« 『殿といっしょ』(戦国4コマ) | トップページ | 「こころ」と「無」 »

2009年1月25日 (日)

「無宗教」という「宗教」

無宗教こそ日本人の宗教である』(島田裕巳・著、角川ONEテーマ21新書)の第二章(日本人はなぜ「無宗教」なのか?)、第三章(日本人はどうやって「無宗教」に至ったのか?)からメモ。

今日の日本人が知っている仏教信仰が確立されるまでには、密教や浄土教信仰、さらには禅などが取り入れられ、それが日本人の宗教生活に深く浸透しなければならなかったのだ。とくに密教と浄土教信仰は、当時の仏教界を席捲し、日本人の信仰生活を大きく変えていくのである。

密教の修法の実践は、国家鎮護や病いの治癒、あるいは願望の成就などに効果を発揮した。密教がもっぱら現実の世界、現世における救済を目的としているのに対して、浄土教信仰は来世における救済を目的としていた。浄土教信仰が広まっていくことで、仏教は死後の世界と密接な関係を持つようになり、やがては死者を「仏」と呼ぶ、日本独自の信仰が確立されるまでになる

仏教の世界に、密教、浄土教信仰、禅が取り入れられ、豊かな宗教世界、宗教文化が形成されていくのと併行して、土着の神道との融合も進んだ。こうして神仏習合という事態が生まれ、本地垂迹説などが深く浸透していくことになる。

日本で、宗派の教えという意味ではない、一つの独立した信仰世界の意味で宗教ということばが使われるようになるのは、明治に入り、近代化がはじまってからである。
(キリスト教をモデルとして)宗教を信じるということは、その宗教だけを選び、その宗教が説く教えを実践することだと考えられるようになった。

明治の時代になるまで、日本人は仏教と神道が習合した信仰を保持しており、まだ宗教として区別されていなかった二つの世界は、分かち難く結びついていた。
(近代化以降)一つの宗教を選ぶべきだという考え方が生まれたが、神道と仏教のどちらか一つを選ぶということは難しかった。
そこに一つの方針が持ち出された。神道は宗教にあらずと、宗教の枠から外し、それを国民全体の習俗、ないしは道徳に位置づける試みがされたのだった。
こうした体制は、戦後、「国家神道」と呼ばれることになるが、これによって、従来のように、両者を明確には区別しないまま、同時に信仰することが許容されたのである。

(日本人が結婚式は神道で行い、葬式は仏教で行う)慣習の背景には、神仏習合という、長い歴史を経て形成されてきた信仰のあり方がある。決してそれは、いいかげんなものでも無節操なものでもない。それは、日本人なりに、日常の生活に合う形で、独自に形作ってきた信仰のあり方である。

・・・宗教に限らず文化の在り方は、当然ながら今と同じものが昔からあったのではなくて、長い時間をかけて様々な考え方が、いわば地層のように積み重なって出来上がってきたものだ。日本人の信仰の在り方は、キリスト教的観点からは「無宗教」と見なされるかも知れないが、そこに歴史的背景を持つ「信仰心」があることは疑いない。とすれば、むしろキリスト教的「宗教」モデルを相対化しつつ、日本人の「信仰心」の歴史的背景を深く探ることで、日本的な「宗教」の在り方もよりはっきりと見えてくるのだろう。

|

« 『殿といっしょ』(戦国4コマ) | トップページ | 「こころ」と「無」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/27431559

この記事へのトラックバック一覧です: 「無宗教」という「宗教」:

« 『殿といっしょ』(戦国4コマ) | トップページ | 「こころ」と「無」 »