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2010年5月27日 (木)

『フランス革命の肖像』

世界史の勉強で困るのは、人名や地名を見てもイメージがわかない場合が少なくないことだ。そうなると世界史の本は、ただもう記号の山ってことになる。まあ、そういう事情は基本的には日本史だって同じといえば同じだが、自国の場合はさすがに日常生活からもメディアからも、歴史を理解する手がかりは見つけやすいのは言うまでもない。

なので、世界史を学ぶ時は余計にビジュアルが必要だとつくづく思う。とりあえず人物画と地図が欲しい、ぞ。ということで、『フランス革命の肖像』(佐藤賢一・著、集英社新書)は良い企画です。ルイ16世、ミラボー、ラ・ファイエット、マリー・アントワネット、ダントン、ロベスピエール等々、革命に関わった多数の人物の肖像画がカラー図版で登場。ワタシのイチオシはサン・ジュスト。本書の人物素描を少々メモしてみる。

サン・ジュストといえば絶世の美男と相場が決まる。実際に肖像画をみても、なかなかの美青年である。実際にサン・ジュストは女性に間違われることがあったらしい。

サン・ジュストの父親は軍人だった。この父親から後に革命家となる息子は、果断な発言、大胆な行動、厳格な規律等々の志向を受け継いだようなのだ。

例えば、サン・ジュストの名前を一躍高めた演説がある。
「王は裁かれなければならない。統治するうえで犯した罪ゆえでなく、かつて王だったという事実そのものの罪ゆえに。なんとなれば、かような権力の横領を正当化できる理屈などないからだ」
まさしく果断。サン・ジュストは行動力も抜群だった。フランス革命戦争では議会の全権代表として前線に赴き、自ら軍隊を動かして、勝利をもたらしたほどである。

器量の大きさではロベスピエールを優に凌ぐ、あのナポレオンにも匹敵すると、そうまで評する声も贔屓の引き倒しでは片づけられない。少なくとも未完の大器とはいえそうなのであり、してみると、恨みは若すぎたことになるか。

・・・ロベスピエール一派だったサン・ジュストは27歳で処刑された。なるほど少女マンガ的にはおいしいキャラなのだ。

肖像画多数の中に置かれて異彩を放つのが、ダヴィッド画「マラの死」。入浴中に刺殺された革命家マラの最期の現場を写実的に描いていて、思わず見入ってしまう。

しかしね、日本の明治維新というのも全体にヒステリックな感じがして嫌なんだけど、フランス革命となると、殆ど全てが勢いだけで進んでいくような感じがあって、これもかなり怖いものがある。

この本の最後を締めくくるのが、若き日のナポレオンの肖像。これがカッコイーのですね。全く、今のニッポン政治にもナポレオンが必要だと、いきなり思ってしまうのだ。

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2010年5月25日 (火)

「今回は違う」

経済危機の直接の原因は、市場にかかわる人々が繰り返す誤算だ――本日付日経新聞コラム記事「一目均衡」(「今回は違う」というワナ)からメモ。

誤算の背景には、人間の心理的な危うさがある。「4つの単語でできた言葉のなかで、もっとも高い代償を強いられるのはThis time is different(今回は違う)だ」。2年前に死去した米大物投資家、ジョン・テンプルトンの言葉。人々は今、希望的な思い込みのツケを払っている。
住宅ブームの時は「今回はバブルとは違う」と安心し、崩壊しても「今回は1990年代の日本とは違う」と楽観して、当局も投資家も痛手を被った。

昨年、「今回は違う」というタイトルで研究を出版した国際通貨基金(IMF)の元調査局長、ケネス・ロゴフ氏は警告する。「世界経済の最大の弱点は中国だ」。不動産バブルの懸念はすでに取りざたされている。しかし、不安なのはそれを打ち消す楽観論の方だ。
指導体制が強力なので金融危機も、景気の浮き沈みさえも抑えられる。労働力は豊富で倫理観もある――「耳に入るすべてが『今回は違う』の典型」という。

・・・「今回は違う」という楽観の行き着くところは「構造論」だろう。そして(若林栄四氏が言うように)、構造論が現われると相場はお仕舞いだ。最近では「ニューエコノミー」や「ゴルディロックス」という言葉が広まると、株価は急落し経済危機が出現した。構造論は結局、循環論に敗北する。

テンプルトンといえば思い出すのは、「強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく」という有名な言葉。「今回は違う」という根拠の薄い楽観の中で、断乎として行動することを忘れていると、相場や経済危機には勝てないんだなあ。(ため息)

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2010年5月23日 (日)

『使える経済書100冊』

冗談半分でいうと、良い書評は、その本を読まないでも分かった気にさせる「長所」と、その本を読まないで済ましてしまう、という「短所」を併せ持っている・・・(苦笑)。ということで、『使える経済書100冊』(池田信夫・著、NHK出版生活人新書)は良い書評本ですね。これを読めば、グローバル資本主義や日本経済、経済学等々について知ったかぶりできるぞ。以下は「経済をテーマにしたアフォリズム」風のアトランダムなメモ。

市場メカニズムの最大の特長は、人々がほとんど情報をもたなくても動くということだ。人々は価格だけを見て取引し、需要の多いところに商品が動いていく。市場は資源というより知識の配分メカニズムなのである。

市場は合理主義で動くシステムではなく、今回の危機の原因は、市場がすべてを解決すると信じる「知識の傲慢」なのである。

新古典派経済学が歴史を捨象しているのは、それが物理学のような普遍的な学問だと信じているためだろうが、大きな間違いである。人々の行動は歴史や文化に強く影響され、過去の経緯から自由ではない。

産業革命の本質は技術的な発明ではなく、植民地から搾取した資本を株式会社によって蓄積する制度的なイノベーションだった。

資本主義は等価交換によって利潤(不等価交換)を生み出すシステムであり、この矛盾がさまざまな軋轢を生んできた。

等価交換の均衡状態になったとき資本主義は終わるので、それはつねに変化しながら国境を越えて広がり、中心部が周辺部を搾取し続けなければならない。資本主義は不平等で不安定なシステムだが、今のところわれわれはこれよりましなシステムを見出していない。

日本経済の行き詰まりは、官も民も利害の対立する厄介な問題を先送りして、解きやすい問題だけを解いてきた結果である。

株主価値を高めるという資本主義の原点に帰らないと、日本経済は長期的な衰退の道をたどるだろう。

生産性を上昇させる最大の要因は技術ではなく、シュンペーターの「新結合」という意味でのイノベーションなのだ。

成長戦略とは、環境とか福祉とか特定の産業を政府がターゲティングして補助金で育成することではない。規制改革によって(資本・労働市場を含む)市場を競争的にする競争戦略であり、そのための予算はほとんどいらないのだ。

政府の役割は、市場の効率を上げるための規制改革と、インセンティブのゆがみをなくす税制改革などの制度設計に限られる。

社会主義を意識して導入された「福祉国家」は、今でも先進国の政治を強く呪縛している。社会主義の負の遺産は今なお残っており、それを清算することは現代的課題である。

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2010年5月21日 (金)

「難病」に思う

今週初めの「徹子の部屋」に安岡力也が出演、自らのギランバレー症候群との闘病生活を語った、とのこと。ギランバレーは神経に障害が生じて筋肉が麻痺する難病。昨年死去した大原麗子もこの病の患者だった。安岡の病状について、夕刊フジのネット配信記事からメモしてみる。

手首はダラリと垂れ、物を掴むこともできなくなり、膝から下は鉛をつけたように重く、常に痺れた状態になった。しかも安岡の場合は、呼吸筋にも嚥下筋にも障害が出て呼吸困難を起こし、しゃべることも、食べ物を飲み込むこともできなくなり、気管を切開して人工呼吸をし、右わき腹に管を通して栄養補給をしたという。

2年間の寝たきり生活が続き、気が付くと体重は70キロに激減していた。
闘病3年目にはどうにか歩けるようになり、体重も元に戻った。そして現在はリハビリに励み、食事もきちんと3食食べられるようになった。

・・・ギランバレーって、こんなにも重くなるのか。現状は「足首に装具を付け、杖を突いての歩行」とのことだが、そこまでだってよくまあ回復したものだと思う。

ギランバレーの発症率は10万人に一人とからしいが、発症率からすると、自分が経験した脊髄腫瘍も同じくらい稀な病変。しかし残念ながら?特に「難病」という扱いでもないのだな。まあ確かに発症原因は不明だけど、治療としては腫瘍を切除する、要するに手術あるのみ。ということでハッキリしているせいだろうか。それでも腫瘍が、可能性は小さいけれど悪性だったりすると、充分「難病」になるとは思う・・・。

しかしこういう病変を経験すると、神経系の病気の話には敏感になる。やはり同じくらいの発症率でALSという難病がある。こちらの最近の著名人患者は篠沢秀夫教授。今月の「文藝春秋」に、篠沢夫妻の手記が掲載されている。極めて困難な身体的状態に置かれながらも、篠沢先生はブランショの小説を翻訳しているそうだ。不屈の研究者魂に敬服。しかし大原麗子の死んだ時にも思ったが、難病のもたらす孤独、その絶望の深さは想像を超えるものがある。自分だったら、とても耐えられないような気がする。

難病について見聞きしたり、年を取ってあちこち不具合が出てくると、人間というのは結局、身体なんだなという思いが強まる。身体が壊れてしまえばお終いだ。生老病死も、全く身体的な事柄ゆえに、自分の心や意識ではどうにもならない事が納得されてくる。銀河鉄道999の「機械の身体」というのは、今ちょっとリアルな感じがしてきた。壊れたら部品を取り替えれば良いんだろうから。昔、若い頃は何で機械の身体なんか欲しいのか、って感じだったが。まあ最近は、細胞再生の研究もかなり進んでいるようではありますが。

そういえば、先月末に鳩山首相が訪ねた徳田虎雄氏もALS患者ということだが、意思疎通は可能な病状なのかどうか。大体それほどの病気と闘っている人に、まだそんな政治的影響力があるのかどうか、何だかよく分からないのだった。

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2010年5月17日 (月)

「桶狭間の謎」(歴史街道)

雑誌「歴史街道」6月号の特集は桶狭間の戦い。今から450年前の永禄3年(1560)5月19日、桶狭間で何が起こったのか。4人の研究者の説からメモする。

信長の勝因は、親衛隊を手足の如く使った機動力のすばらしさにあると思う。信長自身が馬廻を直接に指揮して、果敢に突撃したからこそ、この勝利が得られたのである。もう一つの勝因は天候である。「熱田明神の神軍」と当時から評された通り、西方からの強風と大粒の雨が実にタイミングよく起こってくれた。これは信長にとって、幸運以外の何物でもない。
一方、今川軍の敗因の一つとしてあげなければならないのは、せっかくの大軍が分散していたことである。(谷口克弘氏)

信長の動きは今川方の意表を突いた可能性がある。それは信長が二千足らずの旗本勢だけで最前線に躍り出てきたことにあるのではないか。信長の戦法は通常の戦国合戦の常道から逸脱している。
季節はずれの雹により陣列が乱れたのに加えて、総大将自ら陣頭に立った信長の予想外の行動に、今川方が面食らって下から上への情報伝達が作動せずに、対応が後手後手に回った感がある。
今川軍は大高城方面を志向していた。そこを、信長勢は今川方の右側背から攻め上り、義元本陣に殺到したという推定も可能かもしれない。(桐野作人氏)

「おけはざま山」の北方(義元本陣の右翼にあたる)から突如として信長軍の急襲を受けた今川方はたちまち大混乱に陥った。おそらく今川兵は、すでに信長軍の突入を受ける前に、鑓やのぼりなどは落雷を避けるために手放し、木陰に避難していたものと考えられる。これでは信長軍の急襲に対してなす術もなかったろう。
当時、総大将は馬廻りに守られて第一線の後方で指揮を執るのが通例であった。しかしこの時、信長は先頭に立って義元本陣に突入していた。そのため、咄嗟の情況判断によって速やかな対応ができ、義元を討ち取るという思わぬ大戦果を上げることができたのであろう。
ただし、信長の義元本陣に対する急襲が成功するには、信長が「おけはざま山」に義元の本陣があるという確証を得ていなければならない。18日夜、その情報を信長にもたらした男こそ、簗田出羽守であったろう。(梶野渡氏)

今川軍の兵力は二万五千とされる。しかし、正規の武士は一割程度で、残りの九割は農民兵だったのではないか。決戦時に信長が率いたのは、三千程度と思われる。だが今川軍とは異なり、信長自らが鍛え上げた馬廻りを中核とする精鋭部隊であった。
中島砦に入った信長は、「今川義元、おけはざま山で休息中」との情報をすでに得ていたと考える。そして、義元陣地の情報をもたらした人物こそ、やはり簗田出羽守ではなかったか。確かに『信長公記』には、簗田が信長に情報をもたらしたとは記されていない。しかし情報を重んじる信長が、義元の本拠地を把握することなく、寡兵で攻撃を開始することは考えにくい。(小和田哲男氏)

・・・天の時、地の利、人の和。窮屈な地形に展開した今川の大軍、その本陣の在りかを察知した織田の精鋭部隊が一丸となり、風雨に紛れて前進、一気に突入する。結果的に「奇襲」になった、というイメージだろうか。信長は幸運にも恵まれて、限られた自分の戦力を最大限効率的に活用することに成功した、ともいえる。

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2010年5月16日 (日)

桶狭間を歩く

久しぶりに桶狭間を歩いた。例によってJR東海さわやかウォーキング。大高駅をスタートして、今川方の鳴海城跡、織田方の善照寺砦跡及び中島砦跡から、有松の町並みを経て、桶狭間古戦場公園に到達し、南大高駅にゴールするコース。2年前にやはりさわやかウォーキングで、鷲津砦及び丸根砦(織田方)、大高城(今川方)を回っているから、これで桶狭間合戦の主要ポイントの地理的感覚は大体身に付いたかな。

今年は桶狭間合戦450周年。桶狭間古戦場公園には何と、織田信長と今川義元の銅像ができちゃったよ。今日から一般公開とのこと。公園とその周辺では「桶狭間古戦場まつり」も開催されていて、ウォーキング参加者と合わせて結構な人出だった。

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2010年5月15日 (土)

葦毛湿原に行く

JR東海さわやかウォーキング、豊橋自然歩道と葦毛湿原(いもうしつげん)のコースに参加した。

葦毛湿原は「ミニ尾瀬」とも呼ばれる、都市近郊にある珍しい湿原。ということで、この葦毛湿原を含むコース、たぶん3回目の開催だと思うんだけど、前2回は天気予報が思わしくなかったので続けて見送り、機会を待っていた。今回はどうやら良い天候に恵まれるとの見通しから、ようやく参加実現。

葦毛湿原。ホントに「ミニ」ではあるけれど、愛知県の天然記念物でもある貴重な自然。植物の名前を知っている、あるいは近くに住んでいて時々来れる、という人であれば、季節による湿原の表情の変化を結構楽しめるような感じがする場所だ。

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2010年5月12日 (水)

憂鬱なる先進国経済

本日付日経新聞国際面、フィナンシャル・タイムズ特約のコラム記事(欧州、待ち受ける緊縮財政時代)からメモ。

欧州連合(EU)加盟国の大部分は、分不相応な暮らしをしている。政府の財政赤字は手に負えない状態で、公的部門の債務は増加している。

残念ながら欧州の有権者と政治家は待ち受ける「緊縮財政の時代」への覚悟ができていない。
欧州の多くの人は、早期の定年退職や無料の公共医療、手厚い失業手当を基本的権利とみなすようになった。こうした権利意識は改革を極めて困難にする。政治家は厳しい決断を有権者に突きつけることを極端に嫌がるのだ。

だが今、緊縮財政を受け入れなければ、いずれ、それよりずっと衝撃的な事態に見舞われる。つまり、ソブリン債のデフォルト(債務不履行)と銀行の破綻だ。欧州の多くの人にとってはそれはラテンアメリカ(中南米諸国)でしか起きないはずの出来事だった。

もうひとつ、「ニューズウィーク日本版」ネット配信記事(ギリシャ発、福祉国家「死のスパイラル」)からメモ。

アメリカを含む事実上すべての先進国が、ギリシャと同じ現実――高齢化で医療費と年金の支出がかさみ、税収だけではまかないきれない――に直面している。国家が過剰な支出や借金を永遠に続けることはできない。なのに、政府は歳出削減と増税という厳しい決断を先延ばし、自ら袋小路に入り込んでいく。

問題の本質はユーロではなく、財政赤字と公的債務にある。そして、それを生み出す元凶は、失業保険や高齢者支援、医療費など近代国家が提供する社会保障制度だ。
各国ともすでに莫大な財政赤字をかかえており、その懐事情は不況で一段と悪化している。国債に投資する銀行や投資家が不安を募らせているのは明らかだ。高齢化の進行も、先行きへの不安をあおっている。

政府がどんな予算を組もうとも、事態はますます悪化する。財政赤字の拡大を放置すれば、投資家は政府の返済能力に疑念を抱き、経済危機が再発しかねない。かといって、社会保障費の削減や増税に踏み切れば、少なくとも一時的には経済は弱体化し、社会保障費の捻出は一段と難しくなる。

・・・先進国に生活する人々に明日はあるのか、という気分になってくる。

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2010年5月10日 (月)

ゲゲゲの米子・安来

先週末は安来にある月山富田城を訪ねるため、まずは飛行機で米子まで飛んだのだが、到着して目に付いたのが「米子鬼太郎空港」との横断幕。後で調べたら、この4月に愛称として採用したとのこと。そこまでやるか・・・鬼太郎の像まで置かれてるよ。

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安来に行けば、当然の如くNHKドラマ「ゲゲゲの女房」(水木しげるの奥様は安来出身)である。駅にはおっきな垂れ幕、ゲゲゲの女房観光シャトル便なんてバスも運行されている。しかし水木しげるのドラマも悪くは無いが、どうせなら20世紀中にやってほしかったような。今やっても個人的にはあんまり関心は盛り上がらないなあ。

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まあせっかく来たということで、境港の「水木しげるロード」も歩いてみましたけどね。ロードの奥にある水木しげる記念館のすぐそば、「妖怪食品研究所」では「妖菓目玉おやじ」を販売。製造しているのは松江の老舗「彩雲堂」で、1個350円。結構高いけど、空港などよその店には置いてない、通信販売もしていない、とにかくここでしか売ってないということで買ってみました。中にはこしあんが入っております。

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2010年5月 9日 (日)

月山富田城へ行く

昨日8日、戦国大名尼子氏の城、月山富田城(がっさんとだじょう)を訪ねた。前日に米子泊。朝JRで隣駅の安来に移動。駅の観光案内所でマップをもらい、行き方を教えてもらう。駅前から通称イエローバス(広域生活バス)に乗っておよそ25分、「市立病院前」で下車。運賃200円。病院を背にして左方向の道を上ると、川を挟んで歴史資料館の白い建物が見える。バス停からは徒歩10分程度で到着。資料館に隣接する「道の駅」の駐車場奥から、標高200メートル弱の月山に築かれた城に上っていく。

P1030759_3 山の中腹で広い場所に出る。これが山中御殿(さんちゅうごてん、写真右)。城主の居館があったとされる城の中心部。ここからさらに山頂にある本丸を目指して、七曲がりと呼ばれる急な石畳の道を上っていく。マムシとハチに注意、なんて表示も目に入る。山城歩き定番の危険。と、道端で物音。「何?」と思う間もなく、ちっちゃ~い野ウサギが脱兎のごとく、いや脱兎そのもののスピードで急な坂道を駆け上がっていった。「ま、負けた・・・」と感じつつ、坂道を上りきると、三の丸の石垣(写真下)が現われる。七曲がり、歩いている時間は15分程度と長くはないが、やはり急な道だけに結構しんどい。三の丸の後は、二の丸に続いて本丸、奥にある神社に到着。登山口からゆっくりの歩き、所々うろうろしながら1時間20分程で着きました。

P1030753 1543年、大内氏が富田城を包囲したが、攻めあぐねて撤退。1565年、毛利氏が富田城の攻撃を開始。兵糧攻めも行われる長期戦となり、翌年尼子氏降伏。その後山中鹿介らが奮闘するも、尼子氏再興は果せなかった。

現在の城跡は尼子時代のものではなく、毛利、吉川を経た最終段階の堀尾時代のもの。「月山富田城は、山中御殿以外の基本的曲輪配置や規模は、中世城郭のままとし、そこに織豊期の技術である石垣や礎石建物を持ち込むことで織豊化をはかった貴重な城」(歴史読本2007年5月号)ということです。

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2010年5月 5日 (水)

「ソラニン」マンガ&映画

たまには今のマンガを何か読まないといかんな、と思い立ち、浅野いにおの「ソラニン」を読んだ(全2巻で短いし)。読んだ後、現在上映中の映画化作品も見てみた。そしてまた、マンガをぱらぱらと見ている。

とりあえず映画のソラニン。セリフの言葉の転がし方なんかは今風なので、まあこういうもんかなとオジサンは思ったわけだが、作りそのものは割とオーソドックスな青春映画。これで男の子が暗い情念に捉われていて、女の子が脱いだりすると、70年代ATG映画になるよな~とオジサンは思った。

原作マンガでなぜだろうと感じたのは、主人公カップルが美男美女でないこと。脇役キャラにもいない。それがリアルってこと?

なので、原作の各キャラは実写の方が、かえって「美化」されてるって感じ。芽衣子は宮﨑あおいなので当然可愛いし、芽衣子のオカーサンはマンガではただのオバハンなのに、映画では美保純だし。種田君もよりシャープな印象の人物になり、マンガではデブキャラの加藤君でさえ、映画ではちょっとかっこいい。まあフィクションは、やっぱりある程度イケてる男女が出てる方が単純に楽しいので、自分的にはマンガより映画の方が好きになれた。

何より映画の方がいいと思うのは、音が出るってこと。当たり前だけど。だってバンドの話なんだもんね。いいじゃないですか、ライブ感覚。

それにしても、若者が社会(に出た後の人生)に対して抱くネガティブなイメージというやつは、今も昔もあまり変わらないのだろうか。確かにワタシも若かった頃、社会に出ると自分の可能性が全部失われる、ような気がしていたが・・・。(そんなこと無かったよ)

夢を追うことイコール社会を拒絶する、ことではないし、社会人になることイコール夢を捨てる、ことでもない。望めば、青臭く生きる大人になるとか、青臭く生きる場所を見つけることも不可能ではない。今の世の中、その程度には昔より進歩しているはずだ。

ソラニンの中に冴木というプロデューサーが出てくる。大手レコード会社でアイドルバンドを担当。もとはミュージシャンだったという設定。映画の中ではあまりセリフは無かったけど、マンガの中では終わり近くでこう語る。「あれから色々と思うところがあってね。今はこうして本当にいいバンドを探して、全国を歩きまわってるよ。本当はもっと割のいい仕事もあるんだが・・・・・・おかげで僕の会社での評判はガタ落ちだ」

冴木サン、あんた見た目は少し気取った感じだけど、いいやつだな。

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2010年5月 1日 (土)

カヴァレリア・ルスティカーナ

何しろ「国民的映画」という話もある「のだめカンタービレ最終楽章」。クラシック音楽には疎い私ですが、「前編」に続き、「後編」も鑑賞。使用楽曲で「おっ、これは」と分かったのは、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲。ゆったりと流れるような旋律に乗せて、憂愁の色濃い甘美なノスタルジーにも似た情感が胸苦しさを覚える程に溢れ出す。のだめ「失踪」で千秋が心配するシーンに使われて、過剰なまでに叙情性を演出。で、なぜ曲名を覚えていたかというと、「ゴッドファーザーPARTⅢ」、シリーズ最終作の最後を締めくくる音楽だったから。(苦笑)

このシーンの後、「失踪」していたと思われたのだめが、自分の部屋のカラフルなゴミの山の中から「復活」するのだが、何だかゴジラが眠りから目覚めるみたいだと思ってしまった(苦笑)。そういや最初に配給会社の東宝マークが出るのだが、あれを見ると条件反射的に怪獣映画が始まるものと思ってしまう。(また苦笑)

前編ではチャイコフスキー「1812年」で、レインボーのコージー・パウエルのドラム・ソロを思い出すし、クラシック音楽に疎い私が見たら、ハード・ロック、怪獣映画、マフィア映画という自分の各種「刷り込み」がフラッシュバックしてしまいました。

それはともかく、玉木宏の真剣な眼差しの熱さ、上野樹里の無邪気な瞳の愛らしさは、マンガの登場人物に確かなリアリティを与えていて、なかなか素敵だった。

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