« 石野真子、いいなあ | トップページ | マフィア映画に学ぶこと »

2008年8月10日 (日)

『凡人として生きるということ』

押井守の映画で見たことがあるのは「アヴァロン」(2001年公開)。独特の映像美、そして音楽が実に印象的。サントラ盤も買ったし、この映画を見た後、自分もロケ地であるポーランドを訪ねたりした。で、その押井守が新作アニメ「スカイ・クロラ」公開に合わせて本を出した。タイトルは『凡人として生きるということ』(幻冬舎新書)。凡人はどう生きればいいのか、以下に自分なりに要約。

誰からも必要とされない人生は寂しい。社会の中で定位置を得る、それが人間の生きる喜びにつながる。そして人生とは常に何かを選択し続けることだ。問題とすべきは、「人生の選択を留保していないか」、「社会と関わりを保っているか」、この二点だけだ。オヤジは仕事を通じて社会と結びついているし、人生の選択肢の判断基準も自分の中に持っている。オヤジになれば、自由(自在)に生きられる。自分勝手なものではない理に適った美学を持つことが大事だ。今やオタクも、一つの価値観、一つの生き方として認められる。オタクとは「特定の分野に著しい情熱を持ち続けている人」だ。天才の身でない我々が、この世を渡っていく術とは、情熱を持ち続けることしかない。自分の美学と情熱があれば、富と名声に煩わされることなく生きていける。

・・・ということで、美学を持ったオタクとしてオヤジになれ、つまりみんな「押井守」になれってことか、結局?

この押井流の「成熟」を「凡人」が目指すのは、結構ハードル高いかも。ま、それはそれとして、恋愛論的な部分が意外と面白い(第二章 勝敗論)。以下自分なりの要約。

仕事の場合は客観的に評価される仕組みがあるが、恋愛の場合は、当事者同士で自己評価しあうしかない。仕事は社会性の中で成立するが、恋愛はそうはいかない。当事者間の関係性の中で不条理な成立の仕方をする。恋愛は、努力だけではどうしようもないことがある。仕事はこなしていくうちにスキルが向上していくが、「恋愛はいつでも誰でもが初心者」、つまり経験値が生かされない。そこが恋愛の面白くも、難しいところだ。顔がよくても、恋愛は一対一の関係でしか成立しないので、肝心の相手にとって好みの顔でなければ終わりである。だから、恋愛に有利不利などない、と言ってもいい。
仕事であれ、恋愛であれ、どんどん失敗するべきだ。何連敗、何十連敗してもいい。何度負けても、勝負を続ける限り、いつかきっと一勝できる日はやってくる。

・・・モテる才能に恵まれなかった「凡人」は、恋愛という不条理の中でトライ&エラーを続けなきゃならない、ってことね。これも結構根性要るなあ。

|

« 石野真子、いいなあ | トップページ | マフィア映画に学ぶこと »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/22876121

この記事へのトラックバック一覧です: 『凡人として生きるということ』:

« 石野真子、いいなあ | トップページ | マフィア映画に学ぶこと »