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2009年9月30日 (水)

『ニッポンの思想』

先週末の日経新聞(26日付)紙上で、20代の批評家(の卵)について紹介されていて(連載記事「U-29」)、東浩紀の「ゼロアカ道場」の話も目に付いたものだから、『ニッポンの思想』(佐々木敦・著、講談社現代新書)を購入していたのを思い出し、ざっと目を通してみた。

この本は1980年代、いわゆる「ポストモダン」「ニューアカ」以降の思想の流れをまとめているが、その理由として、「80年代」が、それ以前までの「日本の思想」の流れに、ある紛れもない「切断」を成した時代だったとの認識を示している。

この認識は著者より5歳年上の自分も共有する。80年代より前の日本の思想を概観するには、昨年「新版」として復刊された『戦後思潮』(粕谷一希・著)を参照するのが良いと思う。大雑把に言えば、戦後思想は「革命」と「戦争」について論じてきた。しかしそれらの問題は、日本の経済大国化と共に消えた。そこに現れたのが「ニューアカ」だった。彼らの纏っていた「現代フランス思想」という意匠は、それまでの日本の思想の流れとは無関係に登場してきたように見えた。つまりそこに「切断」が起きた、という印象だ。

そして本書の中で指摘されているように、浅田彰と中沢新一の唱えた「差異化」という概念は、結果として当時の消費社会を肯定する論理として受け取られたことにより、一大ブームを巻き起こした。それは「思想」と「カッコよさ」が結びついた時代だった、というのもその通りだったと思う。

これに対して、「90年代」に登場した福田和也、大塚英志、宮台真司は、旺盛な活動を見せたものの、「ニューアカ」のようなブームを作り出すことはなかった。それは彼らの才能や努力の問題というより、「思想市場」の縮小が影響していたと著者は見ている。まあこの辺は、上記の言い方を使えば、彼らの「思想」はそれ程「カッコよく」なかった、というのが自分の実感ではある。本書の中の扱いは小さいが、「90年代」は小林よしのり「ゴーマニズム宣言」の時代だったかな、と思ってる。ポストモダンが招いた「価値相対主義」と闘うよしりん。

そして現在のゼロ年代は、東浩紀のひとり勝ち、なんだそうである。ていうか、東浩紀の他に誰もいなくなった、という感じもするが。

自分の実感でいえば、ポストモダンの後の80年代後半から90年代は、バブルとその崩壊を背景に、日本経済の改革を論じたエコノミストたちが「思想家」になったのだと思う。冷戦が終わったという要因もあり、そこでまた「世界認識の方法」が変わったのだ。経済を語れる者こそが現実認識を語れる、という感じになった。

日経記事によれば、現在の批評が対象にするのはネット、ゲーム、アニメだとか。こうなると、まあ私のようなオジサンには全く分からない世界ではある。けれども、たぶん世の中に与える影響も限定的ではないかなあと感じる。かつて批評は思想たりえた。しかしもはやそうではないな、とオジサンは思わざるを得ないのだ。

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