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2010年8月29日 (日)

生物の性と死

日曜夜7時からNHKニュースを見て、そのままほっとけば「ダーウィンが来た!」に突入する。この自然番組で多く出てくる場面は、鳥や獣の繁殖期にオスがメスに必死にアピールする姿。それを見るたびに、オスであることの悲哀を感じつつ、あ~この世に性って何であるんだろう、何だかメンドくさいよな~とか思う。

しかし、性がなぜあるかは、科学的にも謎らしい。『まだ科学で解けない13の謎』(マイケル・ブルックス著、草思社)には、「有性生殖をする理由が科学ではわからない」とある。同書はまた、「生物が死ななければならない理由が科学で説明できない」ともいう。そして、死と性は深い関連を持つ可能性が示唆されている。

死と性というと文学的なテーマという印象があるけど、死と有性生殖も科学的に大きなテーマであるようだ。死と性の関連は、『ヒトはどうして死ぬのか』(田沼靖一・著、幻冬舎新書)の中でも指摘されているのでメモ。

有性生殖で子孫を残していくシステムにおいて重要なのは、遺伝子が常にシャッフルされているという点です。
生物は生きている間、さまざまな化学物質や活性酸素、紫外線、放射線などの作用によって、日常的に遺伝子にキズを負っています。古い遺伝子には多くのキズが変異として蓄積します。
老化した個体が生き続けて若い個体と交配し、古い遺伝子と新しい遺伝子が組み合わされれば、世代を重ねるごとに遺伝子の変異が引き継がれて、さらに蓄積していくことになるでしょう。もしこのようなことが繰り返されると、種が絶滅して、遺伝子自身が存続できなくなる可能性もあります。
この危険性を最も確実かつ安全に回避する手段は、古くなってキズがたくさんついた遺伝
子を個体ごと消去することです。

「性」による「生」の連続性を担保するためには「死」が必要であり、生物は「性」とともに「死」という自己消去機能を獲得したからこそ、遺伝子を更新し、繁栄できるようになったのです。

生物の個体を通してしか存続できない遺伝子にとって、生物を環境に適応させていくには「性=遺伝子の組み換え」と「死=遺伝子の消去」を伴う仕組み以上によい方法はないのかもしれません。

・・・性と死は同時発生なのだった。なるほど生物の多くは繁殖期を過ぎると寿命が尽きてしまう、ということを見ても、性と死の密接な関係を感じるわけだが、ヒトは生殖期の後の寿命が長いという特徴がある。たぶん子育てに時間がかかるという事情も関係してるんだろうけど、まあ何にせよ不思議な生き物です、ヒトというのは。

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2010年8月22日 (日)

春日山城に行く

昨日の土曜日、春日山城に出かけた。
といっても上杉氏に特に興味があるわけではない。春日山城は、誰が決めたか知らないが、5大山城の中のひとつ。自分は数年前に小谷、観音寺、今年に入って月山富田、七尾に行ったので、最後に残った春日山に行けば、5城すべて訪ねることになる。まあできれば、山城は気候のいい季節に歩きたいんだけど、夏休み期間中はシャトルバスで駅から登山口まで行けるということで、真夏の山城行きを決意しました。

21日朝7時28分東京駅出発。長野新幹線を使うのは、春の小布施旅行以来、2度目。8時53分長野着。乗り換え時間は30分程。立ち食いそばを食する。さらに信越線を北上すること1時間半、春日山駅10時53分着。小さな駅の前からシャトルバス「けんしん号」に乗る。21日、22日は謙信公祭のため、乗車料は1回100円(通常は200円)だった。まずは埋蔵文化財センターで「謙信公と春日山城展」を見学。その後再び「けんしん号」で、春日山神社下に移動。長い階段を上り神社の前を通り過ぎて、上杉謙信の銅像前から、春日山城の本丸に向かって歩き出す。

あっつい中、三の丸、二の丸、そして本丸へ。ゆるゆると上っても30分程で着く。後は毘沙門堂(下の写真)、直江屋敷跡など周囲を散策。そのまま神社まで戻るのは少し物足りなかったので、再び二の丸に向かい、本丸下を通って景勝屋敷跡、さらに柿崎和泉守屋敷跡という広い場所に出る。さて、こっからだ。あっついし、また神社まで帰るのが無難。しかしマップを見ると、距離が長めの大手道コースというのがある。あっついけど、せっかく来たので、下りは大手道を行くことにした。だらだらと山道を下っていく。上ってくる人は母娘らしき一組だけだった。おそらく気候のいい時は、大手道からゆっくり本丸を目指すのが山城歩きらしいだろうな。上りでもたぶん1時間見ておけば行けるでしょう。現地を歩いて気が付いたのだが、大手道入り口は埋蔵文化財センターのほぼ目と鼻の先だった。徒歩3分くらいの距離。

春日山城は城跡としてはメジャーな場所だけあって、歩道が整備されているし、山城歩きとしては「公園」の部類に入るかも。一人で歩く若い女性がちらほら。「歴女」を引き寄せる、これが今の上杉の「権勢」を示しているのかな。

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謙信公祭、22日はGACKT出演予定。ガクトの美しすぎる謙信、NHKが生み出したヒット商品だよな。

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2010年8月 9日 (月)

「コミュニティ」の話をしよう

今週の「週刊東洋経済」(8/14・21合併号)の特集は、実践的「哲学」入門。『これからの「正義」の話をしよう』の著者であるマイケル・サンデル教授のインタビュー記事からメモする。

私は行きすぎた自由市場と個人主義に批判的だ。個人主義はコミニュティや友愛、団結、そして共通善との間でバランスを取るべきだと思う。

コミュニティが強力であるためには、地方の中間団体が重要になってくる。労組や教会、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)、モスクといった宗教上のコミュニティ、女性団体、環境団体など、特定の公共問題に取り組むグループなどだ。
こうした団体は、
地方に根差しているだけでなく、人と人とを結び付け、市民の間に共通善を大切にする習性を育む。ここにこそ、コミュニティの存在意義がある。

グローバルエコノミー、インターネットの台頭という現代の情報技術により、人と人とのかわり方が変化し、健全なコミュニティを支えることができなくなっている。われわれは共通善を失いつつあるという危険にさらされているのだ。

コミュニティや社会的団結、共通善を「正義」の不可欠な構成要素とみるのが、私の持論だ。

・・・「市場の役割が、従来は非市場的価値によって支配されてきた領分にまで広がったことに懸念を感じている」という教授は現在、「市場の道徳的限界」をテーマとした著書を執筆中とのこと。アメリカにも、佐伯啓思先生みたいな考え方の人がいるんだな、って感じ。

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