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2010年10月31日 (日)

奥田知志氏に敬服

昨夜のNHKのシンポジウム番組「日本の、これから」(テーマは無縁社会)を、湯浅誠が登場した9時頃から眺めていた時に、中継で参加した中年男性を見て、ああこの人が奥田さんか、と思った。

というのは、『助けてと言えない』(NHKクローズアップ現代取材班、文藝春秋)を読んだばっかりだったから。この本は、39歳男性の餓死事件を出発点に、逆境の中でも人に助けを求めようとしない30代の心理に迫ろうとしている本だが、内容の大部分は、NPO法人「北九州ホームレス支援機構」代表である奥田知志さんの活動と30代ホームレスの関わりに取材したものになっている。

「奥田さんは、このNPO団体を立ち上げた中心人物で、北九州市でホームレス支援を続けてきた。全国的にも早い時期からホームレス支援を行ってきた草分け的な存在だ。普段は、キリスト教の教会で牧師をしている。牧師をしながら、生活に困窮した路上生活から自立するところまで再建させた人は千人以上にのぼる。この活動を二十年以上にわたって続けている。」(同書から)

凄いな、としか言いようがない。本の中にも、NPOの炊き出しなど活動の様子が書いてあるが、奥田さんは「夜回り」でホームレスと思しき人に声をかけて、いつでも相談して欲しいと呼びかける。必要な場合には、その人が自立するまで自分の家でいっしょに生活もする。余程の覚悟がないとできない人助けである。とにかく敬服する。

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2010年10月27日 (水)

世界経済は「恐慌過程」

一週間de資本論』(的場昭弘・著、NHK出版)は、9月末に放映された同タイトルのNHK教育番組の書籍化。番組のガイド役・的場先生はゲストの森永卓郎、湯浅誠、浜矩子、田中直毅と対談。以下は「恐慌」をテーマにした、浜との対談からのメモ。

:従来だったら恐慌では、膨張しすぎたものがぐっと過激にしぼんでいくことでバランスをとっていたわけですよね。今は恐慌という大遭難を我々が経験しても、そこに財政政策と金融政策というレスキュー隊が来てくれるから大丈夫だという体制をつくっているんだ、と。だけど、現状では財政破綻が問題になり、金融政策ももうやることがないという感じになっている。

的場:言い方を変えれば、金融政策も財政政策も所得の再分配です。本来は労働者の賃金あるいは資本家の所得なんですが、税金という形をとって再分配して需要を出していると。しかし、これが実際に税金をベースにしていればいいんですが、それが公債でしょう? そもそも公債は、空なんです。空でどんどん増やしているから、当然借金がかさんでいく。これもある程度で限界がきますよね。

:そうですよね。今、グローバル時代でしょう。だからそれこそ人・物・金は国境を越えていろんなところに行っちゃうわけですよ。だけど、税金をベースにした財政というのは、あくまでも国のなかでしか動けないんですよね。

的場:国家は国家単位でしか動けないし、銀行も国家単位でしか動けない。一方、資本のほうはグローバルに、勝手に動いているんですね。そのツケを個々の国家に回しているんですが、個々の国家はそのツケをもう払えない段階なんです。そうすると、それを飛び越すためには世界国家しかない。

:私は、リーマンショック以降、ずっと恐慌過程を歩んでいるんだというふうに思いますよ。リーマンショックは、ある意味では古典的な金融恐慌的な様相をもっていた。だけどそれから我々をレスキューしようとして政策ががんばりすぎたから、今度は財政恐慌という、いまだかつてなかった問題に直面している。

的場:マルクスには二つの恐慌論があるんです。周期的恐慌と破滅型の恐慌です。破滅型の恐慌というのは、最終的に止まることがない。それが「利潤率の傾向的低落」です。

:今、世界中で超低金利になっているじゃないですか。いわば利潤率がほとんどなくなってきているんですよね。実は我々はもう恐慌の最中にいると。

的場:皮肉な話なんですけど、資本主義は自らの経済を破滅までもっていくんですが、実は労働者たちが立ち上がることによって、それが止められるんだという発想がマルクスにはあるんですね。

:労働者という言い方は、『資本論』の時代だったからそうなるんですけれど、これを市民というふうに言い換えれば、まさに市民の力で破滅を回避するという発想が本当に求められているときだと思います。グローバル市民ですね。

・・・「恐慌」と呼ぶかどうかは別にして、現状は財政政策も金融政策も限界に近い。なので各国は「通貨安」による自国の利益確保に走る。目下のところ、「世界国家」や「グローバル市民」という理想的パワーが求められる気配は感じられない。

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2010年10月24日 (日)

『財政危機と社会保障』

いまや財政再建は社会保障見直しと一体化した課題である。『財政危機と社会保障』(鈴木亘・著、講談社現代新書)からメモ。

国の一般歳出の半分以上を占め、今後も高齢化によってますます増加していく社会保障費は、国の財政を大きく左右する主役的存在です。一般会計予算における歳出総額92.3兆円のうち、27.3兆円と最大の支出項目は、「社会保障関係費」となっています。なぜ「社会保障関係費」が27.3兆円もの金額に上るかといえば、年金や医療保険、介護保険、雇用保険などの社会保障が、純粋に保険料で運営されているのではなく、多額の国庫負担、公費が投入されているからなのです。「社会保障関係費」の大部分は、医療や介護の利用料金をディスカウントするために使われています。こうした料金ディスカウントは中所得者であろうが、高所得者であろうが一律に行われており、公平性の観点から言っても到底支持できるものではありません。

日本の社会保障制度の特徴は、①国民皆保険、②職業別の制度分立、③賦課方式の財政方式、④過度の公費依存、補助金依存、⑤高コスト体質、⑥価格規制、参入規制による「護送船団方式」の統制経済、⑦強力な政治的圧力を行使する業界団体、⑧官僚の天下りの多さ、という八つに整理することが可能です。これらのほとんどは、高度成長時代を背景に形成されてきました。

「高度成長時代」に形作られた日本の社会保障制度は、人口構成が若く、高い経済成長率によって分配の「パイ」が広がってゆくことを前提としたシステムとなっているために、現在の低成長、少子高齢化社会には適応できず、あちこちで「制度疲労」を起こしています。

現在の低成長、人口高齢化社会では、もはや「身の丈に合わない贅沢」となっている多額の公費投入や補助金ですが、業界、官僚、政治家のみならず、高齢者や一般国民までもがそれを享受し、互いに利害が一致した「強固な既得権益構造」となっていることが、日本の社会保障改革を難しくさせている最大の原因です。

・・・既に鈴木先生は、年金の積立方式への移行や、基礎年金財源の目的消費税化などを提言してきたが、とにかく安易な公費投入こそが諸悪の根源という観点から、まずは公費投入の合理化に着手するべきだ、としている。

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2010年10月23日 (土)

社会の矛盾を背負う30代

今日の午前中、たまたまNHK「30代ひずみ世代」の番組をまたまた見てしまった。ひと月前にも同じテーマを扱った「特報首都圏」の放送を見たんだよね。今回は、30代の就職状況、心の病、自殺などのテーマに加えて、視聴者からのメールも紹介しながら、あらためての特集番組だった。

非正社員中心に不安な毎日を生きている30代男女への取材は、「自分が否定される」「自分に価値が無い」「自分の居場所が無い」「誰も分かってくれない」「自分の存在を消してしまいたい」等々、追い詰められた境遇からの悲痛な言葉に満ち溢れていた。

番組に出演していた本田由紀教授は、失業者数、貯蓄非保有世帯、30代前半の男性の未婚率、いずれも増加傾向というデータを示しながら、90年代以降の日本は、生活基盤が作り難い社会に変わったことを指摘。にも関わらず規範や価値観が変わらないまま、古い世代の価値観が残っていると主張していた。

構造的な認識としては、そういうことはよく聞かれる。古い世代の「昭和的価値観」(城繁幸)に代わるものがなかなか明確になってこない。日本経済は既に高い成長が望めなくなっているのに、雇用や家族、あるいは年金もそうだが、高度成長時代に作られた制度や価値観の枠組みが残っていて、その矛盾を一身に背負っているのが就職氷河期世代の始まりである今の30代、ということになる。

現実を変革する力は社会の「矛盾」から生まれるのであり、下部構造(経済)が変われば、上部構造(政治や文化)が変わる、というマルクス的な原理は、今の日本では通用しないらしい。それは格差社会ではあっても、階級社会ではないからか。ていうか、高齢社会となった日本は、時間が経てば経つほど社会を変革するエネルギーが失われていくような気がする。(何だか悲観的になっちゃうよ)

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2010年10月20日 (水)

『本能寺の変』(歴史新書y)

歴史新書y(洋泉社)の新刊『本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意』(藤本正行・著)の巻末で著者は、前著(新書y『信長は謀略で殺されたのか』鈴木眞哉との共著、2006)によって、「謀略説は息の根を止められるかと思ったが、相変わらず、書店の店頭には、本能寺の謎解き物が氾濫している」と記している。そこであらためて書いたのがこの本ということで、実際内容としては前著の続編というか補論的な位置付けという感じ。特に前著でさらりと触れていた信長の言葉「是非に及ばず」について、当時の用例を挙げながら解釈を行って補強している部分にその印象が強い。

「是非に及ばず」。変の結果を知っている我々は、どうしても明智軍1万3000に包囲されて絶体絶命となった信長の諦念の現れと見てしまうのだが、そうではない、ということ。さらにこの1万という兵の数字も、大した検証もなく言われているが、実際に本能寺を囲んだのは全軍ではなく先兵の3000ほどで、光秀は残りの主力を率いて後方で待機していたであろう、というのも現実的だ。確かに日本武道館を一杯にする程の軍勢が、寺の中にいる信長ほか少数の敵を包囲するというのはやりすぎというか非効率というか、そんな感じがする。

本書は各種史料から、信長と光秀の人間像及び変直前の動向、そして変の後の光秀と重臣たちの運命を描き出す。また、前著以後の「謀略説」にも批判を加えているが、こちらの方はそんなにまともに取り上げなくてもいいんじゃないの?とか思ったりする。

このほか興味深い史料として、光秀の家臣、斎藤利三(としみつ)の息子の遺談なるものも紹介されている。

でも結局、信長の油断そして光秀の殺意、その核心は分からない。史料が無いんだからどうしようもない。上記の遺談の中で、光秀は「信長公は私を誅殺すべしと数箇条の罪を挙げられた」と家臣たちに語るのだが、その具体的な内容は伝わっていない。つくづく残念なことだ。自分は子供の頃、光秀の最期に暗い驚きを覚え、本能寺の変の真相が分からないと死んでも死に切れないぞ、と思ったけど、やっぱ分かりそうもないなあと諦めの境地になりつつある。

(関連過去記事)
『信長は謀略で殺されたのか』
『だれが信長を殺したのか』
『秀吉神話をくつがえす』
講座「信長と本能寺の変」(2007)

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2010年10月16日 (土)

青森県立美術館に行く

今日は、青森まで日帰りで行ってきた。目的は青森県立美術館。といえば、成田亨の作品を集めている美術館。開催中の「秋のコレクション展」(11月28日まで)の一部として、「怪獣・幻想・シュルレアリスム」というタイトルで、成田亨の怪獣デザイン画と、高山良策の絵画作品が並べられていることを知ったのがきっかけ。前から一度行ってみようと思ってはいたものだから、これを機会にという気持ちが急に高まって、ほぼ衝動的に青森行きを決行。

東京駅から新幹線と特急を乗り継いで4時間余り、青森に到着。駅前から市営バス「免許センター」行きに乗って約20分、「県立美術館前」で降りる。(運賃270円)

ただ今開催中の企画展示、スタジオジブリの絵コンテ(かな?)も結構人を集めているようだったが、そっちは特に興味がないのでパス。通常展示は目当ての成田亨のほか、地元ゆかりの主なアーティストとして、奈良美智、棟方志功、寺山修司など。

成田のデザイン画は「ウルトラマン伝説展」(2006)、そして「怪獣と美術」展(2007)で見ているけど、その独特のタッチというのか、線や色使いは何度見ても惹きつけられる。展示解説文から引用。

成田亨のウルトラ怪獣の着想源は、自然界に存在する事象や、モダンアートなど多岐にわたります。成田は怪獣をデザインするにあたり、自然界に存在する動植物など既存のイメージを引用しながらも、それらが本来的にもつ意味やバランスといった関係性を無視し接合、抽象化することにより、意外性のあるフォルムを追求しました。その創作方法は、互いにかけはなれた事象の出会いの効果によって思いがけない関係性を生み出すシュルレアリスムの技法、コラージュを想起させるとともに、想像上の生き物としての怪獣が元来もつ自然界との神秘的な結びつきを感じさせるものといえます。

一方、高山良策の絵画作品は確かにシュルレアリスム的傾向ではあるんだけど、正直どう評価されるものなのかよく分からんのだった。

何か画集でもないかとミュージアム・ショップに寄ってみたが、成田亨関連はポストカードやグッズが少々置いてあるのみだったので、やや失望。せっかく来たので、とにかく記念にという感じで、ウルトラマンのクリアファイル(300円)を購入。

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2010年10月10日 (日)

「龍馬伝」、佳境

前半はほぼ見てなかった大河ドラマ「龍馬伝」。坂本龍馬にそれほど魅力を感じない自分も、薩長同盟辺りからは毎週見ている。いよいよ倒幕は目前となり、福山雅治も随分と龍馬らしくなってきたなあという感じ。・・・しかし龍馬本人を知ってるわけでもないのに、どうしてそう感じるのか自分でもよく分からんが。(苦笑)

今回は高杉晋作が世を去った。高杉役の伊勢谷友介が何しろカッコよすぎるというか、線が細いのであんまりリアルな感じもしないんだけど、熱演であるとは思う。時に龍馬の福山以上に、岩崎弥太郎はじめ龍馬に関わる人々も、役者さんが力の入った演技を見せてくれている。

そういう意味では、前回の後藤象二郎と龍馬の直談判の場面は非常に面白かった。昨日土曜日の再放送も見てしまった。後藤役の青木崇高、気迫ありすぎ。この人、今まで知らなかったけど、見どころある俳優だな。

このところドラマの終わりには、暗殺まであと何ヶ月、という香川照之のナレーションが入って、まさにカウントダウンみたいな感じ。ドラマのホームページからさらにスタッフのブログを見ると、既に暗殺場面は2日前の10月8日に撮り終えているとのこと。どんな感じになるんでしょうか。

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2010年10月 4日 (月)

日本、核保有への意思

本日付日経新聞2面の記事「核保有、60年代に政府検討」からメモ。

1960年代後半に当時の佐藤内閣が核兵器の保有を極秘裏に検討し、旧西ドイツ政府と核を巡る協議をしていたことが3日、分かった。両国政府の協議に外務省から出席した岡崎久彦元駐タイ大使が日本経済新聞記者に明らかにした。岡崎氏は3日夜、「69年に日本と西ドイツで核兵器の開発を巡る協議をしたのは事実だ」と語った。

として、記事は「同日のNHK報道」の内容も紹介。これは3日夜の「NHKスペシャル」で、私も何となく眺めておりましたが、確かに岡崎氏の名前が秘密協議出席者(日本、西独各3人の外交官)の中にありました(本人の出演は無し)。

番組によれば、日本政府が核保有を考え始めたのは中国の核実験成功(1964)がきっかけという。ちょっと意外だったのは、戦後20年、敗戦国の日本も当時は「超大国」を目指していたということ。核兵器を持つことによって、日本も国家たらんとしていたみたいです。で、同じ敗戦国であるドイツの協力を得ようとしたのだが、当時の西ドイツは東西冷戦の最前線にあったため慎重姿勢だったと。結局日本は、アメリカの「核の傘」の下に入ることにしたのだが、これにより唯一の被爆国であるにも係らず、アメリカに気兼ねして国連における核軍縮決議に対して明確な賛意を示せないというジレンマを抱え込んでしまった。

最近の尖閣諸島問題の推移を見ても、どうも日本は国家としてどうよ、って感じがするわけで・・・あるいは40年前に核の保有を諦めた時に、日本は堂々たる国家となるチャンスを失ったのかも知れないと、少々不穏当なことを思ったりする。もちろん今どき堂々たる国家なんて時代遅れだよな、とも思うわけだが、近所には現実にいろいろ厄介な国家があるわけで、もう少しうまく立ち回ってよ、とか思うよ、やっぱり。

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2010年10月 3日 (日)

木田元のハイデガー

日経新聞「私の履歴書」、9月は哲学者・木田元が執筆者で、先頃連載が終了した。何と言うのか、戦中戦後を生きた人は波瀾万丈だなという感じだが、専門のハイデガーについては比較的あっさりと触れていただけだったので、ちょっと復習したくなって、『木田元の最終講義』(角川ソフィア文庫、2008)を読む。

木田先生が若い頃にドストエフスキーとキルケゴールをセットで読んだという話があるけど、このパターンは戦後を生きた作家や文芸評論家の話にもしばしば出てくるので、ある年代の読書体験としては割と共通しているような印象がある。しかし木田先生はそこからさらにハイデガーの「存在と時間」を読みたい、というところに行くのが凄いというか独特というか。そして実際に読んでみて、これは哲学史を勉強しないと本当には理解できない、と感じて哲学研究の道に入るというところがさらに凄い。

1927年に刊行された「存在と時間」は、実はハイデガーの構想の中では全体の3分の1程度の内容だったが、残りの部分は結局書物としては世に出なかった。「存在と時間」は未完の書物なのである。なのに当時、さらにその後も非常に強い影響力を広範囲に及ぼしたのはなぜか。最終講義の「補説」には、その辺りのことも書かれているが、これも時代背景を抜きにしては考えられないようだ。当時は第1次世界大戦の戦後であり、世紀末的雰囲気を濃厚に引き摺っていた。そこで「存在と時間」は、破壊的であるとともに革新的な書物、新しい人間像や世界観を提示した哲学書として受け止められたようだ。同時期の哲学的大著として挙げられている、シュペングラー「西欧の没落」、ルカーチ「歴史と階級意識」、ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」などからは、時代の雰囲気が(な~んとなくだけど)感じられる。

木田先生は長い研究生活の間、ハイデガーの講義録を読み、同時にメルロ=ポンティを研究しながら、ハイデガーが西洋哲学の思考様式を丸ごと相対化してその克服を目指していることを了解。そのハイデガーの企てを言い表した言葉が「反哲学」ということになる。木田先生は、哲学について膨大な研鑽を積んだ果てに、「反哲学」の境地に達したわけだが、とりあえず私のようなニーチェ主義者的素人は、哲学をまともに勉強することなく、「反哲学」という結論だけをいただきます、という感じです。(苦笑)

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