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2008年12月20日 (土)

「現代思想」の時代

80年代ポストモダン、ニューアカデミズムのブームを準備した雑誌『現代思想』。70年代の『現代思想』のスタンスについて、当時の編集長である三浦雅士が語る。以下は、『戦後日本スタディーズ3 80・90年代』(紀伊国屋書店)に収められたインタビュー「現代思想の時代」からのメモ。

1970年代の一番大きな問題は、その段階では漠然としたままであったにせよ、マルクス主義は終わったということ、そしてポストマルクス主義といったときに何がありうるかということだったと思います。

趨勢としては構造主義だということははっきりしていた。構造主義というのは、バルトでありフーコーでありラカンであり、そして中心はもちろんレヴィ=ストロースだというふうになっていた。それで人類学も脚光を浴びたわけですが、それは実存主義に対するアンチテーゼだったわけで、その場合の実存主義というのはサルトル的な実存主義、つまり実存主義的マルクス主義だった。それが終焉を迎えていたわけです。

思想の全体を眺めた場合、19世紀が自然科学においても人文科学においても実体的なものを追究したとすれば、20世紀は関係的なものを追究してきたわけです。現象学、解釈学、言語論、記号論、科学史、美術史、もっとも典型的なものは動物行動学ですね。動物行動学というのは動物とともに生きてみる、動物の眼で世界を見てみるというもので、明らかに意味の科学であり、関係をめぐる理論なわけで、実体をめぐる理論ではない。現象学の親類みたいなものだ。一方ではどんなふうにマルクス主義は終わろうとしているのか、マルクス主義が終わった後にはどうなるのかを考えていくこと、それが、70年代にしなければならないと思っていたことだったと思います。

・・・戦後から間もない社会全般が貧しく荒々しい時期は、革命を意識するマルクス主義と、ニヒリスティックな実存主義が人々を惹きつけたが、その後経済的豊かさと産業社会的秩序の確立がある程度実現された段階で、構造主義が登場してきたという印象はある。さらに西洋哲学史的に見れば、マルクス主義と実存主義が共有していた主体概念(まさにサルトル)を、否定してみせた(ニーチェの「神は死んだ」に倣って、フーコーは「人間は死んだ」と告げる)のが構造主義・・・なのだろう。さらにポスト構造主義というと、構造主義と別物という訳でもなく、構造主義の新たな展開という感じ。まあ何にせよ、レヴィ=ストロース100歳は凄いとしても、フーコーもドゥルーズもデリダも既に亡く、やっぱり「現代思想」の時代は遠くなりにけり、だなあ。

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