかるが延命効果は3ヵ月という分子標的薬や、二度目の抗がん剤治療だと、やはり月60万円で1.5ヵ月の延命効果しかないものもある。

・・・費用対効果的にどうかという面もあるけど、結局、投与してみないと抗がん剤の効果や副作用の程度は分からないのが現実だろう。それだけに、「個々の患者に合わせた細やかなオーダーメイド的な治療ができるかどうかが重要」だと記事は結んでいる。

自分には、抗がん剤の恐ろしさに無知だったという後悔にも似た思いがある。18年前のこと、抗がん剤治療を受けていた母の容態が急激に悪化した時、医者から「薬ががんの進行を止めた可能性はある」と説明されて唖然とした。「手術は成功したが患者は死んだ」というブラック・ジョークは、真実を言い当てていたのだ。抗がん剤が「効く」としてもその程度の話で、抗がん剤でがんが「治る」などと思っちゃいけない。そして、できれば医者とは関わりにならない方がよろしい。(でも自分も最近手術入院しちゃったけどさ)

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2011年1月17日 (月)

やっぱりがんと闘うな!

「日刊ゲンダイ」で近藤誠先生の新連載がスタート。タイトルは「やっぱりがんと闘うな!」(月曜掲載)。本日第1回では、再びがんについて語る気になった理由を3つ挙げている。以下にメモ。

まず「がんと闘うな」という私の考えに共感し、がんそのものに対する積極的治療を受けない150人近い患者の皆さんの病状経過が極めて良好であることです。その事実を明らかにしなければならないと考えました。

2つ目は、この数年、大腸がんや肺がんといった“固形がん”に対する新たな抗がん剤や分子標的治療薬が華々しく登場してきましたが、実は患者に大きな苦しみをもたらし、いたずらに寿命も縮めている。その事態に戦慄を覚えたことです。

3つ目はCT検査による放射能被ばくで、国民の発がん死亡リスクが異常に増大しているという恐るべき事実に警鐘を鳴らすためです。

・・・そして、近藤誠といえば「がんもどき」理論(何かオヤジギャグみたい)。他臓器へ転移するのが「本物のがん」で、転移しないのが「がんもどき」として、以下のように語る。

なによりも読者のみなさんに知ってもらいたいのは、がんには「がんもどき」が多いこと。初期がんや早期がんを放っておくと進行がんになり、他の臓器へ転移して末期がんになるという通説は誤りである、ということです。

・・・まあ、普段夕刊紙なんて買わないんだけどさ、これから毎週一回、月曜日は130円払って読むか。

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2011年1月16日 (日)

抗がん剤は効かない

がん治療のあり方に一石を投じた『患者よ、がんと闘うな』から15年、近藤誠先生があらためて自らのがん治療に関する「最終見解」を世に問うている。「文藝春秋」2月号掲載の立花隆・近藤誠対談からメモ。

立花:最近著(『あなたの癌は、がんもどき』)は、ほとんど抗がん剤を全面否定しているかのように読める。近藤さんの最終見解は、全面否定なんですか?
近藤:誤解がないように言っておきますと、急性白血病や悪性リンパ腫などの「血液のがん」の大部分と、固形がんの中の子宮のじゅう毛がんと睾丸のがん、そして子供のがんなどでは、抗がん剤が第一に選ばれるべき治療法です。しかし、これらを除くがんは、抗がん剤ではまず治らない。それが最終見解です。
治らなくても寿命が延びればいいのではないか、という考え方も当然あります。これに対しては、寿命は延びない、あるいは寿命が延びたという証拠はない、という言い方ができると思います。

立花:先生のところでは、無治療でウォッチするだけ、みたいなオプションがあって、それを選択する患者が結構いらっしゃいますよね。
近藤:そうです。何か症状が出るまで様子を見ようというのは必ずオプションに入れていて、例えば胃がんとか肺がんで、治療の選択肢が抗がん剤しかないということになると、「じゃ、様子を見ます」という人が、僕の患者ではむしろ多数派ですね。

立花:今後の抗がん剤の可能性についてはどうお考えですか。
近藤:旧来の殺細胞毒としての抗がん剤は、ほぼ先行きはないでしょう。分子標的薬については、うまく働く、つまり効く抗がん剤が生まれる可能性はあると思います。しかし、少なくともこれまでの固形がんに対する分子標的薬は副作用も強く、うまく働いているとは言いがたい。すべて落第と言わざるを得ないと思います。

・・・近藤先生の主張というか、がん治療に対する基本姿勢は以前と同じみたい。てことは逆にいえば、がん治療を巡る状況もあんまり変わってないってことらしい。

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2011年1月15日 (土)

NHK「MISSION」

寒いと、休みの日は部屋の中でだらだらテレビを眺めることになりがちだ。10日の成人の日も朝からテレビでNHKを流していると、羽田空港で働く若い人を映した番組に続いて、海外で活動する若者を紹介した番組を目にした。「MISSION 僕たちが世界を変える」。バングラデシュ、モンゴル、ケニアで現地の子供たちを支援する若い日本人を紹介していた。

これはBSの番組で、今回特集として地上波で放送されたものだった。中でも印象的だったのは、バングラデシュでストリートチルドレンの自立支援に取り組む渡辺大樹さんだ。まだ30歳そこそこの人。とにかく現地語(ベンガル語)が滅茶苦茶達者なのに驚かされた。

まあ私も年寄りになったので、「いまどきの若いもんは・・・」と不平を言う権利を手に入れていると思うのだが、こういう海外で活動している若い人を見ると、これは大したもんだと感心するほかない。この情熱はどこからくるのか、正直不思議にも感じる。

自分の頭と体を使って弱者の支援に取り組む、彼らはグローバルな「伊達直人」だな。

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2011年1月13日 (木)

鳥居みゆきという存在

最近、「イロモネア」で鳥居みゆきを初めて見て、何この昔の「アングラの女王」みたいな人、ホントにお笑いの人?って感じで変に印象に残った。さらにその後、マンガ「臨死!!江古田ちゃん」のドラマ化で主演すると知って、正直マンガを読んでないんだが、とにかく見た目そのまま、ぴったりって感じでまたインパクト受けた。

で、ドラマ「臨死!!江古田ちゃん」、今週火曜日深夜の第1回を録画して見た。しかし鳥居みゆき、怪演ですな。何しろ主人公は自分の部屋では全裸で生活している(洗濯物が少なくてすむ、というのがその理由)。もとが4コママンガとのことで、ドラマも15分という短い放送時間の間にさらに短いエピソードが積み重なる構成で、見る方が唖然としているうちに終わってしまうのだった。

とりあえず鳥居みゆきのDVD作品をひとつ(狂宴封鎖的世界「再生」)観てみた。う~ん、何だろうこれは・・・不条理コントとでも呼ぶのか。しかし鳥居みゆきは、これを「お笑い」として提示しているのだろうか。鳥居みゆきは素直に芝居をやるべき人ではなかろうか。不条理でブラックな展開の中に、わざとらしくなく笑いをブレンドするのは、相当の技が必要な気がする。

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2011年1月12日 (水)

「トイレの神様」は沖縄伝来?

植村花菜の歌う「トイレの神様」を、年末にたまたま聞いた。曲名は何となく知っていたが、歌手自身のおばあちゃんのことを歌っていたというのは、その時初めて分かった。

特にどうということもない歌なんだけど、なぜだか訴えかけるものがある。それはやっぱり、それだけ歌い手の思いが強いってことなんだろう。

雑誌「ダ・ヴィンチ」2月号に、植村花菜のインタビュー記事がある。その中で、取材記者が「トイレの神様」について以下のように述べている。

トイレ掃除をすると美人になるという俗信は、関西でよくいわれる。植村さんのおばあちゃんは鹿児島県の沖永良部島から、若くして関西に出てきたそうなので、どこかでそうした俗信を耳にしていたのだろうか。あるいは、沖永良部島は沖縄文化圏にあることから、おばあちゃんがいうトイレの神様はフールヌカンの可能性もある。沖縄のトイレの神様で、他の神様では無理な願い事を聞いてくれる美人の神様。

・・・関西の俗信プラス沖縄の女神様が、「トイレの神様」ですか。日本にはいろんな神様がいるのですな。

(付記)フールヌカンについては、こちらのブログが参考になります。

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2011年1月11日 (火)

行け行けタイガーマスク

本日付日経新聞朝刊1面コラム「春秋」は、「50歳前後の男性の中には、胸が熱くなった人もいるのではなかろうか」という文章で始まり、例の「伊達直人」のプレゼントについて書いている。しかし50歳前後って俺だよ、俺。ずばり指名されたみたいな感じ。その俺、別に胸が熱くはならなかったが、「伊達直人」って若い人に分かるのか、「ちびっこハウス」とかさ、ってちょっと心配した。

まあ「タイガーマスク」について印象の強かったことを少々語ると、「虎の穴」から送り込まれた悪役レスラーで「ミスター・ノー」というのがいて、これが目、鼻、口を出していない、白いノッペラボーの覆面レスラーなのだ。で、実は全身着ぐるみ状態で頭の部分は鉄の球を乗っけていて相手に頭突きをくらわすという、とんでもないヤツなのだった。これはマンガだから成り立つので、実際にこんなことやったらバレバレである。しかしそのとんでもなさゆえに記憶に残ってしまった。(笑)

そしてタイガーマスク、虎の穴とくれば、やっぱりミスターX。何であんな魔術師みたいなカッコしてプロレス会場に出入りするのだ?(笑)
しかもとっても顔色が悪い。青白~くて大丈夫かと思ってしまう。「He looks pale」という英語の例文を見ると、ミスターXを思い浮かべてしまうのだ。(苦笑)

アニメのエンディングの歌は結構哀愁漂っていた。強ければそれでいいんだ~力さえあればいいんだ~で始まり、それだからみんなの幸せ願うのさ~で終わる。(という記憶)

日本のあちこちに現れた「伊達直人」も、みんなの幸せを願っている、はず?

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2011年1月 8日 (土)

信長はヒゲが命

今日の朝、NHKが明日から始まる大河ドラマ「江」の出演者・スタッフ50人のミニ・インタビュー(お題「これだけは欠かせない」)を集めた「あなたが主役50ボイス」スペシャル版を放送していた。

豊川悦司(織田信長役)の答えは「ヒゲ」のひとこと。「ヒゲ命です。超こだわり」とも。

なるほど鼻の下は当然として、あごヒゲの濃い信長はあんまりドラマで見た覚えがない。予告編を見ると、そのあごヒゲ、多い時も少ない時もある。こだわりのあごヒゲ信長に注目しよう。

石坂浩二(千利休役)の答えは「疑問を残さない」。なかなかできることじゃありません。

スタッフの方々、特に現場のお仕事は多岐にわたる。大道具、小道具、かつら、音声、照明、撮影、美術、造園、特殊効果、馬術指導、ことば指導等々、ドラマ制作の舞台裏には、多くのスタッフの地道な努力や作業があるのだなと、あらためて感じ入りました。

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2011年1月 3日 (月)

特別展「江」を見る

正月休み最後の今日、両国にある江戸東京博物館の特別展「江 姫たちの戦国」を見てきた。もちろんNHK大河ドラマに足並み揃えた企画展だけど、内容はいろんなモノがいろんな所から集められて割と充実してる印象。じっくり見ると疲れる(苦笑)。2月20日まで開催。その後は春に福井、夏に長浜に巡回予定。

浅井三姉妹(茶々、初、江)の父は浅井長政、母はお市の方。小谷城、北庄城と2度の落城を経験した後、三姉妹はそれぞれの人生を歩む。茶々は豊臣秀吉の側室、淀殿となり、初は京極家に嫁ぐ。そして江は3度目の結婚で徳川秀忠の妻となった。

江は二人の男の子を生み、兄の竹千代(家光)よりも弟の国松(忠長)を愛していたという。しかし竹千代の乳母、春日局の後押しもあって、家光が秀忠の次、3代将軍となる。その後徳川忠長は駿河の領主になるのだが、結局若くして自害に追い込まれている。

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特別展には、忠長が作らせたという、崇源院(江の死後の贈り名)の位牌を収めるための宮殿が展示されている。
《 宮殿:くうでん。厨子の一種。宮殿形厨子とも。厨子は仏像、経典、位牌などを納める仏具 》
芝の増上寺とは別に、忠長が領内の駿府に崇源院の霊廟を造営し、この宮殿を安置したとされる。高さ2.38メートル。機能としては仏壇、見た目はプチお堂、ですかね。きらびやかで立派な作り、なるほど忠長の亡き母の極楽往生を願う気持ちが現れているようだ。母と子の情愛で結ばれた絆を感じさせます。

そういや、年末のテレビ番組で、家光は家康が春日局に生ませた子供だとかいう話をやってたな。どへー。

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