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2008年11月30日 (日)

『アメリカの宗教右派』

アメリカの宗教右派』(飯山雅史・著、中公新書ラクレ)は、アメリカという「宗教国家」の政治史を分かりやすく描き出している。

初めにプロテスタントの大分裂ありき。20世紀初頭のアメリカでは、進化論など近代科学を受け入れる「近代主義者」と、聖書を字句通りに解釈する「原理主義者」の大論争が起きた。その結果、前者が「主流派」となる一方、後者は少数のラディカルな「原理主義派」と、よりマイルドな「福音派」に分かれた。その違いについて以下に引用。

福音派と原理主義派は、聖書を非常に重視する点で共通点を持つけれども、前千年王国説をとる原理主義派は、人間がいかに努力しても、キリストによる救済まで世界は救われないと考え、政治や社会から背を向けてきた集団である。これに対して、福音派はこうした悲観主義ではなく、社会と積極的に関わっていくことを選択した人たちだ。キリストの救済があるまでに、人間は努力して、社会を良くしていかなくてはならないし、その努力は報われるという積極主義と楽観主義がその根底にある。

・・・福音派や原理主義派は、文字通り宗教的な理念を実践する人々に与えられた呼び名であるのに対し、「宗教右派」は政治的集団を指すメディア用語で厳密な定義はない。それは、中絶や同性愛結婚の禁止などを主張して、共和党を支持する宗教系の団体に対する総称として使われる。1970年代以降、それまでの“リベラルの行き過ぎ”に対する反発の高まりを背景に保守主義が台頭。宗教右派運動はその流れと相互に影響しあいながら成長していく。この宗教右派に共鳴し、選挙の時には保守的な共和党候補に投票する一般市民が何千万人といる。その多くは福音派の人たちである。

保守主義の流れとともに育ってきた宗教右派運動は、2004年のブッシュ大統領再選で絶頂期を迎えた後、衰退の過程に入ったとの見方も出てきている。しかし福音派について言えば、依然として国民の4分の1を占める大きな有権者層であることに加えて、地球環境や貧困などリベラル的な問題に取り組もうとする変化の動きも見せており、今後もアメリカ政治に一定の影響を及ぼすだろう、というのが本書の見立てのようだ。

付け加えると、アメリカの有権者は、民主党、共和党の確信的な支持者が3分の1ずつで、残り3分の1は過激なリベラルも、過激な保守も敬遠する浮動票(黄金の中間地帯)と言われている、とのことであるから、この3極でバランスを取っているのがアメリカ政治の実態、と考えて良いのだろう。

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2008年11月24日 (月)

高取城へ行く

日本三大山城を称している岩村城、備中松山城、高取城。その理由は、岩村城(岐阜県)は標高が一番高い721m、備中松山城(岡山県)は天守閣の現存する山城、高取城(奈良県)は比高(麓と頂上の高低差)が一番高い(約400m)とのこと。選定基準には異論もありそうだけど、ひとまずこれらが「三大山城」としてアピールされている。

自分は名古屋に居た時に岩村城に行き、今年の夏に備中松山城に行った。残るは高取城ということで、この3連休の二日目、昨23日に現地を訪ねた。

当日は「たかとり城まつり」を開催。朝9時40分頃に近鉄の壺阪山駅に降りると、「近鉄ハイキング」のマップも配られていたりして、結構たくさんの人が来ていたのだった。駅から町に入ると出店が並び、武者行列や火縄銃実演などのイベントがスケジュールに組まれ、城下町~城跡周辺を巡るウォークラリーも行われていた。当地には「土佐街道」などの地名が残るのだが、これは古代に都の造営のため土佐の国から労役に駆り出された人たちが、この辺に住み着いたことに由来するらしい。

P1020574山城歩きって、要するにハイキング。町中を通り抜けてから、山道を歩くこと1時間余り。11時半頃に城跡に辿り着くと、お昼時でもあり、お弁当を広げる人多数。何しろ紅葉の季節だし、「城まつり」の日でもあるとはいえ、ぎょうさん人がおるやないか。草深い山上に打ち捨てられた城跡の風情、とは違うぞ。地理的には飛鳥にも近いし、どうも高取城というのは日帰りのお出かけスポットとして、関西の人には認知されている感じだな。

P1020577 まあそれはそれとして、石垣だ。本丸天守台の石垣のデカイこと。高さ10mは超えるだろう。何でこんな山の上にこんなデカイ石垣があるのだろう。と、山城ではいつも思う。

これで三大山城は全て探訪。が、それとは別に竹田城にも行かないといかんのだ(「歴史読本」本年5月号参照)。まあ何しろハイキングですから、冬はお休みしてまた来年のことになりますけどね。

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2008年11月17日 (月)

基軸通貨国の特権(の乱用)

今週の「日経ヴェリタス」(11/16付)の「危機原論」(末村篤・特別編集委員)からメモ。

80年代以降の世界の経済史は、米国が債権国から債務国に転落してもなお世界経済の中心であり続けるために、基軸通貨国の特権を最大限活用した歴史といっても過言ではない。

米国は巨額の経常赤字で垂れ流したドルを、国債などへの債券投資の形で呼び戻し、直接投資や株式投資でBRICsなどへの海外投資を活発化した。

経常赤字国が無尽蔵に、しかも低金利で資金調達できたのは、アングロサクソン型金融文化をデファクト・スタンダードとして世界に広める国家戦略の下、外国に貿易と資本の自由化を迫って世界のモノ(生産力)とカネ(貯蓄)を利用できる環境を整え、デットとエクイティの収益格差を享受したからだろう。

基軸通貨国が最大の経常赤字国で最大の債務国でもあるという想定外の事態は、高成長と企業・金融部門の高収益で覆い隠されていたが、株式から住宅に引き継がれたバブルの崩壊で矛盾を露呈した。投資銀行のビジネスモデルと同時に、米国中心のモノとカネの世界循環(帝国循環)も終焉を迎える。

基軸通貨の交代はまだ先だとしても、米国が基軸通貨国の特権の乱用、「痛みのない赤字垂れ流し」をこれ以上続けられないとすれば、世界の経済循環は変わらざるを得ない。米国の経済運営はもちろんのこと、その裏側の貿易(対米輸出)と金融(対米投資)で帝国循環を支えたパートナー、日本と中国がこの変化にどう対応するのかが大問題になる。

・・・ドルが基軸通貨であることとアメリカが「金融帝国」であることは固く結びついている。時たま、日本も金融立国を目指そう、とかいう話が出てくるけど、円を基軸通貨にする気があるとは思えないのに、金融立国とか唱えてみても実効性は無いような気がする。それはそれとして、ドルに代わる基軸通貨はまだ見えてこないにしても、ドルの地位低下は徐々に進んでいくのだとしたら、アメリカにモノを売って受け取ったカネを、再びアメリカに投資するというアクションについては今後、中国にメインでやってもらう方が日本にとっても有難いんじゃないのかな~。

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2008年11月14日 (金)

「三国志」と「ヒトラー」と

って、何のこっちゃだが、映画「レッドクリフ」を観に行ったら、ヒトラー暗殺未遂事件を描く映画の予告編を見せられて「へえ~」って感じだった、そんなようなことです。三国志とヒトラーとの間に何か関係があるはず無いよね。(苦笑)

そもそも自慢じゃないが「三国志」オンチだ。魏と呉と蜀の時代で、孔明という軍師がいて・・・もう後は知らない。(汗)
しかし「レッドクリフ」、これだけ宣伝している話題の大作であるし、とりあえず見ておけば勉強にもなるだろうとシネコンに足を運んだ。何しろ「三国志」オンチですから、目指すは日本語吹き替え版。(苦笑)
観ている時も、「これはシューユ、これはソウソウ、これはリュービ、チョーウン、カンウ、チョーヒ・・・」と心の中で確かめながら人物を追う。(汗)
映画のかなりの部分は戦の場面で、もちろん馬も走り回るし、とにかく鎧を着けた人がたくさん出てきて、基本的に槍を使うチャンバラというのか、突いたり殴ったりで血の雨が降るというような、いやもう激しい程にダイナミックです。

さて、ヒトラー暗殺未遂事件の映画のタイトルは「ワルキューレ」。この事件の作戦名ですね。主演はトム・クルーズ。暗殺実行者のシュタウフェンベルク大佐を演じる。ネットで少し調べてみると、年末に全米公開、来年のアカデミー賞レースに参加するらしい。

この事件が映画化されることには興味を持つけど、それがトム・クルーズのハリウッド映画というのはビミョーな感じもする。しかしナチス関連では最近、「ヒトラー最期の12日間」「白バラの祈り」(いずれもドイツ映画)も観たので、この作品も観るだろうな。

「レッドクリフ」パートⅡの公開は来年春、「ワルキューレ」もその頃までには観れるのだろう。どちらの作品にもいちおう期待しておきませう。

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2008年11月 9日 (日)

「龍馬」像の変遷

先週、NHK大河ドラマ「篤姫」で玉木宏扮する坂本龍馬が暗殺された後、2010年大河ドラマ「龍馬伝」の主役は福山雅治に決まったことが発表された・・・坂本龍馬って、当代トップクラスのいい男が演じるもんと決まってるんでしょうか。(苦笑)

自分は坂本龍馬の何が良いのかよく分からない。それは、やっぱり司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでないからなんだろう。つまり龍馬は歴史的評価の定まった偉人というよりも、小説の中のフィクショナルな部分が多い人物と思われる。『うわさの日本史』(加来耕三・著、NHK出版生活人新書)から以下にメモ。

龍馬が、歴史上の人物として、顧みられたことは、実はきわめて少なかった。「もしもその人間がいなかったら、歴史が変わったか変わらなかったか」というのが、歴史学の判断の基本となるからである。龍馬は歴史学上ではなく、いわば文学上の人物として、まばゆいオーラを今日に放っているのだ。

同書によれば、時代と共に龍馬像は変遷してきた。明治期は海軍の守護神、大正期はデモクラシーの先駆者。そして昭和の敗戦後、「竜馬がゆく」によって高度成長期のアイドルになる。

だとすれば、なんのことはない。龍馬とは、われわれ日本人の鏡像ではないのか。
いま日本人は、輝くような未来を信じる昭和の龍馬に、居心地の悪い、なじめない何かを感じているはずだ。時代の制約を受けない小説、などというものは存在しない。日本はすでに低成長、それも夢や理想の育みにくい時代に移行している。

今後、新しい時代背景を背負った新しい龍馬が登場してくると著者は見ているが、自分はちょっと懐疑的ですね。無理矢理言えば、近代化を成し遂げると共に日本の「青年期」が終わって既に久しいと考えられる今、小説やドラマで、新しい龍馬像を提示するのは容易ではない感じがする。むしろ基本的に「竜馬がゆく」イメージのまま、ノスタルジックな存在になっていくんじゃないのかな。

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2008年11月 8日 (土)

マケインも立派な人(らしい)

アメリカ大統領選挙で敗者になったとはいえ、マケインさんもかなり立派な人物らしい。海軍のパイロットとしてベトナム戦争に従軍。戦闘で瀕死の重傷を負い、敵に勾留され拷問を受ける。釈放された後も、膝や腕に不自由が残った。しかし90年代、上院議員としてベトナムとアメリカの国交正常化に貢献。ブッシュ政権によるテロ容疑者への拷問にも激しく反対・・・。以下に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(町山智浩・著、文春ペーパーバックス)からメモ。

マケインは共和党のマーヴェリック(はぐれ牛)と渾名されてきた。共和党は、ゲイ同士の結婚を違法化し、反体制市民の盗聴を合法化し、銃規制を緩和し、金持ちや大企業に減税し、福祉を削減する法案を提出してきたが、これらの大半にマケインは激しく反対してきた。

「共和党を元に戻したいのだ」とマケインは言う。黒人奴隷を解放したリンカーンは共和党だったし、共和党のアイゼンハワーはソ連と歩み寄り、軍産複合体を批判した。それが極端に右傾化したのは80年代、福音派を支持基盤に取り込んでからだ。福音派が政治を支配する現状をマケインは「政教分離というアメリカ建国の精神に反している」と批判した。それは正しいが、禁句だった。00年の大統領予備選で福音派は「マケインを絶対に大統領にするな」と信者を総動員して対立候補のブッシュ(福音派)を当選させた。

・・・福音派(キリスト教原理主義)って、傍から見ると「大丈夫か?この人たち」って感じだから、マケインはマトモな人なんだろうな。さて、雌伏の時を経て今回大統領を目指したマケインだけど、やっぱりタイミングが悪かった。イラク戦争そして経済危機というブッシュ政権の失敗の後では、次は民主党の番だという感じになるだろうし。それでなくてもクリントンVSオバマで、民主党は予備選から盛り上がっちゃったし。ペイリンちゃんの副大統領候補指名で多少巻き返したけど、これも結局ハズレだったみたいだし。

それはそれとして、オバマ次期大統領の演説に聞き入る人々の表情からは、多様な人々が一つに結束するというアメリカ合衆国の精神をあらためて確かめているような思いが伝わってきて、部外者にも感じ入るものがあった。

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2008年11月 7日 (金)

入院経験の記録(手術篇)

(承前)脊髄腫瘍の摘出手術を受けることを3月上旬には決心したが、手術時の大量出血に備えるため、輸血用として先に自分の血を取っておく(自己血とか貯血とか言ってた)段取りが入るなどして、結局4月14日に再入院、3日後の17日に手術を行った。手術直前は若い看護婦さんに浣腸はされるわ、腰回りには十字帯というエグい感じの下着を付けるわ、いろいろ辱め(汗)を受ける。朝の9時には手術室に入り、全身麻酔ってもう仮死状態だよな~怖いな~と思いつつ、麻酔の点滴を受け始めるとすぐに意識を失った。次に目が覚めた時は、人のざわめきと器具を片す金属音が聞こえてきて、(あれ、もう終わったの)と思う位、10分程度しか経っていないような感覚。実際にはその時点で夜の11時頃、14時間が過ぎていたのだった。目が覚めた直後に身体が大きく震え続けたのだが、しばらくして止まる(理由不明)。すぐにICU(集中治療室)に移されて、痛み止めを打たれながら、そこで一夜を明かした。照明を落とした部屋で冷たい機械に取り囲まれて、ベッドの上に生身の人間がいる図は何だか不気味だなと感じる。

翌朝、病室に戻る。声がかすれて良く出ない。長時間の麻酔の影響らしい。手術後二日目に妹夫婦が見舞いに来たが、話す気力も余り出なかった。食事を残してしまうのは、食欲が無いというより、食べるだけで疲れちゃう感じ。手術後一週間は安静のため寝たきり状態で過ごす。点滴を何回も受ける。尿道には管が入りバッグに尿を取る。血栓が出来るのを防ぐため、両脚にクッションが巻かれて、そこに機械で四六時中空気を入れたり出したりする。寝返りをするたびに背中に激痛が走る。どうしても声が出ちゃう。入院期間の前半は個室に入っていたのだが、余計にお金がかかっても、手術直後は個室の方が周囲に気兼ねしなくて良いと思った。痛い痛い痛い~っていつも言ってるし。寝たきり状態のため、ベッドの上で容器にウンコしなきゃいけない時もあるし。

手術から一週間後の24日に歩行のリハビリ開始。既に前日、胸から腰までのコルセットも装着。ベッドに腰掛けた状態から立ち上がる時に激痛。こんな痛み、本当に取れるんだろうかと思う。リハビリ室への移動に最初2日間車椅子を使う。気分はすっかり老人。つくづく、将来介護状態になってはいかんなと実感する。リハビリはまず平行棒を使っての歩行。文字通り地に足が着いていない感じ。腰が左右に揺れて不安定。25日、若い看護婦さんに尿道から管を抜かれる。(汗) その日の夜は尿意があるのに、なかなか出せなくて結構辛かった。手術から二週間後の30日に抜糸。背中の下半分に20㎝以上の大きな傷跡。腫瘍が長く広がっていたということ、2ヵ所にあった(だから最初、転移を疑われた)ことで、大きく切られてしまったあ。

5月初めにシャワーで身体を洗うようになる。空きが出たので大部屋(4人部屋)に移動。リハビリは1日40分程度。あと食事、シャワーの他に毎日決まった予定は無し。自分でU字型の押し車(サークルと言ってた)を使って病院内を歩いたり、階段の上り下りをしながら入院生活の後半が過ぎた。階段の上り下りが辛いのは、ちょっとショック。階段だらけの都会の生活に復帰できるのか?と不安を感じたりした。

そんなこんなで、手術から1ヵ月後の5月16日に退院。現状では左足先の麻痺は残っていて、歩く時は意識せざるを得ない。腫瘍が脊髄を圧迫していた期間が長かった(確実に一年以上)し、腫瘍を取ってもすぐ元通りになるとは思っていないが、良くなるとしても時間はかかるのだろうと観念している。

それにしてもニッポンの看護婦さんは本当によく働いている。ヨシコさん、ハタノさん、ミチヨさん、その他の皆様、有り難うございました。ああ、でも、看護婦さんって、男の下半身たくさん見てるんだろうなあ。(汗)

病院にいると普段の生活よりテレビを見ることが多くなる。2月の検査入院時の主なニュースは、イージス艦と漁船の衝突、三浦和義再逮捕(後に自殺するとは!)。手術入院時ゴールデンウィーク前後の主なニュースは、ガソリン価格、米民主党予備選挙、北京聖火リレー。半年後の現在、ガソリン価格は下落、オバマさんはめでたく大統領に。

北京パラリンピック車椅子テニスの金メダリスト国枝選手は、子供の頃脊髄腫瘍で下半身不随になったという。詳しいことは分からないが、やっぱりそういう可能性がある病なのかと思う。正直に言えば、たとえ金メダルを貰っても、下半身不随は御免だ。

40代の終わりに手術を経験して、改めて人間50年、その後は余生と思い定めるのがよろしかろうと。人生80年時代といっても、おそらくはジジイの期間が延びただけの話だろうし。ならばなおさら身体は何とか動くようにしておかないとなあ、そんな感じである。

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2008年11月 6日 (木)

入院経験の記録(検査篇)

手術を受けてから半年以上が過ぎた。病名は脊髄腫瘍。詳しく書くと硬膜内髄外腫瘍(神経鞘腫)。もちろん全く知らない病だった。脊髄腫瘍自体、どマイナーな病変。何でも発症率10万人に一人とか。脳腫瘍よりもはるかに少ないらしい。で、とりあえず良性。悪性だったら多分もうブログの更新は止まってますね。(汗)

ネット上の「脊髄腫瘍」関連サイトを見ると、結構詳しく作っている方がいるので感心。自分も入院記録を付けようと思っていたけど、実際入院してみると事細かに記録する根性無かった。なので、このエントリは、検索して来られた方の参考には多分ならないというか、読み応え(?)無いだろうなあ。

「脊髄腫瘍」という病名に至るまでには結構時間がかかった。自分の場合、歩き方が少し変になったな、というのが自覚症状の最初。しばらくほっておいて、はっきり異変を認識したのが昨年07年の夏。左足親指に力が入らないことを自覚して驚いた。ところが痛みがまるで無いものだから、よく分からないまま、またほっておいた。正直言うと何科の医者に行けば良いのか分からなかった。やがて冬場になって何度か転ぶということが起きたので、まず行ってみたのが整体医院。(苦笑) そこで症状を訴えると、整形外科に診てもらった方がいいですねとのこと。ここでやっと医者に行くことを決心して、まずは町医者に。それが今年08年の2月中旬。「神経麻痺ですけど原因が分からないので、大きな病院を紹介します」と言われ、ちょっと不安に。言われたとおり、地元の大きな病院に行くと、若い医者が応対して、「よく分からないけどMRIでも撮っときますか」みたいな感じで、MRIを初めて経験(うんざりした)。二日後に再び病院に足を運び診察を待っていると、看護婦から「先生が十分説明したいので順番が後回しになります」と言われて、げげっという感じ。さすがにかなり不安になった。そして診察。医者から「脊髄付近に腫瘍があります。悪性とは限りませんがすぐ入院してください」と告げられて、その日のうちに検査入院となる。(医者というのは最悪を想定するものらしい)

はじめての入院経験。ひとりもんだし、どーしたらいいんだろ、という感じだったが、取りあえず軽い旅行支度のような荷物をまとめて病院へ。母は悪性腫瘍で亡くなっているので、自分も2~3割位は可能性あるのかな。最近、自分の同年代つまり40代で死んだ糸瀬茂、中尊寺ゆつこ、杉浦日向子、池田晶子は皆がん死だったなあ・・・てなことを思う。再度のMRI、CTほか各種画像診断を実施、造影剤やら採血やら注射は一生分されたような感じ。最後には脊髄注射までされた。この2月下旬の検査入院の結果、悪性ではないようだとの診断。しかし治療としては手術になるという。げげっ。手術なんて受けたことない。しかも脊髄付近。下手すりゃ下半身不随。医者から手術についていろいろな話。合併症、大量出血、脊髄を傷つける、麻酔による後遺症等々の可能性があることを聞かされる。どーする。しかしまだ少なくとも後20年位は活動するんだろうから、やるんだったらすぐやるしかないなあ、と諦めにも似た心境で手術を渋々決心する。(続く)

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2008年11月 3日 (月)

大統領選挙投票日の理由

明日11月4日はアメリカ大統領選挙の投票日。大統領選挙の投票日は「11月の第1月曜日の翌日」と決まっている。その理由について、「週刊ポスト」で池上彰が執筆しているコラム記事からメモ。

その理由は2つあります。アメリカはキリスト教国家であることと、規定が定められたのは、まだ交通機関が発達してない時代だったからです。

アメリカという国は、ヨーロッパで抑圧されたキリスト教徒が大西洋を渡って来て建国しました。大統領が就任式で聖書に手を置いて宣誓するように、さまざまな所にキリスト教の思想が存在します。

日本では、選挙の投票日といえば日曜日ですが、これは宗教の観念に無頓着な日本人ならではの設定です。日曜日はキリスト教徒にとって安息日。仕事をせず、教会にお祈りに行った後は自宅で静かに過ごすことになっています。日曜日に投票など、とんでもありません。

だったら月曜日でよさそうなものですが、この制度ができた建国当初は、交通機関は馬車しかなく、投票所から遠く離れた場所に住んでいる人たちが大勢いました。こういう人たちは、月曜日が投票日だと、安息日の日曜日に自宅を出発することになります。これでは安息日になりません。そこで火曜日にしたのです。

それなら、「11月の第1火曜日」と定めればよさそうなものです。ところが、これだと、11月1日になる可能性があります。11月1日は、キリスト教徒にとっては「万聖節」。「諸聖人の日」とも呼ばれ、すべての聖人と殉教者を記念する日。この日に投票に出かけるわけにもいかなかったのですね。万聖節の前夜のハロウィーンばかりが知られ、万聖節を祈りの日にする人が薄れ、交通機関が発達しても、制定当時の規定が守られているのです。

・・・何事にも理由がある。んだけど、ややこしいのう。ちょっと補足すると、11月という月に関しては、農作業の終わった頃という事らしいです。まあとにかくこの「火曜日の投票」が示すのは、アメリカというのは「宗教国家」である、そしていっぺん決められてそれでずーっとやってきた事はなかなか変えられない、ってことですかね。

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2008年11月 2日 (日)

昔、「ハーフの時代」ありけり

「週刊ポスト」(11/14号)になぜか、アグネス・ラムのミニ・グラビアと記事が。新作パチンコ機にアグネス登場という宣伝も兼ねているらしい。ならばメーカーに、「なぜ今アグネス・ラム?」と尋ねたいのだが、まあいいか。記事では、テリー伊藤、泉麻人、中谷彰宏、二宮清純など各界10人の男たちが、アグネス・ラム・メモリーを語る。中心年齢は50歳前後。やっぱり、その辺なんですよねえ、衝撃ともいえる影響受けたのは。

記事の中に、当時の若者の間では「ハーフ信仰」が根強い時代だった、とある。当時というのは、70年代後半に当たるが、そうだったよなあ。ハーフもそうだし、外人というか金髪への憧れも強かったように思う。おそらく今はハーフ信仰も外人崇拝も、かつて程では無いだろう。次第に「国産品」が力を付けてきて、「舶来品」崇拝の気持ちが弱くなってきたという感じか。75年に鳴り物入りで創刊された日本版「プレイボーイ」誌が今年で終刊というのも、外人プレイメイトの神通力が薄れたのか、はたまた雑誌低迷やら総合誌の凋落と捉えるべきなのか、いずれにしても自分のような中年男には、ある時代の終わりが明確になったと感じられる出来事ではある。(個人的に記憶に残るプレイメイトはパティ・マクガイア。後にこの人を奥さんにしたのがジミー・コナーズ。言わずと知れた当時の世界的テニス・プレイヤー。いいよなコナーズ、とか思ったりしたもんだ)

アグネス・ラムは日本人的なイメージで多くの若者を虜にしたのだが、しかし自分はそれ程魅力を感じなかったんだな、これが(・・・自分は、同じ頃のハーフのモデルさんでは、より外人的な樹れい子のファンだった。人気はアグネスに遠く及ばなかったが)。自分の好みの理由を説明するのって意外と難しいもんだけど、とりあえず表情っていうのはあるかも知れない。アグネス・ラムといえば「笑顔」なんだろうけど、表情の変化が豊かだったという覚えはない。様々な表情を見せてくれる女性は男にとって魅惑的だ。女性の表情の豊かさは、考えようによってはエロの重要な要素でもある。(考えすぎか)

今、当時のアグネス・ラムが出てくれば凄い人気だろう、とテリー伊藤は語る。どうだろう。ファンではなかった自分には何とも言えない。とにかく思うのは、ハーフの時代は遠くなりにけり、ってことだ。(いっさいは過ぎていく)

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2008年11月 1日 (土)

「木曽馬の里」へ行く

名古屋には3年半いたのだが、近県も含めて行ってみたいと思いながら行かなかった所もある。長野県の「木曽馬の里」もそのひとつ。今回行くことにしたのは、例によってJR東海さわやかウォーキングのコースとして設定されたから。前日の夜に名古屋に入り、今日の朝8時発の特急しなの号に乗るため、発車15分前に名古屋駅のホームに上がると、既に自由席車両の乗車位置には長蛇の列。指定席も売り切れとのこと。3連休の初日、甘く見ていた~。どうしようもなく立ったまま1時間半後に木曽福島駅到着。今回のコースはP1020492駅から臨時バスで開田高原まで移動して、そこからウォーキングを始めるのだが、駅前には大量の人(200人位か?)がバスを待っていたので、また参った。結局バス待ちに30分、乗車時間30分で、開田高原からのウォーキングスタートは10時半頃となった。 写真は開田高原から見た木曽御嶽山。こういう風景に出くわすとは思ってなかった。普段自然の風景に心動かされる事の少ない自分だが、これには感嘆する他なし。

P1020512_2 そして木曽馬の里。木曽馬は日本の在来馬で、サラブレッドに比べて身体は小さく、足も短い。たぶん戦国時代の馬もこんな感じだったんでしょう。現代の映画やテレビで描かれる戦国時代は馬がサラブレッドなんで、例えば武田の騎馬隊なんか迫力ありすぎの感じですが。でも多少乗馬を経験をした身としては、サラブレッドは大きすぎてあんまり生き物という感じがしない。ので、木曽馬のスケールくらいが扱いやすそうな気がする。

しばらく馬を眺め、引き馬に乗せてもらったりして1時間程過ごした後、本格的に歩き始めて地蔵峠、唐沢の滝を通り、二本木の湯に着いたのが午後2時半。スタートからゴールまで(コース距離約9.3㎞)、4時間かかりました。帰りは二本木の湯から再び臨時バスにて木曽福島駅に戻り、今回のウォーキング全行程終了。

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