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2009年3月29日 (日)

先進的大衆国家ニッポン

あらためて世界を見回してみれば、日本は特異な進化を遂げた社会なのかも知れない。『格差社会論はウソである』(増田悦佐・著、PHP研究所)からメモ。

世界中で約200の国や地域がある。そのうちで、人口が1億人を超えている国は、たった11ヵ国しかない。人口の多い順に列挙しておけば、以下の通りだ。中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ロシア、バングラデシュ、ナイジェリア、日本、メキシコ。この11ヵ国のうちで、日本とアメリカを除く9ヵ国は、国民一人当たりの国内総生産が日本よりはるかに低い。一億人クラブのメンバー諸国の中では、アメリカと日本だけがこれだけ大勢の国民が平和で豊かな暮らしをエンジョイし、ひとりひとりが持っている能力を目一杯発揮できるような社会を築いているのだ。

日本の大衆は、敗戦以降一貫して知的エリートの支配を脱却した真の大衆社会を構築してきた。日本人はすでに戦後60年あまりにわたってポストモダン社会を生きている。ポストモダン社会とは何か? 知的エリート支配という、あらゆる階級支配の中でもいちばん厄介な階級支配のくびきから大衆が解放された社会だ。

大衆が知的エリートから主導権を奪ったことによって欧米諸国が防げなかった排除型社会への転落を阻止した日本は、世界で唯一の包摂型社会を持つ先進国、つまり社会から、あれやこれやの少数派を切り捨てていくのではなく、みんな仲良く仲間に入れて、社会を形成していこうとする国だ。だからこそ、日本が直面する最も深刻な課題は、いじめ・自殺なのだ。包摂型社会の抱える「少数派」問題は、排除型社会の少数派問題より根が深い。知的エリートの支配を受けない本物の大衆社会に特有の問題を解決することは、世界でただ一国「現代史」に足を踏み入れてしまった日本だけが背負った課題でもある。

日本はまだ差別社会、偏見社会であって格差社会ではない。根拠のない差別、偏見であるうちに格差社会への芽を摘み取れば、一億人クラブの優等生日本はもっとすばらしい国になる。世界でただ一国すでに現代に突入している日本が、お手本のない課題を解決したあかつきには、前人未踏の豊かで共感に満ちた社会が待っている。

・・・かつての吉本隆明の「大衆」、飯田経夫の「ヒラの人たち」なんて言葉も頭の中をよぎるが、いすれにしても、意欲や能力の高いフツーの人がたくさんいる、ってことが日本の強さの基盤なんだろうから、それは何があっても維持していかないとまずいんじゃないかと思う。

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