石垣山一夜城に行く
天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原城包囲の際に築いた石垣山一夜城。関東初の本格的な織豊系城郭、つまり城といえば土の城が作られる地域に初めて登場した石垣の城を訪ねた。
今回は近ツリ系の旅行会社が主催するバスツアーを利用。豊臣軍の北条征伐における2つのポイント、関東防衛線の激戦地となった箱根山中城と石垣山一夜城を回る歴史ツアー。参加者17名、中高年中心、です、やっぱり。
新宿を朝7時30分に出発して、10時過ぎに山中城に到着。日本100名城にも選定された城とは知らなんだ。山の地形を利用した曲輪の配置や特徴のある堀など、史跡として良く整備復元されている遺構を、歴史ガイドさんの話を聞きながら、3時間かけてほぼ端から端まで歩いて回った。
昼食後、小田原に移動して石垣山一夜城へ。1時間程で二の丸、井戸曲輪、本丸などを見て歩く。写真は二の丸から見た本丸の石垣。山城ではよく見る眺めとはいえ、結構高い山の上に大きな石が大量に積んであるのは、やっぱり驚き。小田原城を見下ろす標高約260メートルの笠懸山に、将兵約4万人を使って天守と石垣のある城を2ヵ月半程で作り上げ、完成と同時に周囲の木を切り払い、一夜で出来たように見せたことから、俗に「一夜城」といわれる。本丸の天守台からは、現在の小田原城(復興天守)が望める。背景の市街地に埋もれるような感じだけど。(下の写真)
この城のデモンストレーション効果は大きく、小田原本城が包囲されている間に関東の各支城が次々に落とされていたこともあり、北条氏は戦意を喪失。6月26日の一夜城出現から2週間程で降伏した。関東の制圧からほどなく東北も平定されて、ここに秀吉は天下統一を達成した。
ところで石垣山一夜城の縄張りは、肥前名護屋城と似ている、らしい。小田原攻めの兵20万人と物資の大量動員も、朝鮮出兵の「演習」だったとも考えられる、らしい。既に秀吉の野望は「天下統一後」に向けられていた。
まあとにかく石垣山一夜城、関東における「石垣の山城」として貴重な城跡と実感。
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