« 『日本近世の起源』 | トップページ | 将棋棋士今昔 »

2008年7月14日 (月)

『日本に古代はあったのか』

日本に古代はあったのか』(井上章一・著、角川選書)で語られる日本の歴史学に対する批判には、大きな柱が2つある。一つは時代区分、特に古代と中世の区分の妥当性であり、もう一つは著者が呼ぶところの「関東史観」批判である。

マルクス主義史学では、奴隷制(古代)と農奴制(中世)で時代を区分するのだが、実のところ概念に曖昧な部分があるため、定義の仕方によって時代区分が相当動いてしまう。そもそもなぜ鎌倉時代から中世なのか。あるいは江戸時代から近世なのか。なぜ関東から新しい時代が始まるのか。ここには明治維新のイデオロギーがあると著者はみる。東京=関東から新時代が始まるという観念が歴史にも投影されて、関東の武家政治の新しさが強調される一方、畿内の公家社会は古臭いものとして貶められる。これを著者は「関東史観」と呼び、司馬遼太郎や梅棹忠夫のような関西出身の歴史家さえ、関東史観に毒されていると見る。

さらにこの鎌倉時代から中世とする関東史観のために、日本の古代という時代区分は世界史的に見て整合性のとれないものになっている。ユーラシアの東と西に現れた漢とローマという2つの帝国が衰えた5世紀頃までに古代は終わるとすれば、日本史ではさらに700年も古代が続いてしまうのだ。著者は漢の時代が終わる3世紀に合わせて、日本史でも邪馬台国から中世を始めてもいいのではないか、さらには古代は無くてもいい、原始時代からいきなり中世でもいいのではないか、とまで提言している。

自分は東京出身だが、戦国時代好きなので、当然のように日本史の中心は西にあると感じる。そもそも関東は基本的にローカルなのだと思う。源頼朝も徳川家康も生まれは今の愛知(頼朝が熱田、家康が岡崎)なので、たまたま関東で新しく政権を作ったというだけの話だろう。その新時代の始まりだが、今はとりあえず近世は織豊政権から、中世は院政の時代から、という見方が多くなっているらしいので、少し時間的に早まったというか空間的に西に移ったというか、何にせよ関東史観の力は弱まりつつあるようだ。それはそれでリーズナブルな変化で結構な事だなと思う。

正直、個人的には時代区分って、あんまりこだわりがない。著者が提案するように、ユーラシアの歴史と整合性をとる方が良いと思えるなら、そうすればいいじゃん、グローバルで考える御時世だし、という感じ。

戦国時代好きには、この本でより肝心なのは応仁の乱を取り上げた章。ここで著者は歴史家・内藤湖南の考えを追認する形で、応仁の乱を日本史の分岐点とする。乱の前は中世で、乱の後は近代に向かうと。内藤湖南は「大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには」、「応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさん」だとする。なぜならば、「応仁の乱以後はわれわれの真に身体骨肉に直接触れた歴史」であるからだ(1921年の講演)。すなわち、やはり戦国時代に、今に至るまでのこの国のかたちが作られたんだよ、という話である。戦国ファンは一層研鑽に励んで、この国のことを考え続けたらええねん。

|

« 『日本近世の起源』 | トップページ | 将棋棋士今昔 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/22290885

この記事へのトラックバック一覧です: 『日本に古代はあったのか』:

« 『日本近世の起源』 | トップページ | 将棋棋士今昔 »