« 高齢化するアジア | トップページ | 『日本に古代はあったのか』 »

2008年7月13日 (日)

『日本近世の起源』

信長・秀吉・家康の天下統一の時期は、今に至るまでのこの国のかたちが作られた画期的な時代だった。そのことは名古屋経験で実感した。例えば尾張や三河といった旧国名は今でも日常生活の中で使われているし、日本の主要都市は殆どが城下町である。(なんてことは東京にずっと居たらおそらく意識しなかっただろうなと思う)

この素朴な実感は、最近の歴史学の学説でも支援してもらえるようだ。『日本近世の起源』(渡辺京二・著、洋泉社MC新書)はその序章の中で、日本の時代区分において最も重要なのは戦国後期、要するに全国統一政権の成立であり、徳川期と近代は連続している、との考え方(尾藤正英)を紹介している。ただし、著者の立場は、尾藤説の意義を認めつつも、徳川期の独自性を強調するものであり、徳川期文明の正当な評価のためには、その形成期の意味づけを根本的に再考することが必要だとしてまとめたのがこの本だ。以下に徳川期、幕藩制の成立について(乱暴に)要約してみる。

幕藩制は、大名が対立する農民を強権的に押さえつけて作り上げたというものではない。むしろ大名と農民の間には、お互いの理解を可能にする共通の社会的基盤が成立していた。荘園制が形骸化していく戦国期に、新たな社会的基礎集団として実質を整え始めたのが、主権的団体として自立した村、いわゆる惣村である。山林や用水を巡る村同士の争いはしばしば実力行使に発展したため、惣村は武装しているのが常だった。やがて惣村の中で有力農民が侍衆となっていくのだが、この「百姓」から「侍」へ成り上がる運動こそが、日本近世を出現させた原動力だった(何しろ天下人である豊臣秀吉その人が百姓出身なのだ)。

惣村内で侍衆という階層に結集した有力農民が、戦国大名の家臣団に組み込まれ、さらには織豊家臣団・幕藩制家臣団の中核を成していく、それが戦国後期という時代だった。そして最終的には秀吉が専制支配を打ち立てることにより、国内の大名から百姓まであらゆる争いが停止されて、それが「徳川の平和」へとつながっていく。

幕藩制の支配者は、もともとが農村から生まれた武家であり、惣村自治の中で生まれた秩序や仕組みが幕藩体制の中に組み込まれていったのである。つまり、幕藩制は、惣村を土台として生まれてきた百姓と、同じく惣村から出現した新たな領主階級との共同で作り上げられた社会体制なのだ。

・・・この本では随所に、反権力的な左翼史観や網野史観への批判が織り込まれるのだが、その辺はワタシのような素人、ただの戦国好きには評価不能なのでスルー。でも、子供の頃読んだ白土三平の劇画では百姓がやたらに一揆を起こしていたという、そういう「刷り込み」は自分にもあるんですけどね。

|

« 高齢化するアジア | トップページ | 『日本に古代はあったのか』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/174032/22273357

この記事へのトラックバック一覧です: 『日本近世の起源』:

« 高齢化するアジア | トップページ | 『日本に古代はあったのか』 »