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2010年12月20日 (月)

「女子」について(酒井順子)

現代日本を生きる独身女性の「生活と意見」を書かせたら、酒井順子の右に出るものはいない。と思う。その酒井順子が「女子」及び「女子力」について考察している文章が、雑誌「ブルータス」(1/1・15合併号)に掲載されている。以下にメモ。

「女子」という名前は、女子自らの中から発生したものです。

そこには、「女が皆、男並みにならなくてはいけないはずはない! 女には女だけの楽しみがあるはずだ」という意味が込められていたのではないか。

「女子」という自己ネーミングから感じられるのは、まず完全に成熟することを拒む姿勢。大人の女になり切ってしまうのではなく、可愛いもの好きとか、庇護される対象であるといった少女っぽい部分をあえて残しておきたいという意志が、そこには感じられる。

さらに「女子」という名前は、「男子」がそこに入ってくることを拒みます。小学生の女の子が、「男子はあっち行ってて!」と言う時のような排他性がそこにある。

そもそも日本は、男女がいつも一緒にいるカップル文化よりも、男性同士とか女性同士で一緒にいる方が安心できる同性文化の方が強い国です。しかしそんな日本にも近年、「男だ女だと言っている場合ではない」という世界化の波が押し寄せてきたのでした。男も女も同じ土俵に立って、女も男並みに仕事をしたり、男も女並みに料理をしたり、互いに競ったりしなくてはならないように。

そんな時代であるからこそなおさら、女性達は「女子」という言葉によって、自分達だけの安全地帯をつくることに重要性を見出すようになったのでしょう。

女子力とはすなわち、自らを愛する力のことなのでした。それは女性が自らの女性性を凝視し、とことん愛でる気持ち。女子力の強化。それは自己という内側に向かうことによって、結果的に外へ向かう力を得ることなのでした。

・・・「女子」という言い方は、女性が単にオバハンになるのを拒否する姿勢を表しているのかと思ったが、雇用における男女平等化の地平において、男との同質化を拒否するという意味も強かったのか。なるほど。

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