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2008年8月24日 (日)

ソンタグのファシズム論

「意志の勝利」DVD鑑賞の後、本棚から『ヒトラーの呪縛』(佐藤卓己・編)を取り出して見る。そこに、「意志の勝利」についてユダヤ系の批評家スーザン・ソンタグが、「ファシズムの魅力」で優れた議論を展開している、との言及あり。
という訳で、そのエッセイが収められた『土星の徴しの下に』(富山太佳夫・訳、1982年晶文社、2007年みすず書房より再刊)を図書館で探して目を通す。

ソンタグはこのエッセイの中で、国家社会主義時代の政治と芸術の関係で興味深いのは、政治がロマン主義後期の芸術のレトリックをわがものにしてしまったことである、と指摘。ゲッベルスが語った「われわれはみずからを芸術家であると感じている」との言葉も引用している。またソンタグは、国家社会主義が残酷と恐怖のみの代名詞であると考えるのは間違いだという。以下にメモ。

国家社会主義は――広く言えばファシズムは――模様替えをして今日なお生きのびている理想の、複数の理想の代名詞でもあったのである。芸術としての生という理想、美への信仰、勇気の神格化、共同体感情にひたって疎外感を解消すること、知性の拒否、人類はみな一家(指導者は父である)という考え方などの代名詞でもあったのである。こうした理想は多くの人々にとって感動的な現実感をもっている。

リーフェンシュタールの映画が今なお効果的であるのは、ひとつにはそこにある憧憬が今も感じとれるものだからであり、またその内容となっているロマンティックな理想に対して今日でもまだ多くの人々がしがみついているからである。

このエッセイが書かれたのは1974年。第2次世界大戦終了からほぼ30年後。そこからさらに30年以上が経過した現在、ソンタグの論理における、リーフェンシュタールの映画が「効果的」である前提は失われつつあるように見える。というのは、諸々のロマンティックな「理想」が今もなお生きのびているとは思えないし、それらの理想に多くの人々が「感動的な現実感」と共に「しがみついている」と想定するのも疑わしいからだ。

どんな出来事も時代の制約や文脈から自由ではない。ファシズムがロマン主義的理想を政治において実現した20世紀前半から時代は大きく移り変わり、世界経済システムと国家の在り方の変貌は著しい。このような状況において、ファシズムに危険な程の魅力を見出す感性は既に衰退しつつあるのではないかと感じる。

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