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2009年5月30日 (土)

日本は独立国家なのか

先日、東京駅でサンライズ出雲に乗り込む石破大臣を目撃したからという訳ではないけれど、石破茂と小川和久の対談本である『日本の戦争と平和』(ビジネス社)から、日米同盟についての発言をメモ。

小川:20世紀に日本が結んだ主な同盟の三つめが、現在の日米同盟です。この同盟関係は45年8月15日に第二次世界大戦(太平洋戦争)に負けた日本が、アメリカに占領され、51年に独立を回復(講和条約に調印。発効は52年)していく流れのなかで結ばれました。これがそのまま今日に至り、結果として日本の国のあり方すべてを規定するようなかたちになっています。やはり私たちは、日本の国益から見て「同盟関係の選択」をどのように位置づけるかという地点に、立ち戻る必要があるのではないか。

石破:日本は同盟関係の選択というものを、国として、あるいは民族として、「これこれの理由で、日米同盟を選ぼう」と明確な意識を持って位置づけてきた、とはいえないのでは、というお話ですね。マッカーサーのアメリカに占領され、アメリカからさまざまな制度や仕組みを教わり、すっかり世話になった。その延長線上でというか、選択の余地もないままに、アメリカとの安全保障条約を結んだと。

小川:「まず最初に日米同盟ありき」という考え方はおかしいでしょう。日米同盟にはいくつか問題があるし、それをより健全化していく取り組みが必要です。アメリカとの同盟関係を日本国としてどう国益に生かすかという観点からは、同盟の中身を整理し、さまざまな取り組みをしなければならない。アメリカの利益も尊重しつつ、直すべきは直す方向に持っていかなければ独立国家ではない。戦勝国が、自分に都合のよい中身に持っていった同盟関係、具体的には日米安全保障条約や日米地位協定を、いまだに自分の国にとって望ましい方向に変えようとしない日本のあり方のほうが、歴史的にも例外に属することなのです。

石破:独立国でありながら、条約上の義務として他国の軍隊の基地を受け入れている。そして、その基地には治外法権のような部分もある、という国家は、日本以外にないはずなんです。それはアメリカにとってとても都合がいい。しかも、日本にとってもカンファタブル(心地よくて快適)で、とっても楽ちんなんです。防衛というものに正面から向き合わなくていいし、国の独立とは何だという問題にも正面から向き合わなくていいから。これは領土問題などにもすべて通じる話だと思います。日本人は竹島も北方四島もそうですが、不法に占拠されている状態に対して真剣に怒る人が少ない。自分の国によその国の軍隊を義務として受け入れていることに対する感覚のマヒと、領土意識の希薄さは、たぶん相通じるものなんでしょう。

・・・自衛隊の海外派遣や憲法改正を論議するよりもまずは、日本は独立国家としての在り方を確立すること。そのためには少なくとも、アメリカと対等のパートナーという立場でものを言える関係を築くことが大前提となるのだろう。

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2009年5月25日 (月)

松江城から備中松山城へ

先週末、中国地方の現存天守、松江城と備中松山城を訪ねた。現存天守12城を巡る、(その三)である。行きは寝台特急サンライズ出雲(B寝台シングル、運賃22,160円)を利用。22日の金曜日、夜10時東京駅発。何とホームのコンビニに石破大臣現る。もちろんお供のSP付。地元に帰る時はサンライズ利用と聞いていたが本当だった。大臣は11号車(A寝台車両)にお乗りになりましたです。

23日(土)晴れのち曇り
名古屋付近で踏切故障に遭遇(もちろん真夜中なので後で知ったこと)して、列車は1時間以上の遅れで午前10時40分、松江に到着。当地では、12年に一度のお祭り「ホーランエンヤ」の期間中(でも特に興味なし)。駅前で昼食を取った後、20分おきに来る観光巡回バス「レイクライン」でお城に向かう。10分程で松江城の入口前に着く。

P1020842 松江城の天守閣、黒塗りでどっしりとしており、なかなか重厚な印象である。城の実物を見るといつも感じるのだが、写真や映像では木や石の風雪を耐えてきた質感は伝わりにくいものだなと思う。内部も意外と広くてかなりの量の展示物が置いてある。人もそんなに多くないので、並んで階段を上り下りすることもなく助かった。最上階は戸板?がすべて開け放たれていて、見晴らしも風通しも非常に良い。これまで見た現存天守最上階の中で開放感は一番。ここで宴会をやったら最高だろうなと思ってしまった。城を見学した後は、武家屋敷や小泉八雲記念館などが並ぶ通りなどを散策。・・・後で思ったことだけど、なぜ犬山城(の規模)が国宝で松江城が重要文化財なのか。重文も実質的には国宝、らしいのだが、何か釈然としない。
夕方、米子まで移動して一泊。

24日(日)曇り一時雨
P1020883 翌朝、米子駅へ。最近の米子の観光資源は水木しげるワールド。ホームには境港行き「ねずみ男電車」が止まっていた。7時25分発の特急やくもに乗り、9時過ぎに備中高梁着(自由席特急、運賃3,670円)。備中松山城は去年7月に訪問済。前回は「三大山城」、今回は「現存天守」・・・こちらの「積もり」が違っても、お城が変わる訳ではないけどね。前回同様、駅前の観光案内所で乗合タクシーを頼み(9時50分発の客は自分一人だった)、出発。車が走り出した途端に雨が降り出す。いやはや。停車場がある「ふいご峠」から、雨の中、傘を片手に徒歩で上っていく。約20分後に天守閣に到着した頃には雨は上がった。やれやれ。写真は二の丸跡の広場から見た天守閣と周辺の櫓。天守の内部には、明治維新後荒れ放題だった山城が、昭和に入り修理保存されてきた経緯が展示されている。古い建物が「残った」のではなく「残した」ということ。地元の人々の意志と情熱には敬意を表したい。天守見学後は、ふいご峠まで下り、予約したタクシーで駅まで戻る。時間ギリギリだったが、11時52分発・岡山行き普通電車にアタフタと乗り込む。今回はホントに「立ち寄る」という感じで備中高梁を後にした。

岡山から新幹線に乗る。インフルエンザ・ゾーンの兵庫、大阪を通過(汗)。この日は全国的に天候が不安定。晴れたり曇ったり雨が降ったり、天気がくるくる変わるのを眺めながら帰京した。

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2009年5月20日 (水)

石原都政って何なの?

石原慎太郎よ、退場せよ!』(洋泉社新書y)は,斎藤貴男と吉田司の対談本。斎藤の主張は、石原慎太郎は差別主義者、それを政治にしたのが石原都政、基本的にそれだけという印象。一方、吉田は「新自由主義」的な背景の中に石原都知事の在り方を位置づけようとする。吉田発言からメモ。

石原が再登場した時代の背景にある、新自由主義とは何かについて二点語りたいんです。ひとつは、小泉新自由主義の「痛みを伴う」構造改革で、地方経済は疲弊した。しかしその一方で、企業の不況脱出口としての東京だけは、一極集中の「一国主義」「単独主義」として肥大化。東京と名古屋のふたつが日本の中の「世界都市」です。愛知・名古屋はもちろんトヨタの拠点都市です。

それと二点目は、新自由主義であまり語られていないのは、コンピュータ文明時代の資本主義だという視点です。実は戦前の統制経済が始まる前の、1920年代、30年代、まさに『蟹工船』の時代、古典的な自由競争時代でしたね。20年代、30年代と現在の間には、アナログ的な資本主義とデジタル的な資本主義の違いがあると思います。自由競争の過酷さは変わらない。いや、むしろコンピュータ・スピード化し、過剰リスク化した。新自由主義こそが20年代、30年代に逆戻りしているというか、それをコンピュータ化しただけで、時代はむしろ20年代、30年代に起きたことと同じことが起きているのに、これを新しいことだと思っている。

世界体制の中での東京一国主義で、東京も日本において専制君主化していく。そのときの役者として彼が呼び出され、彼も専制君主化したんだと思います。大東京主義はこの世界恐慌的な経済の急失速で多かれ少なかれ破綻を抱え込んだし、東京も変質せざるをえない。そのときに専制君主としての役割をやってくださいという石原の役割は終わったと思う。

この言葉に斎藤も同意。新自由主義の露払い役という石原の役割は二期目までで終わっている、と述べる。

石原都知事がただの差別主義者なのか、新自由主義の専制君主なのかはさておき、都民である小生としては、新銀行東京は失敗を認めてさっさと潰してもらいたいし、オリンピック招致なんかにお金を使って欲しくはないのである。オリンピックは福岡に譲るべきだったし、住宅やら満員電車やら保育所やら、大都市には改善すべき問題がいくらでもあるんだからさ。2年前に石原は御用済みなのは明らかだったのに、民主党が現職に対抗できる候補者を出せなかったのは実に不甲斐無かった。最初は頼れる指導者に見えた石原都知事も、結局はただのマッチョイズムの人で、いまや意味も無くえばる人としか思えない。この秋に東京がオリンピック開催地に選ばれなかった場合でも、さらに一年半だらだら石原都政が続くのかいな。

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2009年5月12日 (火)

時価会計の落とし穴

「サブプライム・ローン問題」とは、金融商品の「ミスプライシング」から起きた技術的問題にすぎない、と強調するのは「伝説のディーラー」藤巻健史。著書である『100年に1度のチャンスを掴め!』(PHPビジネス新書)からメモする。

もともとサブプライム・ローン証券とは、低所得者層に対するローンを基にした、リスクの高い債券です。それにAAAなど高い信用度がついたことにより、高すぎる値段で売ってしまったのです。本来流動性のないサブプライム・ローン商品に関して誤った値付け(ミスプライシング)が行われてしまったのです。高すぎる商品が値崩れするのは世の常です。この値崩れの過程で、「時価会計」の弊害が現れてしまったのです。

取引が極めて少なくなった市場では「時価会計」が機能しません。明日お金が必要な人は、理論値よりもずっと低い価格で債券を売ってしまう可能性があります。バナナの叩き売りが始まるわけです。「バナナの叩き売り」が唯一の市場での取引だとすると、その価格が時価になってしまいます。高すぎた商品が、今度は安すぎる評価になってしまったのです。金融機関は、理論価格よりも大幅に低い「バナナの叩き売り価格」で保有証券を評価せざるをえなくなりました。その結果、巨額の評価損を計上。さらに、問題が「デリバティブ」という「世になじみの薄い商品がらみ」だったので、危機感があおられました。その恐怖感が事態を悪化させたのです。

今回の危機の本質は、流動性リスクの高い商品に深入りしすぎたせいだ、と思うのです。「流動性リスク」と「信用リスク」の問題であって、「レバレッジをかけすぎた」かどうかというような「マーケットリスク」の問題ではないと思うのです。

サブプライム・ローン問題は、あくまでもテクニカルな問題であり、それを人々の恐怖感が深刻にしてしまっただけ、と思うのです。そうであれば、そのテクニカルな問題を解決し、恐怖感を除けばよいのです。そうすれば株価は再度上昇し、資産効果によって、実体経済は急速に回復すると信じています。

・・・サブプライム問題に始まる今回の金融危機は、流動性の低い証券化商品のミスプライシングが修正されて異常値が発生し、それが時価評価として金融機関の財務に反映されるとの予想から、信用不安が拡大して深刻化したということになる。藤巻氏の景気回復シナリオは、「米国金融機関の株価上昇→米国一般株の上昇→日本株の上昇→円安ドル高による日本株のさらなる上昇→資産効果による実体経済の好転→さらなる日本株の上昇」とのこと。ここにきて最初の段階は実現したと思われる。今後の展開がシナリオ通りとなりますかどうか。

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2009年5月11日 (月)

軍艦島、もう少し雑記

5月9日土曜日の午前中に「やまさ海運」のクルーズで軍艦島上陸を果した訳だが、当初は近畿日本ツーリストの日帰りツアーに参加する予定だった。しかし4月末時点で、ツアーで利用する船会社に対して上陸許可が下りてないという、不手際としか言いようのない状況だったものでキャンセル。近ツリのツアーはスタディツアーということで、軍艦島に近い高島の炭鉱跡なども見学するスケジュールだったが、まあとりあえず軍艦島に上陸できればいいかと思い直して、やまさ海運のクルーズに予約を入れて長崎行きを決行した。人様のブログを見ると、どうも5月に入ってすぐに近ツリの船会社にも上陸許可が出たみたいで(苦笑)、まあまた機会があればというか、行く気が起きればスタディツアーにも参加してみようかと思う。

自分が軍艦島の存在を意識したのは、たぶん映画「純」を見た時。記憶によれば、確か(今は無き)銀座の並木座で、この映画の軍艦島のシーンを見て、日本にこういう場所があるんだな~という感じだったと思う。それにしても昔の映画だ。あらためて言いたくはないけど、ワタシも結構年くってしまった。この作品は「痴漢映画」(たぶん今は成立しない話だな・・・)として、海外の一部で注目されたことから、日本公開の運びになったという覚えがある。しかし主人公の行動よりも、軍艦島のシーンと朝加真由美の肌の白さが印象に残った(苦笑)。朝加真由美は最近お酒のCM(娘を送り出した夫婦がしみじみするというやつ)に「お母さん」役で出ていたな・・・。しかしまあ、あの頃の青春映画というと鬱屈していて暗くて、何となくベトつく感もあるという、それが「70年代」的というのか「ATG」的というのかそんな感じで・・・この映画の主役である江藤潤の他に、例えば永島敏行、森下愛子と並べると、あの頃の暗い青春映画のイメージが浮かび上がるんだけど、実はそういう暗い青春映画には結構馴染みがあったりする。(苦笑)

軍艦島に対する切実な関心、その中核を成すと思われる「ノスタルジー」の正体とは何だろう。ノスタルジーを普通に考えれば、失われてしまった過去への哀惜ということになるのだろうが、何の予備知識も無いままこの巨大な廃墟に向き合う時に、自分の心の中に軍艦島の過去のイメージが浮かび上がるはずもない。それはむしろ、あらゆる人間の文明は最後はこうなるのだよという未来のイメージから生まれる哀惜のように感じる。いわば未来へのノスタルジー。エジプトのピラミッドでもイタリアのポンペイでもペルーのマチュピチュでも良い、人は巨大な遺跡を見た時に、高度な文明や技術が大昔から存在していたことに驚異を感じると共に、それも結局は滅んでしまったという無常感も抱くことだろう。つまりどんな文明もいずれは廃墟となり、時間の経過と共に遺跡となるのだと。軍艦島もいまだ生々しさを残す廃墟ではあるけれど、すでに堂々たる遺跡の風格も漂わせている。しかも軍艦島はまさに今を生きる我々の文明に属しているだけに、その姿は我々の文明の未来を暗示しているとも言える。そこに人が軍艦島に魅入られてしまう理由があるのではないだろうか。

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2009年5月10日 (日)

軍艦島に行く

長崎県の端島、通称軍艦島に行ってきた。先月4月下旬から上陸が可能になっている。むかし炭鉱の島、いま観光の島である。(オヤジ駄洒落)

連休が概ね一段落した後の8日金曜日に休暇を取って、長崎に飛ぶ。朝9時35分の羽田発スカイネットアジア航空の飛行機に乗って、11時30分長崎空港着。空港からはバスに40分程乗って、長崎市街に入る。その日の午後は長崎歴史文化博物館を見学するなどして過ぎた。

翌9日土曜日の朝、長崎港に向かう。「やまさ海運」運行の軍艦島上陸クルーズに予約済み。参加人数はざっと100人を少し超えるくらいか。朝9時に出発、戦艦武蔵が建造された三菱重工の造船所や、2005年末に開通した女神大橋などを眺めなP1020821_2がら、細長い長崎の港を外海に向けて進んでいく。港から出た後は伊王島、高島、中ノ島の沖を進み出発から約1時間、目指す軍艦島が近付いてくる。海上に浮かぶ高層ビルが視界に入ると、「ああ、あれ!」と声にならない声が心の中に漏れた。実際に見てみるとやはり何ともインパクトのある光景だ。島の南東側にある桟橋に接岸して上陸した。

見学通路は島の南側に作られていて、ビューポイントとなる広場が3つある。コンクリート製の集合住宅や学校など構築物の大半は島の西側、北側にあるのだが、もP1020806ちろん危険なのでそちらの方には入れない。
第1見学広場付近から島の北側を望む。一番奥にある建物が端島小中学校。(上の写真)
第2見学広場は総合事務所(レンガが残る)の前にある。(右の写真)
第3見学広場からは日本最古の鉄筋コンクリート製高層住宅を近くに見ることができる。

P1020825 それぞれの広場でガイドさんのお話を聞いて、1時間で船に戻る。その後遊覧船は島の南側から西側を周遊。
島の南側から見るとまさに「軍艦」島。今にも動き出しそうだ。昔、テレビで「ひょっこりひょうたん島」という人形劇があったけど、軍艦島も動く海上都市だったら凄いだろうなと夢想というか妄想した。

P1020832_2 西側は高層住宅が積み重なるように建てられている。その重厚なありさまからは、廃墟の迫力というか、遺跡の風格すら漂う。島の頂には神社があったということだが、今は祠だけがちょこんと残っているのが何だか妙な感じがしておかしい。

島の周りを一周した後、遊覧船は島から離れ再び港に向かって北上。たった1時間しかいなかったが、なぜか名残惜しい場所だった。なので、島が見えなくなるまで船の後方から海を眺めていた。12時頃に長崎港着。

前日に長崎歴史文化博物館で、『軍艦島の遺産』(長崎新聞新書)という、いかにも地元っぽい本を買ったので、またゆっくり読んでみようと思う。

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2009年5月 6日 (水)

資本主義と歴史の「反復」

柄谷行人 政治を語る』(図書新聞)は書名が示すとおり、評論家柄谷行人へのインタビューをまとめた本。第三章「現状分析」からメモ。

僕がいう反復は、構造的なものです。資本主義には反復的な構造があります。景気循環がそうです。恐慌・不況・好況・恐慌――。なぜこのような循環があるのかといえば、資本主義経済は、その発展において、恐慌と不況を通して、暴力的な淘汰と整理をするほかないからです。だから、この反復はいわば反復強迫的なものです。

恐慌よりも大事なのは、そのあとの慢性不況です。
現在の事態は1929年に似ているというのは、さまざまな意味で、まちがっています。というのは、第一に、1930年代は、アメリカが没落するどころか、アメリカがイギリスに代わって、覇権を握ることがはっきりした時期だったからです。
第二に、1929年の時点では、自動車・電気製品などの耐久消費財への移行が起こりかけていた。大量生産・大量消費という時代がそこからはじまったのです。
しかし、今後の慢性不況にはそのような可能性がないのです。

レーニンは、帝国主義段階を歴史的に特徴づけることとして、「資本の輸出」をあげています。資本は、国内市場だけでやれなくなったために、グローバルな市場を求めて外に出る。ハンナ・アーレントは、1880年代に顕在化した帝国主義を、国家-資本がネーション(国民)の軛から解放されることだと述べています。つまり、国家はネーションの要求を斥け、自国の労働者を見捨てて海外に向かう資本を制度的・軍事的に支援したわけです。ネオ・リベラリズムに生じているのは、それと同じことです。

1990年以後、新自由主義というか、ネーションを犠牲にした資本と国家の運動が続いたわけですが、それが破綻したからといって、資本と国家が終わるわけではない。新自由主義がもたらした階級格差、さらに慢性不況という現実のなかで、結局、人が行き着くのは、国家によってそれを解消しようというものです。

慢性不況で、人が国家による援助や介入を求めるのは、ある意味で、当然です。しかし、僕は、それは真に社会主義的な方向には向かわないと思う。それは、実際は、国家資本主義です。

国家を抑え込むには、国家に対抗できるような「社会」が強くないとできません。僕が社会主義というのは、そういう意味ですね。

僕は80年代に、「単独者」というようなことをいっていました。単独者とは、他人と連帯できる個人をさすのです。単独者が創る共同体が、アソシエーションなのです。

アソシエーションを創ること。それがとくに日本では大事なんだと思います。個人(単独者)はその中で鍛えられるのです。日本では、もっと「社会」を強くする必要がありますね。そして、それは不可能ではない、と思います。

・・・このほか、「資源と市場をめぐる国家-資本間の対立が世界戦争につながる可能性がある」とか、「現在の日本は、国家官僚と資本によって完全にコントロールされている専制国家だ」という刺激的な発言も目に付く。その妥当性はともかく、今回の「経済危機」については、回復時期や対策など政治経済的に論じるのとは別に、「我々はどこにいて、どこに向かうのか」という歴史哲学的な事柄を考えるきっかけにもしたいものだ。

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2009年5月 3日 (日)

経済の変化をどう見るか

金融危機を背景に「構造変化論」が活発化しているが、変えるべき部分とそうでない部分を冷静に考える必要がある。「週刊エコノミスト」(5/5・12)掲載の「日本経済の転換期を生き抜くための4つの視点」(小峰隆夫・法政大学大学院教授)から、要点をメモ。

①マクロ経済の変化
今回の世界不況の震源地である米国よりも、その影響を受けた日本の成長率の方が大きく落ち込んだ。なぜこうした現象が起きたのか。米国での消費の減少に対応して日本国内で在庫調整と設備投資の加速度原理が作用したためだ。
一方、構造的変化も起きた。グローバルインバランスの是正である。米国への資本流入が減少し(経常収支赤字の縮小)、日本では輸出が減少し、企業業績が減少するという形で、国内貯蓄の減少(経常収支黒字の減少)が生じている。

②市場原理主義者批判
市場原理主義者批判は、本来存在しないような人(市場は万能だとか、すべての規制を撤廃すべきだと主張する人)を批判している。市場原理が本来持っている利点を発揮して、経済をより効率的にしていく必要がある。

③金融資本主義
金融制度の枠組みの再整備、金融工学の使い方の制御が必要である。

④輸出主導型経済
本当の問題は、輸出の増大によって生まれた経済的利益が内需の拡大につながらなかったことにある。今後世界経済が落ち着きを取り戻した時、日本は国際競争に打ち勝って、輸出を伸ばしていく必要がある。要は「輸出か内需か」ではなく「輸出も内需も」増やすべきなのである。

・・・今回の危機が発生して以来、「新自由主義」や「金融資本主義」、「輸出立国モデル」は終わった、という風な人目を引きやすい言葉が飛び交っている。大きな変化をきっかけに、物事を根本的に変えるべきだという話が出てくるのは勢いの赴くところだろうけど、実際には従前の物事をいきなり全否定できるはずもないので、まずは問題の在りかを認識したうえで、物事を地道に修正していくのが現実的な動きになるのだろう。

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2009年5月 2日 (土)

「脱成長」という価値転換

「週刊エコノミスト」(5/5・12合併号)掲載、佐伯啓思・京都大学大学院教授のインタビュー記事(日本を真に豊かにするために「脱成長社会」の道を探れ)からメモ。

危機の原因は、短期・中期・長期の3つの局面で考えるべきだ。
第1の短期的な要因は、金融緩和と住宅バブルを作り出した米ブッシュ政権の経済政策の失敗がある。
第2の少し長期的な問題は、米国の新自由主義政策と金融グローバル経済の行き過ぎだ。金融市場は本質的に何が起きるかわからない不確実性を持っているにもかかわらず、リスク管理ができると思っていた。
そして、第3の長期的な視点は、先進国がほぼ「需要の飽和」の状態に陥ったことだ。

類の歴史を長い目で見れば、経済の基本は、食べて生活を安定させて家族と暮らす土台を作ることだった。これが「生の経済」といわれるもので、現在でも、農業、医療、教育、地域に根付いた中小企業などはこのような面がある。市場経済の利潤原理が、この「生の経済」の隅々にまで浸透すると、人々の生活を支えている「社会」の基盤を掘り崩してしまう。

長期停滞は避けられないし、それは悪いものでもない。それを前提に、産業主義経済を支えてきた「近代主義」の価値判断を転換し、成長から別のものに関心を向け、「脱成長」の経済を目指すべきだ。私は「成長中心の考え方を変えよう」と言っているので、ゼロ成長を目指しているわけではない。

・・・「市場経済の行き過ぎが社会的基盤を壊す」という批判を、佐伯先生はそれこそ日本のバブルの頃から、倦むことなく展開してきた。(中谷巌よりもずっと前からだ)

インタビュー記事の中ではまた、日本人は、自分たちが本来持っていた豊かな価値観、自然観、死生観、歴史観などを世界に発信すべきだ、とも主張している。

まあ正直、日本人の価値観が世界に理解されるとは思えない(こういう考え方が日本人的?)ので、発信とか言われてもねぇ・・・。

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2009年5月 1日 (金)

オーヴァー・ザ・レインボー

オーヴァー・ザ・レインボーの公演を見てきた。場所は新宿の厚生年金会館(久しぶりに来たけど、ここもだいぶ古ぼけた感じのホールになってきた)。ジョー・リン・ターナーがレインボーの元メンバーを集めると共に、ギタリストにはリッチー・ブラックモアの実の息子であるユルゲン・ブラックモアを迎えて、思いっきりレインボーの曲を演奏しちゃうというプロジェクト。それ程のレインボーファンでもないワタシは、見ようかどうしようか迷い、結局チケットを買ったのは公演の一週間前。席は二階の後ろの方である。

オープニングのタロットウーマンから、アンコール最後のオールナイトロングまで、レインボーの各時代から万遍無く選定された楽曲が次から次へと演奏されたステージは、特に意外な展開もなく2時間弱で終了。

自分がジョーを見るのは2年ぶり。前回はグラハム・ボネットとのジョイントライブ。5年前のヒューズ・ターナーも行ったから、最近ジョーが来ると何となく見に行ってるなあ。声量とか声の伸びとか、そんなに衰えを感じさせないのは大したもんだ。しかしジョーが、ロニー・ジェイムス・ディオやグラハム・ボネットの時代の曲を歌うと、どうも物足りない感じがする。やっぱりスターゲイザーはロニーの歌だなあと思うし、アイズオブザワールドもグラハムのダミ声でないとやや迫力に欠ける印象。ドゥギー・ホワイトの歌った曲は、ジョーの声でも違和感は無かった。

やはりレインボーの歌の印象は、その時代のボーカリストと分かち難く結びついているなあと改めて感じる。今度来る時があれば、ロニーとグラハムも連れてきて、曲によってボーカルをチェンジしてもらいたい。(笑)

しかし20年も30年も前の音楽をやるバンドのライブにたくさんの人が来て、演奏するバンドの方でもギタリストが親の音楽を継いでいる訳だから、ロックも確実に伝統芸能化しているような気がする。(苦笑)

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