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2010年10月 3日 (日)

木田元のハイデガー

日経新聞「私の履歴書」、9月は哲学者・木田元が執筆者で、先頃連載が終了した。何と言うのか、戦中戦後を生きた人は波瀾万丈だなという感じだが、専門のハイデガーについては比較的あっさりと触れていただけだったので、ちょっと復習したくなって、『木田元の最終講義』(角川ソフィア文庫、2008)を読む。

木田先生が若い頃にドストエフスキーとキルケゴールをセットで読んだという話があるけど、このパターンは戦後を生きた作家や文芸評論家の話にもしばしば出てくるので、ある年代の読書体験としては割と共通しているような印象がある。しかし木田先生はそこからさらにハイデガーの「存在と時間」を読みたい、というところに行くのが凄いというか独特というか。そして実際に読んでみて、これは哲学史を勉強しないと本当には理解できない、と感じて哲学研究の道に入るというところがさらに凄い。

1927年に刊行された「存在と時間」は、実はハイデガーの構想の中では全体の3分の1程度の内容だったが、残りの部分は結局書物としては世に出なかった。「存在と時間」は未完の書物なのである。なのに当時、さらにその後も非常に強い影響力を広範囲に及ぼしたのはなぜか。最終講義の「補説」には、その辺りのことも書かれているが、これも時代背景を抜きにしては考えられないようだ。当時は第1次世界大戦の戦後であり、世紀末的雰囲気を濃厚に引き摺っていた。そこで「存在と時間」は、破壊的であるとともに革新的な書物、新しい人間像や世界観を提示した哲学書として受け止められたようだ。同時期の哲学的大著として挙げられている、シュペングラー「西欧の没落」、ルカーチ「歴史と階級意識」、ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」などからは、時代の雰囲気が(な~んとなくだけど)感じられる。

木田先生は長い研究生活の間、ハイデガーの講義録を読み、同時にメルロ=ポンティを研究しながら、ハイデガーが西洋哲学の思考様式を丸ごと相対化してその克服を目指していることを了解。そのハイデガーの企てを言い表した言葉が「反哲学」ということになる。木田先生は、哲学について膨大な研鑽を積んだ果てに、「反哲学」の境地に達したわけだが、とりあえず私のようなニーチェ主義者的素人は、哲学をまともに勉強することなく、「反哲学」という結論だけをいただきます、という感じです。(苦笑)

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