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2009年5月 1日 (金)

オーヴァー・ザ・レインボー

オーヴァー・ザ・レインボーの公演を見てきた。場所は新宿の厚生年金会館(久しぶりに来たけど、ここもだいぶ古ぼけた感じのホールになってきた)。ジョー・リン・ターナーがレインボーの元メンバーを集めると共に、ギタリストにはリッチー・ブラックモアの実の息子であるユルゲン・ブラックモアを迎えて、思いっきりレインボーの曲を演奏しちゃうというプロジェクト。それ程のレインボーファンでもないワタシは、見ようかどうしようか迷い、結局チケットを買ったのは公演の一週間前。席は二階の後ろの方である。

オープニングのタロットウーマンから、アンコール最後のオールナイトロングまで、レインボーの各時代から万遍無く選定された楽曲が次から次へと演奏されたステージは、特に意外な展開もなく2時間弱で終了。

自分がジョーを見るのは2年ぶり。前回はグラハム・ボネットとのジョイントライブ。5年前のヒューズ・ターナーも行ったから、最近ジョーが来ると何となく見に行ってるなあ。声量とか声の伸びとか、そんなに衰えを感じさせないのは大したもんだ。しかしジョーが、ロニー・ジェイムス・ディオやグラハム・ボネットの時代の曲を歌うと、どうも物足りない感じがする。やっぱりスターゲイザーはロニーの歌だなあと思うし、アイズオブザワールドもグラハムのダミ声でないとやや迫力に欠ける印象。ドゥギー・ホワイトの歌った曲は、ジョーの声でも違和感は無かった。

やはりレインボーの歌の印象は、その時代のボーカリストと分かち難く結びついているなあと改めて感じる。今度来る時があれば、ロニーとグラハムも連れてきて、曲によってボーカルをチェンジしてもらいたい。(笑)

しかし20年も30年も前の音楽をやるバンドのライブにたくさんの人が来て、演奏するバンドの方でもギタリストが親の音楽を継いでいる訳だから、ロックも確実に伝統芸能化しているような気がする。(苦笑)

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