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2008年7月16日 (水)

応仁の乱!

今夜のNHK「その時歴史が動いた」のテーマは応仁の乱。まあテレビ番組ですから、どうして起こり、どのように終わったのか、というストーリーを見せてお終い、という具合だったけど・・・。『日本に古代はあったのか』(井上章一・著)は、一章を設けて応仁の乱の意義について述べているので、そこからあらためてメモ。

応仁の乱で、室町幕府はおとろえた。その後は、各地を地域の大名たちがおさえるようになる。大名どうしがあらそう、いわゆる戦国時代がはじまった。
しかし、それ以前の地域支配は、ちがう。大名がのちに支配した諸地域の多くは、もともとさまざまな権門勢家の管理をうけていた。皇室や貴族、あるいは大寺院などがおさめる荘園として、それらは登録されている。そして、それぞれの荘園が貢物を彼ら権門へさしだすしくみに、なっていた。
武家の成長も、それほど大きな歴史の変化としては、うけとれない。荘園制のうわまえをはねる、その
ピンハネ組に、武家もくわわっただけだと思う。
ただ、彼らがピンハネ組に参入したせいで、荘園制のしくみはゆらぎだす。
彼らは荘園からのとりぶんをめぐって、しばしば公家たちと対立する。もちろん、武家どうしでも。にらみあう新旧のピンハネ組を尻目に、地域では地域にねざした勢力が、のびてくる。地域をじかにしたがえる勢力である。こうした新勢力は、それぞれの地域を、彼らだけの地域、権門の力がおよばない地域にしたてていった。
各地の勢力が、中央の権門へ気をつかう体制は、全国的な規模でくずされた。応仁の乱は、その最終段階をむかえたところで勃発した内乱にほかならない。その後は、地域をじかに支配する、地域そだちの力が、のしあがる。
戦国大名を、郷里の英雄として語りつぐところは、すくなくない。彼らは、地域にねざした政治をはじめてなりたたせた。周知のように、そんな武将たちは、たがいにあらそった。そして、これに勝ちぬいた者が、全国的な統一政権を樹立した。
応仁の乱にいたるまで、中世的な分裂はおさまらない。そして、乱の後には、統一的な管理、今の国民国家へむかううごきが、作動した。その意味で、私は応仁の乱こそが、日本史を二分する一大分岐点だと、考える。分裂から統合へ、あるいは、中世から近世、いや近代への転換点だと、言ってもよい。

で、応仁の乱というと、歴史家の内藤湖南の言葉が有名とのことで、本書から孫引きしておきませう。

「大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。それ以前の事は外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真に身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります」。(1921年の講演)

・・・応仁の乱で、それまでの古い仕組みが完全に壊れ、戦国時代が100年以上続いた後の天下統一において、今に至るまで続くこの国のかたちが作られた。信長、秀吉、家康の出現は奇跡のようなことにも思える。

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