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2010年4月26日 (月)

橋龍は偉かったよな

まずは昨日25日付日経新聞のコラム記事・風見鶏(米大統領が示した敬意)からメモ。

普天間の返還は1996年2月、当時の橋本龍太郎首相がクリントン米大統領に直談判して動き出した。

忘れられない光景がある。98年11月、再来日したクリントン大統領を招いた迎賓館での歓迎式典の出来事だ。大統領がしきりに周囲を見回し、突然、歩き出した。視線の先には橋本前首相がいた。親密さを表すように近くに立ち、参院選敗北を受けた辞任への慰めの言葉を丁寧に伝えた。国を背負って何度も渡り合った相手に、最大限の敬意を払ったように見えた。

軍事アナリストの小川和久によれば(『普天間問題』、ビジネス社)、当時、日本側は普天間の返還を要求して、アメリカに一度拒否されていた。しかし小川氏は、外交交渉をボクシングに例えて「1ラウンドで終わりではない」、「キャンプ・シュワブへの移設なら軍事的能力が低下しないから、米国は反対しないはず」との見通しを、山崎拓・政調会長経由で総理に伝えていたという。そして普天間返還を再交渉した結果、日米首脳会談の直前に劇的な合意に至った。

96年4月の合意から14年も経つのに、いまだに普天間の返還は実現していない。小川氏は、「私たちの政治が問題解決のまともな方向性を示すことができず、官僚機構にすべてを丸投げし、あまつさえ埋め立て利権にあずかろうとした政治家すら蠢いて、14年の月日が無為に過ぎ去ってしまったのです」と嘆き、普天間問題の迷走の最大の原因は「政治の不在、政治の無責任」だと指摘する。

機会を捉え、粘り強く自らの要求を相手に認めさせた橋本龍太郎。その政治家としての手腕を、クリントンも讃えていた。しかし日本国のリーダーが自らの意志と責任で勝ち取った外交交渉の成果を、後に続く者たちが今や台無しにしようとしている。

冷戦後の総理大臣でリーダーらしいリーダーは橋本と小泉、龍太郎と純一郎だけだろう。他の方々は大臣、官房長官、幹事長としては良くても、総理大臣としては・・・という人ばっかだった。もちろん今の人も総理大臣の器じゃないし。次にリーダーらしいリーダーが現れるのはいつのことなのか。

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