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2010年4月 4日 (日)

「無縁社会」

先週の「週刊ダイヤモンド」(4/3号)掲載記事(NHKスペシャル「無縁社会」製作者座談会)の中で告知されていたこともあり、昨日3日の夕方、「無縁社会」の再放送等と討論で構成された特集番組、及び夜の関連番組を見た。夕方の番組の内容は、主に孤独死や単身者の老後生活で、問題提起としてはそれなりの重さはあった。とりあえず「ダイヤモンド」の記事からメモ。

記者A:私たちが言っている「無縁」とは、自分の支えになるような縁を感じづらい社会、自分の暮らしや命を支えてもらっているとなかなか実感できない社会のことだと思っています。
近所や親戚付き合いもあるのに、その人が本当に望む生き方ができない、老後をどう過ごし、どこで死を迎えたいかという自由が保障されていない。無縁とは、そういうことも含めたものだと感じます。

ディレクター:取材してみると、完全に無縁なんていう人はいないんです。今の無縁というのは、親族や故郷はあるんだけど、それらが機能していない。縁がないのではなく「縁が機能しない」ということなんです。その人が自ら一人ぽっちの生活を選択したのだとしても、その結果、社会の救済システムが届かないところにすぐ転がり落ちてしまう危うさがある。そこに問題があるのだと考えています。

記者B:取材しながら自分に照らし合わせることが多かったですね。すると核家族化や少子化、子どもを持たない生き方など、いろいろな問題が背景に横たわっていることを感じました。
今、ミクシィやツイッターで番組についてつぶやいている人にも会っているのですが、いわゆる“ロスジェネ世代”が多い。就職がうまくいかず非正規で働いているとか、正社員で忙しく働いて充実しているように見えるのに鬱があるとか、よく取材してみるとその向こうに社会の病巣があることがわかる。30~40代と、幅広い層に無縁社会が広がっていると感じますね。

ディレクター:「縁」の意味としては、二つあると思うんです。一つは安心感という心のつながり。もう一つは、たとえば介護が必要なときにシグナルが出せて、なんらかのサービスに引っかかるという社会の救済システムです。
このうち、公的なシステムは完全に欠落しています。本来、公が担うべき社会保障のシステムを、これまでは家族や企業などに一部分を負わせてきた面がある。ところがここにきて、その仕組みから排除されている人がどんどん出現してきて、救済システムの手直しが追いついていない。

・・・「無縁社会」とは「都市化」の行き着く果て、と感じる。いわゆる共同体の崩壊、人的流動性の増大、個人単位の生活等々。家族や企業の「共同体性」が希薄化すると共に、それらが部分的に担っていたセーフティネットの機能も失われた。結果、高齢者や失業者などの弱者に対する公的支援制度の不完全性が露になり、「自己責任」概念が若い世代の一部を呪縛しているらしい事と相まって、事態をより悲惨なものにしている印象もある。

NHK番組の中でも、個人が自分から絆を作る努力をすると共に、個人が困った時には国や社会が守らなければならない、とする意見が述べられていた。社会システムの見直しを進めると共に、個人もより意識的に状況に向き合う事が求められている・・・まあ、どんな社会問題も、大雑把な結論としては、そんな形になるんだろうけど。(苦笑)

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