« 「PIGS」の次は「STUPID」? | トップページ | 居酒屋の「女子会」需要活発 »

2010年2月23日 (火)

社会的意味を失う葬式

宗教学者の島田裕巳は、葬式を必要とする社会的な背景が大きく変化して、葬式無用論に向かう自然な流れができつつある、と指摘する。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)第8章「日本人の葬式はどこへ向かおうとしているのか」からメモ。

戦後、核家族化という事態が進行。家族の規模が小さくなり、また家そのものの重要性が低下した。
都市化という事態も大幅に進行する。高度経済成長の時代には、産業構造の転換にともなって、都市部で大量の労働力が必要とされ、農村がその供給源となった。そのため、村を離れて都市で暮らす人間が増えた。

柳田國男の祖霊観は、村の暮らしが前提になっていた。(柳田は、日本人は、自分たちの家の先祖である祖霊が、浄土のような遠方の世界に行ってしまうのではなく、子孫の身近にとどまって、その生活を見守っていくのだと考えた)

都市には農業はほとんどなく、商業や工業が中心になる。そこでは農村に伝わる伝統的な信仰や祭礼をそのまま取り入れる余地はない。それは柳田が日本人の信仰の核に据えた祖霊観が成り立たないことを意味する。

都会で増えたサラリーマン家庭では、家の重要性が低下した。
都会でも、自営業の家の場合には、経済活動の単位である家を存続させていくことは重要だった。葬式には(喪主になる)後継者を披露する役割がある。
ところが、サラリーマンの家では、葬式にそうした機能は期待されない。そこには、「家の葬式」から「個人の葬式」への変化が見られる。

高齢化ということも、大きな意味をもっている。
葬式をあげ、墓を作って年忌法要などの供養を続ける背景には、ねんごろに供養されていない死者の霊は祟るという祟りの信仰がかかわっている。現在の仏教式の葬式の原型は、禅宗の葬式にあり、それは修行の途中で亡くなった修行者のためのものが起源になった。修行途中という未練を晴らすために、丁重な供養が求められた。
しかし現代において、亡くなる人のほとんどは70代、80代、さらには90代の老人である。高齢者は死んでも未練はないと考えてかまわないだろう。

核家族化や高齢化ということが、従来の形式の葬式を意味のないものにし、新しい形式の、より合理的なものを求める傾向を生んでいる。葬式は明らかに簡略化に向かっている。それは、葬式を必要としない方向への変化だとも言える。今や現実が葬式無用論に近づいているのだ。

・・・われわれはもう、村落共同体の中にもいないし、家を存続させなければならない理由もない。社会的な変化が累積していって臨界点に達した時、人の意識も大きく転換していくとすれば、今後葬式無用の意識の広がりは加速していくと思われる。

|

« 「PIGS」の次は「STUPID」? | トップページ | 居酒屋の「女子会」需要活発 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/33505685

この記事へのトラックバック一覧です: 社会的意味を失う葬式:

« 「PIGS」の次は「STUPID」? | トップページ | 居酒屋の「女子会」需要活発 »