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2009年12月19日 (土)

スターリンとベリヤ

丸の内の丸善で、『スターリン秘録』(斉藤勉・著、扶桑社文庫)という本が目に付いた。ぴかぴかの新刊でもない(奥付2009年6月30日)のに、なぜかカバー表紙を見せる格好で棚に置かれていて、何しろ自分はといえば、映画「カティンの森」を観た後だったものだから、とりあえずという感じで購入。で、そのポーランド兵粛清指令の部分。

40年3月5日、内務人民委員(内相)、ラブレンティ・ベリヤはスターリン宛に「厳秘」と記した「ポーランド兵銃殺承認要請書」を送っていた。そこには、スパイや警察官、軍人は階級別に仕分けし、銃殺人数を明記したリストがあった。この表紙にスターリンは「ザ(承認)」とメモを走らせて署名した。
43年4月、ソ連に侵入していたドイツ軍はカチンの森で四千人を超えるポーランド将兵の虐殺死体を発見したと発表する。しかし、現実には、カチンの森の犠牲者もスターリン粛清の一部にすぎず、その四倍ものポーランド将兵がソ連各地の収容所、監獄で銃殺されていたのだった。

内務人民委員部は、後のKGB(国家保安委員会)。で、このベリヤという人がまた恐ろしいほど暗い男なんだな。同書の巻末にある「人名録」から引用。

ベリヤ、ラブレンティ 1899~1953
ソ連の政治家。1917年ポリシェビキに入り、ロシア革命後、国内戦期にカフカスの秘密警察で反革命取り締まりにあたった。同郷人のスターリンにゲーペーウー(国家政治保安部)長官に抜擢され、30年代の血の粛清で指導的役割を果たした。38年内務人民委員、戦後副首相となった。スターリンの死の直後、権力奪取のためクーデターを計画したが失敗、ベリヤ裁判の結果、銃殺された。スターリンの死亡はベリヤによる陰謀だとの説は未だ消えない。

スターリンが「怪物」なら、ベリヤは「悪魔」ってところか。彼らは戦勝国の指導者だったために、裁かれることのなかった戦争犯罪人だった。

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