« 「桶狭間の謎」(歴史街道) | トップページ | 『使える経済書100冊』 »

2010年5月21日 (金)

「難病」に思う

今週初めの「徹子の部屋」に安岡力也が出演、自らのギランバレー症候群との闘病生活を語った、とのこと。ギランバレーは神経に障害が生じて筋肉が麻痺する難病。昨年死去した大原麗子もこの病の患者だった。安岡の病状について、夕刊フジのネット配信記事からメモしてみる。

手首はダラリと垂れ、物を掴むこともできなくなり、膝から下は鉛をつけたように重く、常に痺れた状態になった。しかも安岡の場合は、呼吸筋にも嚥下筋にも障害が出て呼吸困難を起こし、しゃべることも、食べ物を飲み込むこともできなくなり、気管を切開して人工呼吸をし、右わき腹に管を通して栄養補給をしたという。

2年間の寝たきり生活が続き、気が付くと体重は70キロに激減していた。
闘病3年目にはどうにか歩けるようになり、体重も元に戻った。そして現在はリハビリに励み、食事もきちんと3食食べられるようになった。

・・・ギランバレーって、こんなにも重くなるのか。現状は「足首に装具を付け、杖を突いての歩行」とのことだが、そこまでだってよくまあ回復したものだと思う。

ギランバレーの発症率は10万人に一人とからしいが、発症率からすると、自分が経験した脊髄腫瘍も同じくらい稀な病変。しかし残念ながら?特に「難病」という扱いでもないのだな。まあ確かに発症原因は不明だけど、治療としては腫瘍を切除する、要するに手術あるのみ。ということでハッキリしているせいだろうか。それでも腫瘍が、可能性は小さいけれど悪性だったりすると、充分「難病」になるとは思う・・・。

しかしこういう病変を経験すると、神経系の病気の話には敏感になる。やはり同じくらいの発症率でALSという難病がある。こちらの最近の著名人患者は篠沢秀夫教授。今月の「文藝春秋」に、篠沢夫妻の手記が掲載されている。極めて困難な身体的状態に置かれながらも、篠沢先生はブランショの小説を翻訳しているそうだ。不屈の研究者魂に敬服。しかし大原麗子の死んだ時にも思ったが、難病のもたらす孤独、その絶望の深さは想像を超えるものがある。自分だったら、とても耐えられないような気がする。

難病について見聞きしたり、年を取ってあちこち不具合が出てくると、人間というのは結局、身体なんだなという思いが強まる。身体が壊れてしまえばお終いだ。生老病死も、全く身体的な事柄ゆえに、自分の心や意識ではどうにもならない事が納得されてくる。銀河鉄道999の「機械の身体」というのは、今ちょっとリアルな感じがしてきた。壊れたら部品を取り替えれば良いんだろうから。昔、若い頃は何で機械の身体なんか欲しいのか、って感じだったが。まあ最近は、細胞再生の研究もかなり進んでいるようではありますが。

そういえば、先月末に鳩山首相が訪ねた徳田虎雄氏もALS患者ということだが、意思疎通は可能な病状なのかどうか。大体それほどの病気と闘っている人に、まだそんな政治的影響力があるのかどうか、何だかよく分からないのだった。

|

« 「桶狭間の謎」(歴史街道) | トップページ | 『使える経済書100冊』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/34794756

この記事へのトラックバック一覧です: 「難病」に思う:

« 「桶狭間の謎」(歴史街道) | トップページ | 『使える経済書100冊』 »