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2009年9月30日 (水)

『ニッポンの思想』

先週末の日経新聞(26日付)紙上で、20代の批評家(の卵)について紹介されていて(連載記事「U-29」)、東浩紀の「ゼロアカ道場」の話も目に付いたものだから、『ニッポンの思想』(佐々木敦・著、講談社現代新書)を購入していたのを思い出し、ざっと目を通してみた。

この本は1980年代、いわゆる「ポストモダン」「ニューアカ」以降の思想の流れをまとめているが、その理由として、「80年代」が、それ以前までの「日本の思想」の流れに、ある紛れもない「切断」を成した時代だったとの認識を示している。

この認識は著者より5歳年上の自分も共有する。80年代より前の日本の思想を概観するには、昨年「新版」として復刊された『戦後思潮』(粕谷一希・著)を参照するのが良いと思う。大雑把に言えば、戦後思想は「革命」と「戦争」について論じてきた。しかしそれらの問題は、日本の経済大国化と共に消えた。そこに現れたのが「ニューアカ」だった。彼らの纏っていた「現代フランス思想」という意匠は、それまでの日本の思想の流れとは無関係に登場してきたように見えた。つまりそこに「切断」が起きた、という印象だ。

そして本書の中で指摘されているように、浅田彰と中沢新一の唱えた「差異化」という概念は、結果として当時の消費社会を肯定する論理として受け取られたことにより、一大ブームを巻き起こした。それは「思想」と「カッコよさ」が結びついた時代だった、というのもその通りだったと思う。

これに対して、「90年代」に登場した福田和也、大塚英志、宮台真司は、旺盛な活動を見せたものの、「ニューアカ」のようなブームを作り出すことはなかった。それは彼らの才能や努力の問題というより、「思想市場」の縮小が影響していたと著者は見ている。まあこの辺は、上記の言い方を使えば、彼らの「思想」はそれ程「カッコよく」なかった、というのが自分の実感ではある。本書の中の扱いは小さいが、「90年代」は小林よしのり「ゴーマニズム宣言」の時代だったかな、と思ってる。ポストモダンが招いた「価値相対主義」と闘うよしりん。

そして現在のゼロ年代は、東浩紀のひとり勝ち、なんだそうである。ていうか、東浩紀の他に誰もいなくなった、という感じもするが。

自分の実感でいえば、ポストモダンの後の80年代後半から90年代は、バブルとその崩壊を背景に、日本経済の改革を論じたエコノミストたちが「思想家」になったのだと思う。冷戦が終わったという要因もあり、そこでまた「世界認識の方法」が変わったのだ。経済を語れる者こそが現実認識を語れる、という感じになった。

日経記事によれば、現在の批評が対象にするのはネット、ゲーム、アニメだとか。こうなると、まあ私のようなオジサンには全く分からない世界ではある。けれども、たぶん世の中に与える影響も限定的ではないかなあと感じる。かつて批評は思想たりえた。しかしもはやそうではないな、とオジサンは思わざるを得ないのだ。

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2009年9月27日 (日)

『もういちど読む山川世界史』

去年の春、1ヵ月入院した時に、丁度改訂版が出たところだった『詳説世界史研究』(山川出版社)を病室に持ち込み、アタマっから遮二無二読み進めていった。で、西洋人の掠奪と征服が世界史の原動力だなあとあらためて感じ入った。そして次は、ノートを取りながら「世界史」の本を少しずつでも読みたいものだとは思ったものの、やっぱり入院生活から通常の生活に戻ると、そんな余裕ないなあという感じだった。

そしたら今度は『もういちど読む山川世界史』という本が出た。むむむ。山川出版社、あなどれない。「高校の教科書を、一般読者のために書き改めた通史。社会人のための教科書」との触れ込みで、『もういちど読む山川日本史』も同時に出てる。日経新聞紙上でも「大好評!忽ち増刷」と広告されていた。やっぱりこういう需要ってあるんだな。作家の佐藤優も「週刊東洋経済」の連載で、ビジネスパースンよ、高校教科書で学べ、みたいなこと書いてたし。

というわけで購入して読んでおります。もちろん『詳説世界史研究』に比べれば、ボリュームは少ないけど、かなり圧縮された記述なので内容が薄いということは全然なくて、それなりに気張って読み進める・・・と、すぐに「近代」に入っちゃいましたが。とりあえず世界史の基本的な流れを押さえるのには便利、っていうのは間違いない。

世界史の流れ、人間の文明は、キリスト教世界、イスラーム世界、そして中国を中心とするアジアが相互交流する中で積み上げられてきたのだが、こと近代化に関しては、資本主義を生み出したキリスト教世界が主導してきたってことで、それは今も大枠としてはそうなんだけど、それもどうやら曲がり角かなという感覚もあるわけで。

なぜ歴史を学ぶのかというと、自分たちがジタバタしている世の中は、先人がジタバタした結果として今このようにあるのだから、その過去のジタバタについて知っておく必要があるということです。

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2009年9月26日 (土)

メガデス『エンドゲーム』

メガデスの2年半ぶりの新作『エンドゲーム』、最初に聴いた時は、ボーナストラックの「ワシントンイズネクスト」(ライブ)という前作の曲が印象に残ってしまったが(苦笑)、何度か繰り返し聴いているうちに、どの曲も一定水準以上の作品で、なかなかよろしい、と感じた。(それにしても「ワシントンイズネクスト」って、歌詞の量が多い曲だな。だから「インテレクチュアル・スラッシュ」なのかね)

特に後半、タイトル曲の「エンドゲーム」から「ヘッド・クラッシャー」までの3曲の流れは、いかにもメガデスらしい緩急に富んだ展開。その次にくる「ハウ・ザ・ストーリー・エンズ」も、アルバム中もっともメリハリの効いたリフが襲ってくる曲でインパクト強い。全体的に「走る走る、刻む刻む」って感じで結構快感なアルバムに仕上がっている。

来月、メガデスは3年ぶり「ラウドパーク」(場所も3年前と同じ幕張)のステージに立つ。東京では単独公演はやらないし、やっぱり幕張まで行ってみるか。

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2009年9月25日 (金)

パラダイムは転換したか

昨年秋の金融危機の最中、「日経ヴェリタス」は「金融から実物」へのパラダイム転換という仮説を提示(連載記事「危機原論」)。ほぼ一年が経過して、今週号(9/20)ではその検証を行っている(執筆者は末村篤・特別編集委員)。以下にメモ。

仮説:中国経済の行方が世界の命運を握る。
現状:アジアの成長は目下、持続している。

仮説:デレバレッジ、リレギュレーションによる金融の収縮で、金融資本主義は終わりを迎える。
現状:危機を脱したとはいえない現状で、再発防止の金融規制は今後の課題だ。

仮説:米国の貿易赤字と日本・中国の貿易黒字が縮小すれば、表裏の関係にある黒字国の貯蓄が赤字国の米国に還流する国際資金移動も縮小する。
現状:確かなのは、米国がラストリゾートとなってモノとカネが循環する世界経済の構造が壊れたことだろう。米国はモノを輸入してカネ(国債や政府保証債)を輸出するかのような経済運営を続けられなくなりつつある。オバマ大統領や側近は「消費と金融と輸入」から「貯蓄と生産と輸出」へ、国家の経済モデルの転換を訴え始めた。

仮説:日本の禍期は日本の好機でもあり、日本再評価はあり得る。
現状:期待込みの「金融から実物」のパラダイム転換で、日本は重要な役割を担う資格があるが、兆しはあっても確かなトレンドとはいえない。

・・・アジアの成長が続くことに疑いはない。しかし、金融資本主義の終焉とグローバルインバランスの是正については、それこそ「兆しはあっても確かなトレンドとはいえない」感じがする。そして日本の再生も、まだまだ手探りの段階かなと思う。

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2009年9月24日 (木)

いまどきの「女子」とは何か

最近、雑誌などで「女子」という言い方が結構目につくよなとか思っていたら、昨日23日付日経新聞1面コラム「春秋」でも取り上げていたので、「ほぉ~」という感じだった。コラムはまず「女子飲み」と称する飲み会が広がっている、と始めて以下のように続ける。

女子といっても中高生や学生ではない。メンバーは職場の同僚同士などで年齢は20代から40代くらい。
飲み会の名だけではない。ブログなどで30代女子や40代女子との自称は珍しくない。若々しく、過剰にこびを売らず、同性の目にさわやかで、男子と対等だが肩ひじは張らず、自立しているが寄る辺無さも残る。そんな意味合いを込めているようだ。

・・・いまどきの「女子」の意味の簡潔な説明で、参考になる。確かに「女子」といっても「女の子」ではない。女子高生でも女子大生でもない、仕事を持っている「女子」。昔なら「いい大人」の年齢なんだけど、「若々しい」。でも、オンナオンナしているわけではないから、「こびは売らない」。といって「肩ひじ張って自立してます」(それをやったら「女子」じゃなくて「女史」だな)というのでもない。「同性の目にさわやか」というと、それこそ女子の部活でリーダーになるようなキャラだろうか。

いまどきの「女子」という言葉の使い方に対して、中年男子?である自分は最初、正直違和感があった。それでも何度か目にしているうちに、だんだんあるイメージが感じられてくるのが不思議なところなんだよな。そこに上記のコラムを読んで、なるほど大体こんな感じですか、と認識いたしました。

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2009年9月23日 (水)

はりまや橋

P1030263 先日、高知に行って「はりまや橋」を見た。何しろはりまや橋といえば、いわゆる「がっかり観光名所」の首位を札幌時計台と争う場所。もともと期待値が低かったせいか、なるほどこんなもんね、という感想です。
20数年前に札幌時計台を見た時は、確かにイメージ壊れた。何しろビルの谷間にあるんだもんね。どっか郊外に移しちゃった方がいいかもしんない。
2大「がっかり観光名所」に次ぐ3番目は諸説あるらしい。長崎のオランダ坂(確かにただの坂道)が有力みたいだけど。でもイメージとの落差というか、マイナスのインパクトで時計台、はりまや橋に匹敵する観光名所を探すのは容易でないぞ。

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内子を歩く

P1030202 先日、四国の現存天守4城巡りの途中で内子に立ち寄り、古い町並みを歩いた。町並み保存地区である内子町八日市・護国地区は、内子駅から徒歩20分のところにある。途中には大正時代の歌舞伎劇場・内子座もある。

同地区の町並みは、3つの性格を持っている。市(商業)の町、大洲街道沿いの宿場的な町、そして製蝋業(産業)の町である。同地区は、昭和57年4月に全国で18番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。この、いわゆる町並み保存地区は、指定された物件を伝統的な工法で維持修復していかなければならない。一方、建物の外観を維持しながらも、内部は現代的な生活ができるように改造することなどにより、住民参加型の保存活動をサポートしている。

我々が目にする「古い町並み」というのも、保存維持に向けた地元の意識的継続的な努力の賜物であります。

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2009年9月22日 (火)

四国・現存天守4城巡り

四国の現存天守である松山城、宇和島城、丸亀城、高知城に行ってきた。秋の大型連休を利用した四国半周の旅、春から始めた現存天守12城巡りの総仕上げである。

19日(土)快晴
P1030136 羽田発9時45分の飛行機に乗って11時に高松空港に到着。バスを使ってJR高松駅へ(運賃740円)。12時13分の列車に乗って12時37分に丸亀駅着(運賃540円)。最初の目的地丸亀城が駅から見える。徒歩15分程で入口(大手門)に到着。高くて大きい、とにかく立派な石垣が積み重ねられた上に、小さな天守がちょこんと乗ってる。高さ60メートルという石垣の山を10分程上り天守に到着。内部をざっと見学した後は本丸の周囲を回る。やっぱりここは天守よりは石垣を見るお城だ。15時18分丸亀発の特急に乗って松山に移動(運賃5180円)。2時間余りで到着、当地で一泊。

20日(日)快晴
P1030153 朝一番で松山城へ。9時に開門の太鼓が打ち鳴らされて、観光客がぞろぞろと入城。天守はもともと5重であったものが3重に改築された。地盤を考慮したとも幕府への遠慮ともいわれる。一度落雷で焼失、幕末の頃に再建がなされた。天守最上階にはなぜか床の間があったりする。上りは東側からリフトを使ったが、帰りは登山道を辿って西側に出てみた。下りの所要時間15分程度。路面電車に乗って松山駅に戻る。

次に目指すは宇和島城。でもその前に内子で途中下車。古い町並みを散策してから目的地へ。14時42分に宇和島駅到着(特急利用の運賃、松山―内子1250円、内子―宇和島2210円。松山―宇和島ならば2900円)。

P1030220 駅から徒歩15分程で登城口に着く。ここからさらに、大きくごっつい石段を上っていくのは想定外だった。道中には結構大きな石垣も残っている。15分程かけて天守に上り着く。戦乱の世が終わった後の城とはいえ、大きな玄関が作られて「いらっしゃ~い」という感じなのが何だかユルい。全体的なデザインもかなりベタな「お城」って感じで、ちょっと復元天守的かも。入場は午後4時までと早目の店じまいだけど、時間を過ぎても来訪者を入れていた。まあ実感的にはまだ夏場で明るいし。この日の予定はこれで終了。夜はホテルの部屋でNHK「天地人」関ヶ原を見る。石田三成、悔しかっただろうな。

21日(月・祝日「敬老の日」)晴れ
今回の旅の計画で一番のハードル?朝5時半起きで宇和島駅6時11分発の列車に乗る。山間を走る単線、1両列車に揺られること2時間余り、8時34分窪川駅着。そこから8時53分発の特急に乗り換えて高知へ。10時ちょうどに高知駅着(宇和島から高知まで乗車券2860円、窪川から高知まで特急券1150円)。

P1030237 駅から徒歩約20分で高知城入口(追手門)。そこから天守まで10分程上っていく。来てみたら何と天守最上階や石垣などが工事中なのだった。むむむ。目隠し城?バンソーコ城?・・・とにかく天守に着くと、御殿がくっついているのが面白いと思った。そういえば、ここと同じ山内一豊が城主だった掛川城にも、城内に立派な御殿が残されていたっけ。正直、建物の内部は、天守よりも御殿の方が見所が多いと思う。熊本城も本丸御殿を復元して訪問客が増えたみたいだし、日本建築の伝統を集大成したような御殿を見ると、「和」の心を感じられるような気がする。天守内部の展示物や説明板の内容は、やはり大河ドラマなどで割と馴染みがあるという感じ。それにしても土佐は、江戸時代の始めから終りまで山内家が治めていたのだな。最後の藩主は16代、将軍家の15代とほぼ同じ。転封や断絶もなくずっと続いたのは大したもんだ。

お城見学後は、アーケード商店街の店で、おそばとカツオのたたきセットを食した。今回の旅では丸亀で讃岐うどん、宇和島で鯛めしと、どれも目に付いた店でだけど、それっぽいものを食しました。アーケード商店街(というのも昭和っぽいけどな)は松山、宇和島、高知と歩いたけど、一番賑わっていたのは松山で、宇和島はちょっと寂れていたな。食後はとりあえずはりまや橋を見て、今回のスケジュールを終了。駅から高知龍馬空港行きのバスに乗り(運賃700円)、17時発の飛行機で帰京した。
(旅行費用:上記現地での交通費に加えて、往復の航空運賃約4万円、ビジネスホテル2泊約1万円、その他で合計ざっと7万円程使いました。)

〈現存天守12城巡り過去記事〉
国宝4城
弘前城
松江城、備中松山城
丸岡城

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2009年9月15日 (火)

「カツマー病」!?

香山リカの『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)が売れているとのこと。本文に「〈勝間和代〉を目指さない」というタイトルの章があることも話題になっているようだ。今週の「週刊朝日」(9/25号)に香山に取材した記事があるのでメモ。

「『頑張ってもうまくいかない』『頑張れない自分はダメだ』・・・・・・こう訴える30代、40代の女性の患者さんが増えています」と、香山氏は言う。
「『頑張ってもうまくいかない』と訴えてくる女性たちの多くが、勝間さんの本の愛読者なのです。彼女たちの特徴は一言でいえば優等生。向上心の強い女性たちです」

勝間本の愛読者である「カツマー」たちは、勝間和代を目指してスキルアップに励むが、成果が出ないと落ち込む人も出てくる。この「カツマー病」のタイプには2つあるという。

ひとつは「成長し続けなければ」という成功願望を強迫観念のように持ち、失敗すると「なぜこんなに努力したのに報われないのか」と考える自己愛タイプ。もうひとつは「勝間さんの言うことが実行できない私はダメな人間だ」という自己否定タイプ。

そして、こうした「カツマー病」が増える背景には、米国型の自由競争と自己責任の社会を目指した構造改革の影響がある、というのだが・・・。まあそれはともかく、自分が思うには、結局のところ勝間和代は才能にも運にも恵まれた特別な人である、そーゆー認識で最初に心得ておけば「カツマー病」を予防できるんじゃないかと。つまり普通の人が努力しても「勝間和代」になれるとは限らないし、「勝間和代」になる努力ができなくてもそれで普通なんだよと。だから何も「勝間和代」を目指さなくてもいい、「ふつうの幸せ」で充分なんですよと香山も言ってる、のだろう。

まあ正直言えばワタシは、勝間和代でもカツマーでも、向上心の固まりみたいな人は苦手だ。(社会的)「成功」なんてどうでもいいと思ってるし。(苦笑)

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2009年9月13日 (日)

生産性向上と失業者の発生

高校生からわかる「資本論」』(集英社)は池上彰の力作。さすが「解説のプロ」。

何というのか、大体の印象としては「資本論」的な「資本家」と「労働者」の対立は既に主要な問題ではないよなって感じ。資本主義は進化したというか洗練されたというか。

とはいえ、「失業者」の発生は、資本主義において最後まで残る問題かも知れない。本書の第14講(失業者を作り出す)からメモしてみる。

資本主義経済においては次第に生産性が高まってくる。機械を導入することによって、働く労働者の数は少なくて済むようになる。相対的に少なくなる。

経済がどんどん発展し、資本それ自体が大きくなっているときには、労働者が必要な比率は減っていても、全体のパイが大きくなっていれば、労働者はどんどん雇える。
しかし、比率が減
ってくるっていうことは、資本があまり拡大しなくなると、働ける労働者の数は減ってしまうんだ。つまり景気が悪くなると失業者がすごく増えてくるということになるわけです。

労働者が一生懸命働いて資本を生み出し、この資本が大きくなったことによって、逆に労働者はあまり要らなくなってきてしまう。
つまり資本主義がどんどん発展していくと相対的な過剰人口、つまり失業者を必然的に生み出してしまうんだ。
景気がよくなれば失業者は減る、景気が悪くなれば失業者が増えるというのは当たり前なんだけど、長期的には相対的な余剰労働者が、増えてきてしまうということなんです。

ここで経済学者・飯田泰之の2%成長論を思い出した。『脱貧困の経済学』からメモ。

僕が推している説に「2%仮説」というのがあります。どうも人間って、ほうっておくと毎年平均2%ずつくらい、賢くなるらしいんです。たとえば工場で同じ作業をずっとくり返していると、年に2%くらい効率がよくなっていく。効率化の原因って機械だけじゃないんです。知識や思考法も生産性を向上させる。そうやって2%ずつ効率がよくなっていくのに対して、現実の成長が0%だとどうなるかというと、2%ずつ労働力が要らなくなってくるんですね。

だから2%の経済成長が必要だ、と飯田先生は主張する。まあ、失業者を生み出す資本主義を否定して社会主義革命が起きるというのは最早あり得ないので、失業者を減らすためにも、何とか経済成長の手立てを考えなければいかんのかな。

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2009年9月12日 (土)

海軍軍令部の罪

8月のNHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」(全3回)が今週再放送されたので、録画して見た。80年代に行われた「海軍反省会」における海軍関係者の議論の内容を中心に取材して、海軍軍令部の開戦から戦後にかけての組織的な動きをまとめたものである。

海軍の中で作戦立案を行うのが軍令部。艦隊はその作戦を実行する。海軍省は政府内で予算・人事を担当。

軍令部は天皇の統帥権をサポートする位置付けだが、皇族をトップに据えたり、「統帥権の独立」(出たよ)を盾にして自らの権限を拡大し、兵力量の決定権を手に入れて軍縮からの脱退を実現する。

海軍省は開戦に慎重だったが、軍令部は早期開戦を主張した。それは海軍が戦争に反対したら、陸軍や右翼に内乱を起こされて海軍が支配されるという恐れからであり、どうしても戦争をやらなければならないのなら、海軍という組織を守るためにも、少しでも勝ち目のある時にやるという思惑からだった。

昭和15年に、国家総力戦準備のための中枢組織として設立された第一委員会は、開戦半年前に報告書を作成し、その中で米英が石油供給を止めた時が武力行使の時であるとした。その主張の狙いは、米英との対立を煽ることによる軍事予算獲得にあった。しかし皮肉にも、報告書の分析通り米英の石油輸出禁止を契機に日本は戦争に突入した。

戦局の悪化に伴い、軍令部は特攻兵器の開発を進めた。回天(潜水艦)、桜花(飛行機)、震洋(ボート)等々。特攻は軍令部が組織的に進めた「作戦」だった。ちょっと驚いたのは、昭和20年1月の時点で「1億総特攻」の方針(最高戦争指導会議)が謳われていたこと。戦争指導者たちは敗北の責任を認めるのではなく、逆に国民全てを犠牲にしようとしていたのだ。

戦後も軍令部の関係者は、東京裁判において海軍上級者の極刑を避けるために動いていた。結局海軍も、陸軍ほどあからさまではなかったにしても、国家を守るのではなく自らの組織の利益のために行動していたことになる(海軍反省会の出席者は、「陸軍は暴力犯、海軍は知能犯」と表現していた)。

世の中にエリートは必要だ。彼らがいなければ世の中は回らない。しかしエリートたちが国家的使命を忘れ、社会的責任感を失った時に悲劇は起こる。それは戦時であろうと平時であろうと変わりはない。

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2009年9月10日 (木)

宇宙のはじまり

人類が生まれるための12の偶然』(眞淳平・著、岩波ジュニア新書)の第1章「この宇宙が誕生した不思議」からメモ。

今から約137億年前。より正確にいうと、137億年プラスマイナス2億年の昔。私たちの住むこの宇宙が誕生しました。想像するのがとても難しいところですが、それまでは文字通り何もありませんでした。そこに突然、極微の大きさの宇宙が生まれたのです。

宇宙誕生から10の33乗分の一秒前後に、ビッグバンが起きました。

現在の宇宙物理学では、まず宇宙の誕生があり、その後のインフレーションによる宇宙の転移相(物理的・化学的な条件の変化によって、物質などの形態が変わること)から、ビッグバンが起きたと考えられています。

その後も、宇宙の膨張は続きます。それと並行して、この宇宙のあり方を決定する重要なできごとがありました。「基本の四つの力」と呼ばれる力(「重力」「電磁気力」「強い相互作用」「弱い相互作用」)が生まれたのです。ここでいう「力」とは、物体に加速度を与えるもののことです。

もしも力が存在しなかったり、存在しても力の作用の仕方に一定の法則がなかったりした場合、物質は存在できず、宇宙自体も崩壊していたでしょう。宇宙は無秩序を好まず、誕生後すぐに秩序をつくりだしました。なぜかはわかりませんが、これは驚くべきことなのです。

宇宙を生み出す際には、重力や電磁気力など四つの力の値、中性子や陽子の質量といったさまざまな「自然定数」が重要な役割を果しています。多くの自然定数が現在の数値と少し違っていただけで、今の宇宙は存在しませんでした。そして、今の宇宙が存在するような自然定数が決まる確率は、ほとんどゼロに等しいのです。

現在の自然定数がなぜ決まったのか。この問題は今も多くの物理学者を悩ませています。

・・・およそ140億年前のある時点に宇宙が誕生し、その10の33乗分の一秒後にビッグバンが起きた。気が遠くなるような膨大な時間を遡った果てにある過去の極小の瞬間の出来事の結果、今この世界がこのようにある・・・もはや驚きを通り越して呆然とするほかない。この理論的現実は、これ以上「なぜ」と問う言葉を寄せ付けない感覚がする。

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2009年9月 7日 (月)

「自己啓発本」と「哲学」

今の日本では、自己啓発本が哲学書の代用品ということらしい。今週の「週刊東洋経済」(9/12号)連載「知の技法・出世の作法」(佐藤優)からメモしてみる。

筆者の理解では、日本で流行している自己啓発セミナーや自己啓発本は、少し形を変えた教養の方法論である。
実は、哲学を系統的に学んだ人は自己啓発セミナーに通ったり、自己啓発本を読むことはない。それは、哲学自体が方法論を備えているからで、(中略)哲学的な基礎固めがしっかりなされた自己啓発セミナーに参加したり、自己啓発本を読むと、仕事の能力を向上させるうえで役に立つ。

優れた自己啓発本の著者として佐藤氏が挙げるのは勝間和代。具体例として引用されるのは、『断る力』(文春新書)の中で勝間が以下の様に述べる箇所。

(『史上最強の人生戦略マニュアル』という本の中で)私がもっとも影響を受けて、かつ、いつも忘れずに心に抱いている法則は「事実なんてない。あるのは認識だけだ」ということです。私たちが、自分が正しくて相手が間違っている、というのはあくまで、私たちの認識です。どちらが正しいか、間違っているかは問題ではないのです。問題は、互いの認識が異なっているということ、それによって上手な意思疎通ができていないということなのです。

そして、佐藤氏は「事実はない。あるのは認識だけだ」という言葉に着目して、これは新カント派に典型的な認識論だ、と指摘するのだが、似たような言い方で自分が思い出したのは、「真理はない。あるのは解釈だけだ」というニーチェの言葉。まあカントでもニーチェでも、哲学を少しでも齧っていれば、自己啓発本は不要だと言える。でも、哲学書を読めば仕事の能力が向上する、ってことはないだろうけど。(苦笑)

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2009年9月 5日 (土)

「再分配」政策の失敗

雨宮処凛という書き手は所詮イロモノだよな、と思う。でも、専門家が雨宮と対談すると、「格差社会」についてより分かりやすく語ってくれるような印象があって、それはそれで我々読者のためになる(例えば萱野稔人との対談『「生きづらさ」について』)。しかし「格差」問題と無縁の勝間和代との対談では、勝間の方が「お話伺います」という姿勢になっていて、苦笑モノであったが・・・。新刊の『脱貧困の経済学』(自由国民社)で雨宮の対談相手になっているのは、売り出し中の経済学者・飯田泰之。「再分配」政策についての飯田先生の発言をメモ。

裕福な人から貧乏な人へ「富」を移動して不平等度を下げるのが「再分配」なんですが、日本は「再分配する前」、つまり単純な収入の不平等度と、どこかからお金をとってどこかに渡した「再分配の後」の不平等度がほとんど変わらない、という変な国なんです。どこの国でも、ふつうは不平等度を改善するために再分配をやっているのに。
でも、日本の財政が動かす額は、GDP比でいうとアメリカよりも全然多いんですよ。イギリスよりやや低いくらい。この予算を振り替えるだけで、財源なんかなくたって、けっこうな問題が解決すると僕は思うんです。

(いまの再分配はどこに配っているかというと)実質的には「東京から地方へ」と「若者から高齢者へ」。つまり東京の貧乏人からとって田舎の金持ちに配り、若い貧乏人からとって金持ちのお年寄りに配っているんです。

実は日本はすごく減税をやっています。だけど、大幅な減税になっているのは事実上年収1000万円以上の人だけ。いま財政がものすごくやばい、破産する、とか言っていますけど、あれもバカな話で、たくさんお金を納めてくれるお金持ちだけを、これだけどんどん減税して、それで財政収支が悪くならないわけがない。

「なぜこんなに貧富の差が広がったんですか」と問われたら、僕はいつも「金持ちを減税して貧乏人に増税しているんだから当たり前です」と言います。なんだかね。

・・・確かに、「新自由主義的」政策ではお金持ちに減税してお金を使ってもらえば、やがて全体も潤う、みたいな話だったと思う。結局、お金を使ってないではないか、だったら取っちまえよ、って感じにはなるよな。

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2009年9月 4日 (金)

そして自民党は「消滅」した

毎日「今日の民主党」「今日の鳩山さん」が伝えられて終わったような一週間。

報道は熱心とはいえ、そこから「政権交代」の熱気という程のものは感じられない。むしろ事態は淡々と進んで、国民は静かに見守っているという感じがする。

今回の選挙で違和感を覚えたのは、「財源」問題や「成長」戦略が問われたことだ。誰か頭の良い人が考え出したことなのだろうが、一般庶民には殆ど判断しようのないことに思える。庶民の一番の関心は「年金」や「医療」で、これが高齢化国家の現実だろう。

さて、「政権交代」実現により、政権選択の可能な二大政党制も確立された、と思いたいところではあるが、実態はどうかなあ。理念の違う政党が選挙を戦った結果というよりも、年寄りの政党が(相対的に)年若い政党に敗れたという、「世代交代」の意味合いが強いと思えるからだ(・・・それにしても政界的には「小娘」ばかり当選するのも何だかな)。本当の二大政党制になるためには、やはり理念を同じくする人が結集する政界再編が必要だろう。ただ、じゃあ何が対立軸になるのかというとよく見えない。二大政党制の本家である英米だって、例えば経済政策的には二大政党の違いは小さくなってきている印象だし。日本の場合は憲法改正が対立軸になるとも言われてはいたけれど、何かタイミングが過ぎてきている感じもする。後は外交政策になるのかなあ。しかし誰も対米従属で良いとは思ってないしね。

「冷戦」と「高度成長」を起点に成立した自民党は、とっくの昔に時代遅れの政党になっていた。高い支持率に支えられた小泉首相は「改革」を進めて、自民党を事実上「ぶっ壊した」。その結果、小泉改革後に方向性を見失った自民党には、もはや昔に戻るパワーも改革を受け継ぐ人材も乏しく、総理総裁が毎年変わるなど混乱と衰弱が続いた。そしてとうとう、小泉退陣後3年で自民党は事実上「消滅」してしまった(・・・党をぶっ壊した当人は引退してしまった訳で、良くも悪くも鮮やかな出処進退ですな)。自民党が復活するためには、単純に若返りと人材育成が必要だろう。しかし、それには時間がかかる。ということは、今度は民主党が長期政権を担うことになってもおかしくない。でもそうなると、結局二大政党制というのも形ばかりのものになっちゃうか。

それにしても細川首相の非自民連立政権から16年か。長かったなあ。

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