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2009年11月24日 (火)

「現場の人」秀吉

秀吉は現場の人であり、一段の高みから統治を試みる人ではなかった、と言うのは本郷和人・東京大学史料編纂所准教授。『センゴク合戦読本』(講談社文庫)の第6章(「現場の人」としての秀吉)からメモ。

信長の命令を期待以上にこなすことこそが長い間の彼の生きる目的であり、日本全国の行政とか統治のありかたなどを常日頃から熟慮していたなどとは、到底思えない。信長の意を汲むことに向けて、秀吉の頭脳はフル回転していた。つまりは根っからの「部下」なのであって、小なりとはいえ領土を守り治めることを若年から意識していた信長・家康ら戦国大名とは、明らかに性質が異なっている。

信長が一部地域(越前など)で刀狩りや検地に着手していたことはよく知られるが、私は後の秀吉の政策は、日本の統一事業も含めて、あくまでも信長の政治方針の継承として捉えたい。企画・立案=織田信長、現場監督=豊臣秀吉、である。

・・・その秀吉がオリジナリティを発揮して大失敗したのが朝鮮出兵ではないか、と本郷先生は書いている。でも、海を渡って中国を征服するというのも、信長の考えだったという話もあるので、どの辺を指して「オリジナリティ」と言ってるのかはよく分からない。まあどっちにしても、刀狩りや検地、唐入り、そして大坂城の建設も、信長が構想していたことで、それを秀吉が本格的に展開し実行したという捉え方で良いのだろう。まさに「織豊政権」と呼ばれる通りだな。

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