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2009年10月20日 (火)

カツマVSカヤマ

勝間和代と香山リカ、この間「アエラ」で対談してたよなと思ったら、今度は「週刊現代」にも対談記事。こういうのって珍しいんじゃない?って感じ。それだけ今話題の「対決」ということか。「週刊現代」では、二人はお互いの違いについてこう発言している。

香山 私と勝間さんの最大の違いは、一日8時間、月曜から金曜まで働いて、あるいはそれにプラスして自分を向上させる努力ができる人が、人間の標準モデルと捉えるのかどうか、だと考えているんです。私は、違うと思う。
勝間 でも、そうしないと、単純に社会がサステイナブル(持続可能)ではないですよね。
香山 私は、もう少しばらけていてもいいと思います。
勝間 私は、人間はみんなすごい能力を持っている、と思っています。私と香山さんの発想の違いは、そこにあると思うんです。自分の能力を開発したり、他人に喜ばれる仕事をすることが、もっとも幸せを感じる瞬間なんではないか、という強い哲学を私は持っています。

「人間はみんなすごい能力を持っている」というのは、才能のある勝間だから言えること。強い向上心を持って努力し続けるのが、人間の「標準モデル」であるはずもない。それは香山の言う通りだろう。みんながみんな自己啓発に励まなければ社会は持続できない、とも思えない。結局は向上心の強い少数の人間がいれば社会は回っていく。要するにエリートと普通の人という在り来たりの図式になる。エリートを目指す人は「カツマー」になって頑張ればいいし、頑張らない人は「カヤマー」でいい。それだけの話だ。

でも、そこに「幸せ」という言葉が投げ込まれたために、話は妙にややこしくなっている印象がある。幸福というのは所詮、個人の価値判断。「頑張る」「頑張らない」、どっちが「幸せ」かいうのは、結局それぞれの人が考えること。「決着」が付くような話でもない。

とはいえ、「カツマー」大量発生の背景には、今の世の中が「競争社会」「能力主義社会」だということはあるのかも知れない。特にエリートを目指さなくても、頑張らないと脱落するという一種の強迫観念が社会を薄く覆っているとしたら、異様にポジティブな「カツマー」も社会的病理の現れと見えないこともない。

まあ正直、余りにもポジティブで向上心の固まりみたいな人は苦手だよ。(苦笑)

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