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2008年9月21日 (日)

投資銀行と新自由主義

リーマン・ブラザーズ消滅で『投資銀行バブルの終焉』(倉都康行・著、日経BP社)を読む気になった。巻末近くにある「後退する新自由主義」の章からメモ。

1970年代後半から1980年代の英米において、レーガン、サッチャーの両首脳が主導した「新自由主義時代」が生まれた。投資銀行が勢いを増した背景には、規制を排除して自由市場を中心とする経済システムを構築しようとした米国流の政治的意識も、強く働いていたと見るべきだろう。誤解を恐れずに言えば、投資銀行の隆盛やサブプライム問題はこの新自由主義の申し子である。

この米国が主導してきた新自由主義的なイデオロギーに基づく投資銀行スタイルの金融は、結果的に、その「自由」を拡大解釈し、大きく躓くことになった。住宅価格の上昇を前提としつつ証券化市場でのリスク・テイクを見込んで、信用力の低い借入れ人に対して無造作に住宅ローンを提供していった行為は、当局の視野の外側で急激に増加し、当局の監督外で急速にそのレバレッジ行為が進んだのである。
住宅ローンをアレンジするモーゲージ会社は、リスクは投資銀行が引き取るものと考えた。投資銀行は、そのリスクは投資家である保険会社やヘッジファンド、商業銀行などが引き取ると考えた。だが、投資家は、数多くのローンがパッケージされて切り分けられた証券化商品に、個別リスクを感じることはできなかった。リスクが分解され、分散される中で、責任感は雲散霧消してしまったのである。

民主社会と同じように金融市場においても「自由」は必要である。だが、それは同様に一定の社会責任能力を備えて初めて主張できるものだ。自由を武器にするなら、成熟した倫理感を持つ企業でなければならないが、利益優先哲学に溺れた投資銀行は、自らモラルを粉砕してしまったのである。

新自由主義は、強い批判を受け始めている。一時的にせよ、新自由主義が後退するのは世界の潮流であり、その中で一度破裂した「投資銀行バブル」が再び蘇るとは考えにくい。

・・・金融市場の主要プレイヤーが、過度の利益追求に走り、モラルを低下させるところにバブルが生まれる。経済主体が自律性を保てれば、規制の少ない環境でも構わないのだろうが、一方で競争も激しくなるため、どうしても利益追求への誘引が強まるのは避けられない。「規制」と「モラル」と「利益追求」のバランスを保つことは容易ではない。

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