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2010年3月 8日 (月)

「天道」VSキリスト教

4年前に『島原の乱』(神田千里・著、中公新書)を読んで「天道」思想について知った時、日本人の宗教意識や、非西欧国である日本の近代化を考えるヒントにもなると思われて興味深かったのだが、このたび神田先生の新著『宗教で読む戦国時代』(講談社選書メチエ)が出たので、とりあえず「天道」思想とキリスト教との対立についてメモ。

戦国時代の日本に広まっていた「天道」の観念には注目ポイントが4つある。

第一に、「天道」は「武運」を左右する摂理である。それは神仏の目に見えない働きでもある。すなわち「天道」に背く者には神仏の罰が、守る者には加護が与えられる。ゆえに第二に、「天道」に適うためには、神仏への信仰が不可欠になる。神仏は総て信仰し、崇拝すべきものである。第三に、正直、公正、上下関係への配慮など、一見信仰とは無関係な世俗的道徳も守るべきとされる。第四に、神仏との関わりにおいては、外面的な行為よりも内面の心の在り様が重視される。

個人の内面倫理を人間の運命を司る超自然的な摂理に結びつける発想は、少なくとも表面的には、キリスト教の発想に似ている。すなわち一神教的ともいえる。

しかしその一方で、「天道」思想はあらゆる神仏を尊重するのに対し、当時のキリスト教は、自分以外の宗教はすべて「悪魔」の「異教」であるとして排除する。

日本は「神国」だから、神仏をすべて尊重することが「天道」に適っているのであり、キリシタンのように、排他的な信仰によって他の宗教を迫害するのは「天道」に反する、というのが伴天連追放令を出した豊臣秀吉の論理だった。

カトリックとプロテスタントが激しく対立する時代の中で、排他的な性格を極度に強めたキリスト教が伝えられてきた時、日本では、「天道」思想に彩られたさまざまな宗派の宗教が、支配層から民衆に至るまで受容されていた。両者が軋轢を起こし、敵対する危険性は十分すぎるほどあった。

・・・戦国時代の日本とキリスト教は、不幸な出会い方をしたのかも知れない。しかし逆に言えば、日本は排他的なキリスト教と出会うことによって、自らの宗教思想的な枠組みをより明確に意識したとも考えられるだろう。この本は、宣教師の記録や島原の乱なども合わせ鏡にして、戦国日本の宗教意識を分かりやすく描き出している。おそらくその意識は、「無宗教」とも見られがちな現代日本人の生活心情の根底にも流れているものとして捉えることができるはずだ。

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