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2010年3月31日 (水)

日本国債に「黒船」接近?

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(黒船は国債金利上昇)からメモ。

閉塞感が強まっている。経済は海外頼みとなっている。政治は人気取りの瞬間芸頼みで、方向が定まらず、大きい政府に退化しつつある。その政府財政は厳しい状況だが、いまひとつ危機感に乏しい。

現状の打開に何が必要なのか。国債金利の上昇という黒船の登場だろう。政府と市場全体を目覚めさせ、維新をもたらすには、この黒船の登場が一番の近道だ。

金利上昇は金融を混乱させ、銀行はもちろん、年金にも多額の損失をもたらす。政府財政も混乱するだろう。しかし、その混乱がごく近い将来に生じるのなら、日本には回復のための体力が残されている。混乱が先になればなるほど、収拾が困難になる。この意味で財政改革が喫緊の課題だが、これまでの政治は先延ばし政策を採用してきた。その結果は、政府債務残高が個人金融資産残高に急速に接近してきた事実である。国力の浪費でしかない。

・・・国債金利上昇っていうのは、「国債暴落」のマイルドな言い換えなんですかね。いや、それだったら国債金利上昇になるのかな。まあ年末にも、国債金利上昇を扱った日経記事をメモしたけど、とにかく国債を国内の預貯金だけで消化し切れなくなり、外国人に本格的に買ってもらわなければならなくなった時が、やっぱり転換点になるというのか、そういう形で「外圧」が出現しないと、日本はマジメに改革をやらないという感じもするのが、ちと悲しい。

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2010年3月30日 (火)

山城歩きはデンジャラス

雑誌「サライ」4月号(城特集)の対談記事の中で、小和田哲男先生と坂東三津五郎お薦めの城(小和田:松山城、小谷城、高天神城、坂東:彦根城、松江城、備中松山城)は、自分もすべて訪問済みだけど、雑誌「歴史読本」5月号掲載、中井均(城郭研究家)と春風亭昇太(落語家)の対談「戦国の城が熱い!」の中で名前の挙がっている中世山城となると、正直殆ど知らないし、行ったことも無い。おそらく普通の人には、城というよりも、山の上にある陣地程度にしか思えない場所だと思う。そんな城について熱く語る二人、中井氏は専門家だから当然として、昇太師匠のマニアックぶりは「へぇ~」って感じ。山城歩きにまつわるエピソードもユーモラスに語られる。例えばこんな感じ。

中井:戦国時代の城ばかり行かれると、危険な目に遭ったりしませんか。
昇太:山城は一人で行っちゃいけないなと思いますね。仲間がいないんで、しょうがないんですけど、この間、山からずうっと登りかけたら、「マムシ注意」っていう看板のところにスズメバチがとまっているんですよ。「こわー」とか思って。途中で、すごい絶壁のところがあって、スズメバチに刺されても、マムシにかまれても、ここから落ちても、だれも見つけてくれないやと思って、これ、一人で行っちゃいけないなって思いながら――だけど、やめられないですね。
中井:僕は、ヒルとダニにやられたことがあって、山を落ちるよりもそっちの方が怖いんですけどもね。
昇太:あいつらは話してわかるやつらじゃないですからね(笑い)。

一人の山城歩きは、結構命懸けだよなあ。危ない経験の他にも、山城歩きをしているうちに、公園や民家の裏庭に出てしまって、突如出現した怪しいオッサン、という感じで一般人を驚かせてしまった、そんな経験をお二人とも持っているのが可笑しい。

日本人は、天守閣がないと城じゃないと思って大事にしないけど、それも今変わりつつあると昇太師匠は語る。最近は自分も天守なしでも石垣があれば嬉しい、という気持ちになってますが、昇太師匠のように土塁に喜びを感じる境地にはほど遠いです。でも、まあ「石垣フェチ」のレベルでとりあえずいいかな、自分は。

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2010年3月28日 (日)

小布施に行く

長野の小布施に出かけた。目指すは岩松院というお寺。そこには、葛飾北斎が描いた「八方睨み鳳凰図」という天井画がある。また、戦国武将福島正則の菩提寺でもあり、正則の霊廟が建てられている。

長野新幹線に乗るのは初めて。朝7時28分「あさま」に乗車して東京駅出発、9時前には長野着。長野電鉄に乗り換えて35分で小布施着(運賃650円、特急に乗る場合は100円追加、所要時間は25分)。町内周遊シャトルバスがあるそうだが、12月から3月は運行してないということで、岩松院までとぼとぼ歩く。約30分の道のり。

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到着後は早速、鳳凰図を見上げる。御堂内は畳敷きだが、長椅子が並べられて「座って見てください」との指示。天井画は21畳分の広さ、「八方睨み」と称される鳳凰の「目ヂカラ」も含めて、華麗な色使いと構図が圧倒的なこの大作は、嘉永2年(1849)に数え年90歳で没した北斎の、最晩年の作品というから、芸術家のエネルギーにはただもう恐れ入るばかりだ。・・・あ~そこの人、御堂内の撮影は遠慮してくださ~い。(^^;

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鳳凰図を見学した後は、御堂の外に出て正則公の霊廟へ。豊臣秀吉子飼いの武将である福島正則は、関ヶ原の戦いでは徳川方に付き、戦功を認められて安芸・備後50万石の大大名に。そのおよそ20年後、広島城の「無断修復」を幕府に咎められて、信州・越後に国替えとなり、石高も4万5千石に激減。寛永元年(1624)、64歳で世を去った。その辺のことは、ブログ内記事(2年前の広島城訪問記)にメモしました。

天気予報は曇りのち雪で、どうなることやらという感じだったが、昼頃まではうっすら陽射しも出るくらい、まともに曇って雨もぱらついたのが午後3時頃で、日帰り旅行の天気としては何とかセーフだったのが有り難かった。

今回のお出かけは、たまたま見たテレビ番組の影響が大きい。2月のある寒い日曜日、部屋に籠ってだらだらテレビを付けっ放しにしていたら、葛飾北斎の娘の話が出てきて、何となく見ていたらこれが意外と面白いのだった。その番組に小布施の鳳凰図の話も出てきて、福島正則最期の地でもあるし、じゃ行くかという気が次第に盛り上がって、本日決行したという次第。しかし今でこそ新幹線を使って2時間程度で行ける場所だけど、北斎は晩年の80歳代に4度、江戸から小布施を訪ねているとのことで、やっぱり人並み外れたエネルギーの持ち主だと感じるほかないのだった。

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2010年3月24日 (水)

映画「マイレージ、マイライフ」

昨年末、「キャピタリズム」をシャンテシネ(つい旧名で呼んじゃいます)で観た時、予告編がかかっていたのが、「新しい人生のはじめかた」と「マイレージ、マイライフ」。どっちも中年シングルが主人公と思しき映画で、これは観なきゃいかんと感じて、先月「新しい人生~」、今月は「マイレージ~」と、続けてシャンテに足を運ぶことと相成った。

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「マイレージ、マイライフ」の主人公はリストラ宣告人。不要になった社員に対して会社に代わって解雇を言い渡す。1年の322日は出張、マイレージ1000万マイルを目標に、必要最低限の荷物をキャリーバッグ一つに詰めて、全米を飛び回る。常に移動することが人生と考え、他人との深い関係は求めない。女性ともカジュアルな付き合いを楽しむ。そんな男を、ジョージ・クルーニーが演じるわけだから、実に颯爽としたものだ。

その主人公が出会う有能な新人女子社員。ネットの解雇システム活用による出張廃止を提案する。男はリストラの現場を学ばせるため、彼女を出張に同行させるのだが、行く先々で二人は仕事やプライベートについて意見を戦わせる。さらに自分の妹の結婚式当日、急に不安を感じた新郎を説得したことで、男自身の心にも変化が生じる。遊びの関係だと思っていた女性に真剣な気持ちになって、はるばる彼女の家を訪ねるが、実は夫も子供もいる相手だった。振られるジョージ・クルーニー、カ、カッコ悪~い。(泣)

夢の1000万マイルは達成。ネット解雇も結局取り止めとなり、再び出張生活に戻る主人公。しかし今後の彼に新たな目標はあるのだろうか――。

何だろうなあ・・・。主人公の行動が変化した理由や動機は、それ程明確に伝わってこないし、大体遊びの相手に突然マジになるかね。ていうかジョージ・クルーニーは良いとしても、脇役の女優二人にあんまり魅力を感じませんでした。

比較の対象になるのか分からないが、中年独り者の私の感想では「新しい人生のはじめかた」の方が良かった。まあまあ人に語りたくなる俳優(ダスティン・ホフマンとエマ・トンプソン)、そしてストーリーだったよ。

さらに話が飛んじゃうけど、クルーニー演じた人物は、マンガ「孤独のグルメ」の主人公みたいだ。彼も結婚に対して、「守るものが増えそうで人生が重たくなる」し、「男は基本的に体ひとつでいたい」と考える人物なのだった。もし「孤独のグルメ」実写版を作るなら、主役にはニコラス・ケイジって説もあるらしいけど、外国人だったらジョージ・クルーニーで決まりだな。

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2010年3月21日 (日)

ポンペイ展

ポンペイ。といえば火山が噴火して大量の火山灰に埋もれた街。という話を小学生の頃何かで読んで、何だかドラマチック過ぎて不思議な感じもした記憶がある。

さて、年初からスタートした「ポンペイ展」、福岡の開催は終了。昨日3月20日から横浜美術館に場所を移したので見学に出かけた(横浜は6月13日まで、以後は名古屋、新潟、仙台と巡回する予定)。

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西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火によって壊滅したポンペイ。帝国として確立したローマの支配が地中海世界に平和をもたらした時代。突然の自然災害によって、ポンペイは古代ローマ人の生活をそのままパッケージしたような遺跡となった。展覧会の出品物は、彫像、装身具、食器、家具調度など多岐に渉る。剣闘士の兜、家庭用の浴槽、医療器具なんて物もある。意外感があったのは「ヤマネ飼育つぼ」。ヤマネは「珍味として喜ばれた小型の齧歯類」と説明されている。ヤマネってネズミみたいなやつだろ。そんなの食べるのか。げげー。・・・それはともかく、メインというとやはり壁画だろうか。図録の解説から引用してみる。

ポンペイで発掘された様々な美術品や生活用品の中で、最も我々を驚かせ、感嘆させるものは壁画であろう。学術的にみても、ヘレニズム・ローマの絵画を考えるとき、ポンペイの壁画の存在はきわめて大きい。
特に、都市空間、室内空間の本来あるべき場所に壁画が残されていたことは、当時の人々の生活感情や美意識、思想を知る上でかけがえのない材料となる。
それにしても、そもそもなぜこれほどまでに壁画によって建築物を飾り立てたのかと疑問に思うほど、ポンペイの家は壁画であふれていた。住人の文化的ステータスを示す重要な意味があったことは疑いないが、ポンペイの人々は、日常空間の中に、非日常的、神話的、空想的な空間をできるだけ持ち込んで、今、ここが楽園なのだと感じたかったのではないだろうか。

自分の家に壁画や彫刻を飾り、庭園も造ったりというのは、富裕層だからできることだけど、しかしまあ展覧会に示されるグルメやパーティの様子、ファッションや生活用品の豊かさなど、二千年も前に実現されていた文化的・享楽的生活には驚かされるばかりだ。

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2010年3月20日 (土)

聖書と絵画

ひと月前の雑誌「PEN」(3/1号)の特集「キリスト教とは何か。」は、結構勉強になった。

世界最大のベストセラーといわれる聖書。西洋文化の基礎と言われても、じゃあ読もうかという気には正直なかなかならない。易しい解説本、例えば「まんがでわかる聖書」「図解聖書」の類でも、手には取るのだが、やっぱり読まないのだった。たぶん、あんまりストーリーそのものに興味が湧かないせいなんだろう。

でも、「PEN」の特集では、聖書の内容を題材にした美術作品をカラーで紹介しながら、聖書の重要エピソードを解説していて、それが印象的というか効果的。まあ旧約聖書にはヘンな話が多いな(100歳で子供を授かるとか、父と交わる娘たちとか、人妻の裸をのぞき見る長老たちとか)と思ってしまったが、自分のような非西洋人かつ非クリスチャンでも、聖書をちょっとは理解したかなという気になれるのが良かった。

そしたら書店で、『西洋絵画のひみつ』(藤原えりみ・著、朝日出版社)という新刊が目に付いて、この本も内容の半分は聖書関係という構成。カラー図版やイラストも多くて眺めやすかったので購入。

キリスト教が言葉や習慣の異なる人々の間に広がるためには、文字よりも目で見て分かる図像が必要とされたのだが、宗教美術は常に、「偶像崇拝の禁止」という聖書の教えと矛盾するという問題を抱えていた。聖像肯定派と否定派の議論は続き、8世紀頃には「イコノクラスム(聖像破壊運動)」にも発展した。さらに宗教改革の時代には、プロテスタントは偶像崇拝を徹底的に否定した。

また、キリスト教美術の図像における人物はもともとは平面的に描かれていて、東方正教会はこの伝統を守り続けたのだが、ルネッサンス以降はカトリックでは写実的な描き方に変わった。おそらくここから、キリスト教美術は「宗教画」から「絵画」へと変貌したのだと思われる。

聖書のエピソードを絵画によって知ると同時に、絵画の歴史を知ることによってキリスト教の考え方を理解するのは、西洋文化の基本を学ぶには効率的なやり方かもね。

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2010年3月10日 (水)

ハイテク日本も今は昔

電機ハイテク業界に輝きが失われた今、日本にリーディング産業は見当たらない。本日付日経新聞に、「純利益上位20社」の20年前と現在の比較記事があるのでメモする。

3月期決算企業を対象に連結純利益の上位20社の変遷を調べた。この20年間でバブル経済の崩壊、IT(情報技術)バブルの崩壊に続く3回目の経済危機を経て、上場企業の勢力図は大きく変わった。

バブル崩壊が始まった1991年3月期は松下(現パナソニック)が首位。日立、東芝、ソニー、富士通、三菱電と電機大手が6社入った。日本製の家電や半導体が世界市場を席巻していた時代だ。
しかし2010年3月期には上位20社から電機メーカーは姿を消した。韓国のサムソン電子に代表されるアジア勢に押され、低収益が常態化。かつての基幹産業の面影はない。

2010年3月期の上位20社にはNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯電話3社が入った。総合商社も大手4社が上位に並んだ。だが、両業種とも日本経済のけん引役になるのは難しい。国内の携帯電話市場は飽和状態なうえ、商社の資源ビジネスは自動車など製造業に比べ、産業のすそ野の広がりが期待しにくいためだ。

国内市場の頭打ちを補う手段として、M&A(合併・買収)に活路を求める企業は多い。
ただ、日本企業の国際的な存在感の低下には歯止めがかからない。
日本企業は長引くデフレというハンディも背負う。新興企業との競争に勝ち残るには企業努力だけでなく、デフレ克服に向けた政府の成長戦略も欠かせない。

・・・今週発売の雑誌「サピオ」でも、「日の丸エレクトロニクス惨敗」という現実が取り上げられている。電機業界の現状レポートを眺めると、嘆息しか出てこない。

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2010年3月 9日 (火)

「見えない国教」

国家とは宗教的な現象である。昨日に続いて『宗教で読む戦国時代』(神田千里・著、講談社選書メチエ)からメモ。

歴史学の上でも戦国時代は、現在の日本社会の原型が成立したもっとも重要な時代と考えられている。勝俣鎮夫氏によれば、戦国時代に起こった変化の第一は、民衆が歴史を動かす主体として初めて出現したことである。第二に「未開」から「文明」への飛躍である。第三に国民国家の形成である。信長・秀吉・家康の名は「天下統一」、言い換えれば初めての「国民国家」の樹立をなしとげた者として日本人に記憶されているのである。

従来の統一政権に関する研究では、もっぱら権力体系と主権の存在に関心が集中していたが、社会秩序の管理と民衆の服属とを実現するような政権が、民衆の一定の支持と自発的な服属なしに成立するということは想像しにくく、統一政権の実現した「国家」を、民衆の集合心性に属する信仰の問題として考える余地はあるように思われる。

例えば、ローマ教会から王権が独立していく時代のイングランドでは国教会が創られ、この時代に、後に大発展を遂げるイングランド王国の一つの基礎が築かれたと想定することは、さほど見当違いではないだろう。

イングランドのように制度化された国教が存在する国以外に、国教をもたないか、あるいは否定している国家にあっても実質上「国教」に匹敵するものが存在することはまま見られることである。政治権力に正統性を付与するこの「宗教」は、いわば「見えない国教」であり、制度的、社会組織的な基礎なしに存在しうる。国家は、じつは通常考えられているレベルをはるかに超えて、宗教的な現象なのではないか。このようなものとして、戦国時代に形成された国家の全容を解明する必要があると思われる。

・・・で、日本の「見えない国教」は、戦国時代に広まった「天道」思想の枠組みということになるのだろう。実に興味深い話だ。

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2010年3月 8日 (月)

「天道」VSキリスト教

4年前に『島原の乱』(神田千里・著、中公新書)を読んで「天道」思想について知った時、日本人の宗教意識や、非西欧国である日本の近代化を考えるヒントにもなると思われて興味深かったのだが、このたび神田先生の新著『宗教で読む戦国時代』(講談社選書メチエ)が出たので、とりあえず「天道」思想とキリスト教との対立についてメモ。

戦国時代の日本に広まっていた「天道」の観念には注目ポイントが4つある。

第一に、「天道」は「武運」を左右する摂理である。それは神仏の目に見えない働きでもある。すなわち「天道」に背く者には神仏の罰が、守る者には加護が与えられる。ゆえに第二に、「天道」に適うためには、神仏への信仰が不可欠になる。神仏は総て信仰し、崇拝すべきものである。第三に、正直、公正、上下関係への配慮など、一見信仰とは無関係な世俗的道徳も守るべきとされる。第四に、神仏との関わりにおいては、外面的な行為よりも内面の心の在り様が重視される。

個人の内面倫理を人間の運命を司る超自然的な摂理に結びつける発想は、少なくとも表面的には、キリスト教の発想に似ている。すなわち一神教的ともいえる。

しかしその一方で、「天道」思想はあらゆる神仏を尊重するのに対し、当時のキリスト教は、自分以外の宗教はすべて「悪魔」の「異教」であるとして排除する。

日本は「神国」だから、神仏をすべて尊重することが「天道」に適っているのであり、キリシタンのように、排他的な信仰によって他の宗教を迫害するのは「天道」に反する、というのが伴天連追放令を出した豊臣秀吉の論理だった。

カトリックとプロテスタントが激しく対立する時代の中で、排他的な性格を極度に強めたキリスト教が伝えられてきた時、日本では、「天道」思想に彩られたさまざまな宗派の宗教が、支配層から民衆に至るまで受容されていた。両者が軋轢を起こし、敵対する危険性は十分すぎるほどあった。

・・・戦国時代の日本とキリスト教は、不幸な出会い方をしたのかも知れない。しかし逆に言えば、日本は排他的なキリスト教と出会うことによって、自らの宗教思想的な枠組みをより明確に意識したとも考えられるだろう。この本は、宣教師の記録や島原の乱なども合わせ鏡にして、戦国日本の宗教意識を分かりやすく描き出している。おそらくその意識は、「無宗教」とも見られがちな現代日本人の生活心情の根底にも流れているものとして捉えることができるはずだ。

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2010年3月 7日 (日)

メガデス、エレフソンが復帰

雑誌「BURRN!」4月号で、デイヴィッド・エレフソンがメガデスに復帰したという記事を見た。メガデスが一度解散した後、エレフソンとデイブ・ムステインの関係は、こじれにこじれたという印象を持っていたので、ちょっと驚いた。

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「デイヴィッド・エレフソンはメガデスにいるべき存在なんだ。俺達はリハーサルを行なったが、手応え充分だったよ。本当に素晴らしい時間を共に過ごすことが出来て、2人共、これでよかったんだな、とわかったよ。この状態がどのくらい続くのかはわからない。出来れば永続的なものであってほしい。俺は今、素晴らしい気分だ。ファンの多くも素晴らしい気分だと思う。それは総て、俺が意識的に、きちんとした態度で俺の兄弟と話をして、事態を解決しようとした結果なんだよ」(ムステイン)

また、読者人気投票の結果も発表されていて、メガデスはグループ、アルバム(「エンドゲーム」)、シャイニングスター及びソングライター(共にデイブ・ムステイン)の4部門で首位を獲得。2009年メタル界は、メガデスが牽引したことを、多くのメタル・ファンが認めた格好になっている。

エレフソンを迎えたメガデスは、「ラスト・イン・ピース」20周年記念ツアーを開始した。「ラスト・イン・ピース」全曲のほか、バンドのクラシックス10曲を加えて演奏するという。アメリカはもちろん、南米やヨーロッパなど世界各国を順次回る予定とのこと。当然日本にも来るだろうから、やっぱり見に行かないといかんなあ。

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2010年3月 6日 (土)

有吉九段の信念

先頃、引退が決まった将棋棋士の有吉道夫九段。74歳、現役最年長棋士でもある。3月3日付日経新聞夕刊のインタビュー記事からメモ。

将棋は頭脳スポーツでもあるから、瞬間の判断が勝敗に直結する。ただ、プロの対局には持ち時間があり、経験や勝負勘で補えるのではないかと思い、現役を続けてきた。若いころよりも60歳を過ぎてからのほうがよく将棋の勉強をした。それでも下り坂を止めるのは至難の業だった。

格好つけるなら、9年前に通算1000勝を達成した時が引退のしごろだった。ただ、自分の中では「将棋のことはまだ分からない」という思いがあった。クラスがどんどん落ちていくのは格好悪いが、「どこまでやれるか、自分が実験台になってやろう」という思いで続けてきた。

この年になると、自分ではできると思ってもできないことが多くなる。私がここまでやれたのは、修業時代の経験が大きい。伝統的な日本人の美意識には反するが、自分の信念でボロボロになるまで現役を続けてきた。信念を貫けたことには満足している。

・・・自分が将棋に熱心だったのは昭和50年代。その頃のA級棋士がいまどこのクラスか見てみると、A級及びB級1組にいないのは仕方ないとしても、B級2組では桐山九段が残留する一方、内藤九段と森九段は降級決定となっていた。降級先のC級1組には加藤一二三九段がいる。C級2組では有吉九段のほか、大内九段も引退決定だそうで、何か寂しさ混じりの感慨を抱いてしまう。有吉引退後は、内藤と加藤が70歳で現役最年長かぁ。お二人にも、最後まで順位戦を戦い抜く敢闘精神を期待しよう。

(追記)3月9日の順位戦最終局で有吉九段は敗れて、通算1000敗に到達。加藤一二三九段に続く2人目の大記録を残すことになった。

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2010年3月 5日 (金)

デフレ、「克服」より「前提」に

本日付日経新聞「経済教室」(執筆者は中前忠・中前国際経済研究所代表)からメモ。

デフレ脱却を目指すには2つの問題がある。一つは、デフレは国際要因が大きく、1国の経済政策では制御できないことだ。もう一つは、「デフレは悪」と決めつけて政治的決定を行うことの乱暴さである。

まず、デフレをもたらしている国内要因が何かを知る必要がある。たぶんその最大のものは過剰供給能力の温存、とりわけ、製造業の効率が大きく落ちてきている点にある。

デフレだからダメなのではなくて、デフレのなかでも効率化を図れば、企業収益は増え、賃金が上昇し、税収も増えるのである。

問題は過剰の是正は、他方で大量の失業を生み出すことだ。したがって、国内産業、とりわけ医療、介護、教育、農業といった非製造業の拡大を図ることが必要になる。

国内産業の育成に必要なのは、財政刺激でもなければ、金融緩和でもない。規制改革こそが求められる。これは経済の構造改革の問題なのだからである。求められる改革は、製造業のような過剰を抱えた産業を整理・淘汰することによって強化する一方で、新たな成長産業を国内につくり出していくことである。

必要な施策は財政支出を減らし、非製造業を中心に民間経済を拡大することであり、金融の過剰を削減し、金利機能が働く水準まで金利の正常化を図ることである。

・・・これらの政策方針により、デフレのなかでも雇用が拡大し、賃金所得が増える好循環に持ち込める、という。

何というのか、バブル崩壊後20年、日本経済の課題は基本的に変わってなくて、相変わらず宿題はやり残されているという感じ。結局まともな構造改革のできないまま、ずるずる衰退の道を歩むのか、ニッポン?

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2010年3月 4日 (木)

湯浅誠の闘い

録画したNHKスペシャル「権力の懐に飛び込んだ男・100日の記録」を見る。昨年10月、元「派遣村」村長・湯浅誠が内閣府参与に就任。番組は、より良い失業者サービスの実現を目指した湯浅氏が、今年1月に辞任するまでの100日間を追う。

湯浅氏が目指したワンストップ・サービスは、役所の受付窓口が異なる職業訓練、住宅手当、資金貸付、生活保護のサービスを、ハローワーク一箇所で受けられるようにするもの。しかし、その試みは最初から行政組織の壁にぶつかる。各サービスの管轄が異なるために省庁間の調整が必要な事に加え、地方自治体からは負担増が嫌われる。それでも11月末に、215自治体が参加してワンストップ・サービスの一日試行が実現。ところが、PR不足から利用者は予想を大きく下回る。改善策を指示しても、現場の動きは鈍い。年末年始には公共の施設で緊急宿泊サービスを行うが、ここでも自治体や省庁間の調整に手間取る・・・。

年明け後、「絶対続けた方が良い」と訴える山井和則・厚生労働政務官の慰留を振り切って、湯浅氏は参与を辞任した。

行政組織に対する湯浅氏の言葉。

「まあやっぱり当事者の立場に立たないんですね。できないのか、やらないのか。いずれにしても立てない、ていうことがはっきりしちゃった」
「やる気がないとか、悪意があるという話では、たぶんない。すでに縮こまっちゃってるという面はあるかもしれない。もう先にできないだろうと思っちゃう。利害関係者が多くて、しかも公平性を担保しないといけない。世論の意向がもう少し固まってこないと、これ以上はムリだという面もあるわけですね」

・・・見てるとね、役人の動きに対する苛立ちが伝わってくる。なんかね、見てるだけでも疲れるわけだ。役人は手続きを熟知している人々だ。それが、この手続きをクリアすればできます、という話ではなくて、こういう手続きがあるから難しいです、という話になってしまう。とにかく融通が利かなくて物事が進まない。結局、役人は仕事を増やしたくないんだな、という感じしかしない。これじゃあ、くたびれちゃうのも無理はない。

でもね、山井氏が言った通り、これは続けるしか無い、続けるべきだ、とは思った。まあ自分には思うだけしかできないんだけど。

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2010年3月 2日 (火)

富士山!

2月28日の日曜日、熊本城近辺に昼過ぎまで滞在した後、東京行きの飛行機に乗った訳だけど、天候は割りと良かったので、窓から下界の様子が良く見えた。空港を飛び立ってから間もなく、阿蘇山が視界に入り、あの独特なカルデラ、その中心に白煙と、何というのか地形の面白さに引き付けられた。次に九州を出て、四国に入るときに、ひょろひょろひょろ~っと細長く伸びた半島が目に入った。そうだ、そんな形が地図にあったなあ(後で名前を調べると、佐田岬半島)。この地形はホントに面白いというか、何でこんなのできたのか不思議な感じがした。四国と淡路島の間が橋で繋がっている様子、関西国際空港や中部国際空港も確かめられた。知多半島と渥美半島は地図で見た通り、いや地図が地形通りな訳だが、渥美半島の海岸線が真っ直ぐ伸びているのがきれいだ。とにかく、リアル地図を確かめているような面白さを感じながら眺めていると、浜名湖を過ぎた辺りから、下界は雲で覆われてしまったが・・・。

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期待通り姿を見せてくれました、富士山!

何だか拍手したくなった。雲海の上に顔を出す富士山。こんな風に見えるんだねえ。いいなあ富士山。ただただ見とれた。

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2010年3月 1日 (月)

熊本城に行く

お城好きに人気の高い熊本城。本丸御殿も復元されて、2008年の入場者は約204万人、2009年も約177万人を集めたということだ。東京からだとちょっと遠いなと思われるが、旅行代金の割安な冬場のうちに行こうと考えて、先週末熊本に飛んだ。

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天守は復元だけど、城郭がかなりの規模で残されているところが、お城ファンには堪らないのではないか。何しろどこもかしこも高石垣だらけ、高石垣の群れ状態。写真は「二様の石垣」と大天守。手前のカーブの緩やかな、加藤家時代の石垣の上に、より急カーブの細川家時代の石垣が増築されて、二つの時代の石垣が合体している。

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本丸御殿の内部には金キラ状態の大広間がある。凄いなあとは思うけど、個人的には、現存御殿である掛川城内の御殿が渋くて落ち着くので好みではある。

とりあえずメインに考えていたのは、宇土櫓。天守並みの風格を持つ三層五階建ての櫓。現存の建物で、重要文化財。雑誌「歴史読本」2009年5月号特集「日本の名城・都道府県別ベスト10」(この特集は最近、「新人物文庫」化された)の「パーツ別ベスト10」では、櫓部門のナンバーワンに選ばれている。往時の熊本城には、大天守、小天守の他に、宇土櫓をはじめ約50もの櫓が城内に建っていたということで、さぞや壮観だったろうと思われる。

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いわゆる「現存十二天守」のうち、弘前城と丸亀城は、厳密には天守ではなくて櫓だと、ある専門家は指摘していた。確かに弘前と丸亀は、お城の作りが四方正面ではない、「手抜き」面があるのでややしょぼいのだった。これらを「天守」と呼ぶならば、逆に言うと、宇土櫓も隠れた「現存天守」と言っても良いという感じがする。

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