« 時価会計の落とし穴 | トップページ | 松江城から備中松山城へ »

2009年5月20日 (水)

石原都政って何なの?

石原慎太郎よ、退場せよ!』(洋泉社新書y)は,斎藤貴男と吉田司の対談本。斎藤の主張は、石原慎太郎は差別主義者、それを政治にしたのが石原都政、基本的にそれだけという印象。一方、吉田は「新自由主義」的な背景の中に石原都知事の在り方を位置づけようとする。吉田発言からメモ。

石原が再登場した時代の背景にある、新自由主義とは何かについて二点語りたいんです。ひとつは、小泉新自由主義の「痛みを伴う」構造改革で、地方経済は疲弊した。しかしその一方で、企業の不況脱出口としての東京だけは、一極集中の「一国主義」「単独主義」として肥大化。東京と名古屋のふたつが日本の中の「世界都市」です。愛知・名古屋はもちろんトヨタの拠点都市です。

それと二点目は、新自由主義であまり語られていないのは、コンピュータ文明時代の資本主義だという視点です。実は戦前の統制経済が始まる前の、1920年代、30年代、まさに『蟹工船』の時代、古典的な自由競争時代でしたね。20年代、30年代と現在の間には、アナログ的な資本主義とデジタル的な資本主義の違いがあると思います。自由競争の過酷さは変わらない。いや、むしろコンピュータ・スピード化し、過剰リスク化した。新自由主義こそが20年代、30年代に逆戻りしているというか、それをコンピュータ化しただけで、時代はむしろ20年代、30年代に起きたことと同じことが起きているのに、これを新しいことだと思っている。

世界体制の中での東京一国主義で、東京も日本において専制君主化していく。そのときの役者として彼が呼び出され、彼も専制君主化したんだと思います。大東京主義はこの世界恐慌的な経済の急失速で多かれ少なかれ破綻を抱え込んだし、東京も変質せざるをえない。そのときに専制君主としての役割をやってくださいという石原の役割は終わったと思う。

この言葉に斎藤も同意。新自由主義の露払い役という石原の役割は二期目までで終わっている、と述べる。

石原都知事がただの差別主義者なのか、新自由主義の専制君主なのかはさておき、都民である小生としては、新銀行東京は失敗を認めてさっさと潰してもらいたいし、オリンピック招致なんかにお金を使って欲しくはないのである。オリンピックは福岡に譲るべきだったし、住宅やら満員電車やら保育所やら、大都市には改善すべき問題がいくらでもあるんだからさ。2年前に石原は御用済みなのは明らかだったのに、民主党が現職に対抗できる候補者を出せなかったのは実に不甲斐無かった。最初は頼れる指導者に見えた石原都知事も、結局はただのマッチョイズムの人で、いまや意味も無くえばる人としか思えない。この秋に東京がオリンピック開催地に選ばれなかった場合でも、さらに一年半だらだら石原都政が続くのかいな。

|

« 時価会計の落とし穴 | トップページ | 松江城から備中松山城へ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/29694025

この記事へのトラックバック一覧です: 石原都政って何なの?:

« 時価会計の落とし穴 | トップページ | 松江城から備中松山城へ »