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2010年10月20日 (水)

『本能寺の変』(歴史新書y)

歴史新書y(洋泉社)の新刊『本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意』(藤本正行・著)の巻末で著者は、前著(新書y『信長は謀略で殺されたのか』鈴木眞哉との共著、2006)によって、「謀略説は息の根を止められるかと思ったが、相変わらず、書店の店頭には、本能寺の謎解き物が氾濫している」と記している。そこであらためて書いたのがこの本ということで、実際内容としては前著の続編というか補論的な位置付けという感じ。特に前著でさらりと触れていた信長の言葉「是非に及ばず」について、当時の用例を挙げながら解釈を行って補強している部分にその印象が強い。

「是非に及ばず」。変の結果を知っている我々は、どうしても明智軍1万3000に包囲されて絶体絶命となった信長の諦念の現れと見てしまうのだが、そうではない、ということ。さらにこの1万という兵の数字も、大した検証もなく言われているが、実際に本能寺を囲んだのは全軍ではなく先兵の3000ほどで、光秀は残りの主力を率いて後方で待機していたであろう、というのも現実的だ。確かに日本武道館を一杯にする程の軍勢が、寺の中にいる信長ほか少数の敵を包囲するというのはやりすぎというか非効率というか、そんな感じがする。

本書は各種史料から、信長と光秀の人間像及び変直前の動向、そして変の後の光秀と重臣たちの運命を描き出す。また、前著以後の「謀略説」にも批判を加えているが、こちらの方はそんなにまともに取り上げなくてもいいんじゃないの?とか思ったりする。

このほか興味深い史料として、光秀の家臣、斎藤利三(としみつ)の息子の遺談なるものも紹介されている。

でも結局、信長の油断そして光秀の殺意、その核心は分からない。史料が無いんだからどうしようもない。上記の遺談の中で、光秀は「信長公は私を誅殺すべしと数箇条の罪を挙げられた」と家臣たちに語るのだが、その具体的な内容は伝わっていない。つくづく残念なことだ。自分は子供の頃、光秀の最期に暗い驚きを覚え、本能寺の変の真相が分からないと死んでも死に切れないぞ、と思ったけど、やっぱ分かりそうもないなあと諦めの境地になりつつある。

(関連過去記事)
『信長は謀略で殺されたのか』
『だれが信長を殺したのか』
『秀吉神話をくつがえす』
講座「信長と本能寺の変」(2007)

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