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2010年12月14日 (火)

信長の実存的感性

「中央公論」1月号掲載の対談「未曾有の人間 信長の感性を見よ」では、石原慎太郎と秋山駿が、文学者らしい言葉で織田信長を語っている。以下にメモ。

石原:僕はいつか松永弾正を書こうと思っていたけど、もう時間がなくなっちゃったんですがね。松永は信長を見て「俺だって、もう少し若けりゃ、あそこまで行けた」って思っていたと思う。

秋山:松永には信長の「天下布武」の思想がわからなかった。松永だけじゃなくて、追放されるほかの家臣、重臣にも信長の「天下布武」というものが伝わっていない。信長の「天下布武」というのは、いま現に自分が生きている、今日というものの総体の改変、「現在」の徹底的な改変です。

石原:信長のすごさというのは、神や仏、天皇など絶対的な価値を認めなかったことです。非常に積極的なノンシャランス。既存のものに対するノンシャランスということは、結局、新しいものを自分で作っていかざるをえませんからね。

秋山:なぜ現代人が信長に惹かれるのか。戦争のときも信長は意外と格好がいいし、戦いぶりを見てもすごく気分のいいものです。それの根本にあるのは「美意識」で、美というものをちゃんとよく注意して持っていた。美が感性の中に備わっていますよ。

石原:僕はやっぱり信長は典型的な実存主義者だったと思いますね。それに尽きるんだな。だから、自分の全責任、自分の人生を懸けてでも思ったことをやるという、そういう意志の強さ、生きざまの強さというのに、いまの日本人は惹かれるんだ。

・・・善し悪しは別として、やっぱり文学者は、信長という「天才」を「ロマンチック」に語るのだな。

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